第四章節 また明日
木の中から人の声がするなんて、本当にあるのだろうか。いや、そんなはずない。多分夢でも見てるんだ。
「なあ、君はどこにいるんだ?俺の姿みえてる?」
この少年(仮)も、夢なんだろうか。夢なら、もう少しくらい、話しててもいいか。あの歌が、また聴けるかもしれないし。
「姿は見えないけど、声の出どころはわかったよ」
「えっまじで!?どこどこ?」
少年(仮)はいかにも興味津々と言う感じで尋ねてくる。あの繊細な歌声とは似ても似つかないような活発さで。
「木の洞から」
「ほら?ほらって、えっと…あ、木の穴のことか!どこだ?んーと、あ、あった!これか?おーい!きこえるかー?」
悩むような言葉の後、少年(仮)の声が途端に大きくなる。
「ははっもともと聞こえてはいるよ。でも、さっきより声が大きくなった」
「そっか、じゃあ声はここから聞こえてるってことか。やったな!……っと、ごめん」
少年(仮)の嬉しそうな声に釣られて少しごきげんになっていると、突然謝られた。
「なにが?」
「そういやまだ名前も聞いてないのに、馴れ馴れしかったかなって」
そう言われて、ようやく自分が名前も知らない相手と話していたことに気が付く。いや、まず知り合いとでさえこんなに長く話すことは久しくしていない。でも、なぜだろう。不思議と不快さよりも心地よさを感じる。この夢かも現実かもわからない状況のせいだろうか。
「それなら、謝らないで。私も馴れ馴れしかったし、それに、なんというか、その、楽しかったし。話すの」
「そっか、ならよかった。俺も楽しいし、俺たち結構気が合うのかもな」
少年(仮)の唐突な発言に思わず笑いが込み上げてくる。一歩間違えればナンパのようなその言葉が、今は本当にそうであるように思えた。
「ははっまぁ、そうかもね?」
「だろ?俺はユーリ。君は?」
少年(仮)はゆうりというらしい。名乗られた以上、応えないのも失礼だろう。それに、”顔も知らない誰か”に対する警戒心のようなものは、とっくのとうに無くなっている。
「私は朝顔」
「あさがお……アサガオか。よろしく、アサガオ」
「うん、よろしく。ゆうり」
こうして、私とゆうりの奇妙な関係は幕を開けた。
「えっじゃあ、さっきの曲ってゆうりが作ったの?」
話すうちにわかったことだが、彼はどうやらシンガーソングライターになりたいらしい。
「まあな。でも、あれは最初に作ったやつだから、最近のに比べると全然だめなんだ。まあ、最近のだってまだまだだけど」
ゆうりのその言葉に衝撃を受ける。あの歌を作っただけでもすごいのに、まだまだだなんて。
「私は好きだけどな、あの曲」
「ははっありがとな。でも、まだまだなんだ。俺は、作詞も作曲も歌も演奏も、もっと上手くならないと」
その声は、低く、苦しげだった。まるで、なにか思い詰めているみたいに。そもそも、彼はなぜシンガーソングライターになりたいのだろう。こんなに苦しんでまでなりたい理由があるのだろうか。
「ゆうりは、なんでシンガーソングライターになろうと思ったの?」
「それは……」
あたりに沈黙が落ちる。ああ、やらかした。初対面の、顔すらみえない相手にされて気持ちのいい質問ではないだろう。まただ。また、人との距離感を間違えてしまった。誰かと関わろうとなんて、するんじゃなかった。私が誰かと関わったところで、相手を傷つけることしかできないんだから。
「俺がそうなりたいとおもったのは——」
はっとする。そうだ、今は考え事をしてる場合じゃない。とにかくすぐに謝らないと。
「あ、あのっ!ごめんね、その、馴れ馴れしかったよね、無理に答えなくていいよ」
「いや、大丈夫。俺のほうこそ、急に黙ってごめん。アサガオに聞かれて、改めて考えてたんだ。俺はなんでシンガーソングライターになりたいのか」
「そっか」
ゆうりの声色は少し暗いが、気を遣っているようには聞こえない。たぶん、本当に考え込んでいただけなんだろう。
