56. 覚悟の微笑み
「で……殿下?」
何故ここに居るのですか?と続けたかったが、その言葉はあまりに驚いてしまって声にならなかった。
「うん、ただいま。アディルナ、良い子にしていたかい?」
「あ……おかえりなさいませ、殿下。此度の活躍、大変ご立派でしたわ」
「うん、有難う」
殿下は、私と挨拶を交わすと、とても嬉しそうに笑われた。
「また、僕の勝ちだね」
勝ち……?
何のことか分からず私は、きょとんとしてしまった。
しかし直ぐに、殿下とした賭けを思い出すと、私は一瞬で顔が熱くなり、悔しさと恥ずかしさが同時に込み上げたのだった。
「あ……あぁっ!!ず、ずるいですわ!いきなり登場して、私を驚かして!そんなの、びっくりして何も言えなくなるに決まってますわ!!」
「別にズルくないと思うけど。僕は普通にドアから入って来ただけだし。誰かみたいに窓から出入りしてる訳じゃないしね」
殿下は子供の頃、私が窓から逃げ出した時の事を持ち出して、揶揄うように笑った。
私は少しだけムッとしたが、今はそれよりも目の前で殿下がいつものように笑っているのが嬉しかった。
殿下はこちらへ歩み寄ると、そのまま私の隣に腰を下ろした。
……えっ隣?
馬車以外でこんなに近くに座るのは初めてだったので、私は少し狼狽えてしまったが、殿下はいつもと変わらぬ笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「全く、討伐についてくるだなんて君はなんて無茶苦茶なんだ」
「わ、私はただ、殿下をお守りしたかったんですわ」
「二度も僕に助けられたのに?」
「そ……それは……ごめんなさい……」
私がしおらしく反省をすると、殿下はそっと私の両手を取り自身の額に寄せると、祈るような仕草でその心を漏らした。
「……改めて言うけど、君が無事で本当に良かったよ」
「それはこっちのセリフですわ!!本当に、ほんとうにどれだけ心配したか……ご無事でよかったですわ」
その指先からは、殿下が私の無事を心から安堵しているのが伝わって来た。
私はその温もりに胸がいっぱいになって、身じろぎ一つ出来ず殿下を見つめた。
「あの時は本当に、あんな物渡すんじゃなかったと後悔したんだよ」
真剣な眼差しを向け後悔が滲む声音で囁く言葉に、私は少しだけ罪悪感を覚えた。
どのような言葉をかけたらよいのか迷っていると、殿下はそっと、私の指の傷に触れたのだった。
「傷跡……薄く残ってしまったね」
それは遠征初日に、私が不注意で指を切ってしまった時に出来た傷だった。
「これくらい、近くで良く見ないと分かりませんわ」
「そうだね。でも、近くで見ると分かるね」
そう言って殿下は私の指をそのお顔に近づけて――
そして、私の傷跡に口づけをしたのだった。
「殿下?!?!」
何が起こったのか理解できずに、私は固まった。
いつの間にか逃がさないと言わんばかりに、両手は指を絡められてがっちり繋がれていて、
私の頭は爆発寸前だったけれども、殿下は何事もなかったかのように話を続ける。
「君が武芸に励んでいることは知っていたけども、前に言ってたやりたい事ってこれだったのかい?君は魔物退治がしたかったのかい?」
「す……少し違いますわ」
私は必死で平然を装いながら、それでも目は合わせられずに私は今まで黙っていたことを殿下に告げた。だって、私は隣国に嫁ぐ身。
もう会えなくなるのならば、と胸に内を全て伝えた。
「私は、殿下のお役に立ちたかったんです。私に魔力が無いと分かった時、必死に考えましたの。どうしたら殿下をお側で支えることが出来るか。だから私、あの時にした『一緒に国を造る』という約束の為に女官になると決めましたの。」
「女官に武芸は必要ないと思うけど……」
「いいえ、必要です!不届き者はいつ、どこで、殿下を狙っているか分かりませんもの!」
私が必死に訴えると
ロキシード様は驚いたように目を瞬かせ、すぐに柔らかく微笑んだ。
「で、僕の女官になりたかったから、婚約者候補から降りたかったと」
「はい。内緒にしていて殿下を驚かすつもりでした。……ですが、それももう叶わなくなりました」
「どうして?」
「私……、エアムードへ嫁ぐ事になりましたの」
その言葉を口にした瞬間、ロキシード様は形の良い眉をわずかにピクリと動かした。
殿下の空気がぴたりと止まった気がした。
「それはカラサリス外務大臣が持ってきた話だったね」
「はい。ベイムルードとの今の情勢を考えると、断れない事です。だから誰か高位貴族が嫁ぐしかありません」
「それなんだけど――」
殿下が何かを言おうとしたその時、私はとても大切なことを思い出して思わず声を上げてしまった。
「そうだわ!!私、殿下にどうしてもお伝えしなくてはいけないことがあるのです!」
殿下は一瞬面食らったかのように目を瞬かせたが、直ぐに穏やかな表情へと戻って、私の話を聞いた。
「僕に伝えたい事?それは一体何かな?」
「はい、ロキシード殿下、リリエラ様だけは、婚約者に選んではいけませんわ!」
「……ん??」
ロキシード様は戸惑ったような顔をされていたが、私は構わずに訴え続けた。
だってリリエラ様は絶対に駄目なのだ。だから私はそれをわかって貰うため、力説を続けた。
「私、護衛として彼女の側に居た時に、あの方の本性を知ってしまったのです。
あのお方は、殿下の事でさえも利用しようとしておりました。民など道具とした見ておりません。なので、あの方にとても国母は務まりませんわ!」
私が必死に言葉を重ねると、ロキシード様は困惑と驚きが入り混じった表情で私を見つめていた。
「あー……そうだね。リリエラ嬢はそうだね。大丈夫、僕の婚約者に彼女は選ばないよ」
「まぁ、流石ロキシード様。見抜いていらっしゃいましたか!」
私は、殿下の言葉に心から安堵した。これでこの国は安泰だ。
そして私は胸の奥がきゅっと痛むのを誤魔化すように、そっと微笑んだ。
「……ロキシード様とローゼリア様なら、きっと今以上に良い国になりますわ。私は、遠くエアムードの地から、この国の繁栄と安寧をお祈りします