「なあ、アサガオ。俺の話、聞いてくれたりする?聞いてて楽しい話じゃないけど」
さっき”もっと上手くならないと”と言っていたときのような、苦しげな声でそう聞いてくる。私は誰かと関わるべきじゃない。ましてや、さっき出会ったばかりの相手と。そう思うのに、今の私は、彼の、苦しんでいるゆうりの力になりたいと、そう思ってしまった。
「うん、聞くよ。いくらでも」
「ありがと。……俺の住んでるあたり、すっげー田舎でさ。見渡す限り山、山、山。電波は一応通ってるけど、しょっちゅう圏外になる。そんなんだとお金も車も持ってない子供にできることなんてかぎられてて」
「うん」
自嘲するようで、でもどこか楽しげなその言葉に耳を傾ける。優しさを帯びたその声は、あの歌を歌っているようだった。
「子供の数も少なくて、俺と体の弱かったもう一人だけ。大きくなるにつれて元気になってったけど、昔は鬼ごっことかもできなくてさ。そんで俺は、倉庫に置かれてた昔父さんが使ってたっていうギターに目をつけた」
「そうなんだ」
都会とも田舎ともつかない、人口だけは多い街に住む私には想像すら難しい、子供が二人だけの日々。その中で見つけたギターは、きっと彼の大切なものなのだろう。
「ま、ギターはすぐに飽きてやめちゃったんだけど」
「え」
どうやら違ったらしい。
「いや、今はちゃんと練習してんだけどさ?あの頃はなんというか、まぁつまんなくて。だって、指先めっちゃ痛いし、腕つりそうだし、曲全然弾けないしで」
「なるほど」
驚きはしたが、理由を聞くと納得がいった。遊べるものを探していた子供がつまらないものを見つけてもすぐに興味をなくすだろう。
「でも、そんときに一緒に見つけた楽譜を見ながら歌うのはわりと楽しくて。ルカ、あー例の体の弱いもう一人。あいつと一緒にできたのも大きかったかも。二人で色々歌ってた。あの頃は将来とか関係なく、ただ楽しくて歌ってただけだけど」
「そっか」
ゆうりの穏やかな声で紡がれる幼い頃の思い出は、どこか暖かみを感じるものだった。その心地よさに身を任せて、ゆったりとした気分で話を聞いていたが、その声はだんだんと翳っていった。
「本格的に歌を職業にしたいって思ったのは、十四歳の頃だな。あのとき、普段単身赴任してるルカの父さんに会いに、ルカとその母さんが都会に行くってなったんだ。そんで、遊び相手と離れ離れは寂しいだろうってことで、俺もついていっていいことになった。遊び相手とかガキじゃあるまいしって思ったけど、普段行けない場所に行けるっていうから、おとなしくついていってた」
「うん」
田舎から都会に遊びに行く、と聞いたら嬉しいことのように思えるが、声は予想とは裏腹に低く、どこか悔しさを滲ませるものへと変化していた。
「俺とルカとルカの両親で観光してたんだ。地元にはないものばっかりで、俺もルカもはしゃいでた。だからだろうな、いつのまにかルカを見失ってた。そのあたり、結構物騒でさ。見つけたときには、ルカはもう……怪我、させられてた」
「……」
言葉が出なかった。”させられた”と言うからには、人為的なものだったのだろう。
「しかも結構ひどい怪我でさ、これやばくね?ってくらい血が出てて。一応命は助かったんだけど、村に帰ってからもしばらくまともに動けなくって。俺は俺でしばらくはあいつと会うたびそのときの光景が頭に浮かんで、まともに話せなくって」
少しの沈黙。そして、再び口を開いたゆうりの声は、悲しむような、それでいて慈しむような、形容し難い調子だった。
「お互い落ち着いたころに久々に会ったらさ、なんて言ったと思う?あいつ、ユーリが無事でよかったってさ。それで俺、ふざけんなよって思って。何に対してだったのか、わかんないけど。でもこいつは相変わらずだなって思うと、嬉しいような感じもして。あいつ、昔っから周りの心配ばっかりするんだ。小さい頃に、俺があいつのお気に入りの絵本破いちゃったときだって、俺が紙で手を切ってないかの心配ばっかりしてた。涙目になりながら。ほんと、アホだろってくらいお人よしなんだ」
「……」
るかの話を聞いて、ふいに葵の姿が頭をよぎる。優しくて、お人よしで、びっくりするくらい心の綺麗な人。私じゃ一生かけてもなれないような……。思考の海に沈みかけた私の意識だったが、ゆうりの静かな、それでいて決意のこもったような声に引き戻される。
「それで、俺考えたんだ。俺が、あいつみたいな人たちが傷つかないためにできること。色々、警察官とか政治家とか、ほんとに色々考えたんだけど、どれもしっくりこなくってさ。行き詰まって、夜に家の前に寝転がって星見ながら考えてたんだ。そしたらいつのまにかルカが近くにきてて、急に僕ユーリの歌好きだな、って言ってきたんだ。は?って思ったんだけど、なんか俺無意識に歌ってたみたいでさ。」
ずっとどこか強張っていたゆうりの声が柔らかさを帯びる。
「そのとき気づいたんだ。ああ、俺って歌うのが好きなんだなって。あいつのために何かしたいっていうのも本心だけど、歌うことをやめたくはないなって。どっちも諦めずに済む方法ないかなって考えて、考えて、考えて、そんでぱっと閃いたんだ」
その声は、いつのまにかこの話を始める前のような快活な様子に戻っていた。
「歌で、俺の歌で、訴え掛ければいいって。歌うだけじゃ、犯罪も戦争も、なにも無くならないかもしれない。それでも、俺の歌を聞いた誰かに、何かが伝われば、世界は変えられなくっても、何かは変えられるかもって。そう思ったんだ」
「そっか」
私には、木の洞の暗闇しか見えていない。それでも、今の彼は晴れやかな表情をしていると、そう思えるような声だった。
「それで最初に作ったのが、さっきの曲。それ以降も結構楽しく作ってたんだけど、最近色々あってごたついててさ、無意識に焦ってたっぽい」
「そうだったんだ」
彼の苦しげな声は、焦りからくるものだったようだ。焦りを軽視するつもりはないが、なにか大きな事情を抱えているなどではないようで安心する。
「でも、アサガオに話してるうちに、曲を作り始めた頃のこととか思い出して、なんというか、すっきりした!焦る必要なんてなかったんだなって。聞いてくれてありがとな」
「こちらこそ、聞かせてくれてありがとう」
「うん。……そうだ、アサガオは——」
ピコン♩
ゆうりが何かを言いかけたそのとき、スマホの通知音が鳴る。お母さんからなにかメッセージが来たらしい。
「ごめん、ちょっとまって」
通知を長押しする。
もう七時だけど、まだ帰ってこない?
……話しているうちに、普段帰る時間をだいぶ過ぎていたようだ。あたりを見回す。少しずつ暗くなっている。夏で日が長いとはいえ、これ以上ここにいては日が暮れてしまうだろう。すぐ帰る、と返信し、スマホを切る。
「ごめん、私もう帰らないと」
「そっか、じゃあアサガオの話聞くのは、また明日だな!」
「えっ?」
”明日”と言う言葉に驚く。また明日、なんて最後に言ったのはいつだろう。いや、多分学校なんかで言ってはいるんだろう。でもそれは、応えるつもりのない、その場しのぎの一言だった。
「だって、アサガオはもう帰らないとなんだろ?じゃあ、明日話そうよ。俺アサガオのこともっと知りたい」
心臓が跳ねる。私は、知って面白いような人間じゃない。そもそも、明日会えるのかだって怪しい。この状況が全部夢で、目が覚めて公園に来ても何もありませんでした、と言う展開だってないとは言い切れない。
「なぁ、だめ?明日は厳しそう?」
それでも。たとえこれが夢だとしても、面白いことはなにも話せなくても。私はゆうりと、この顔も知らない男の子と、また話したいと思ってしまったから。カラカラに乾いて、上手く声の出ない口を開く。
「また、明日。ここで話そ」
「うん!また明日!」




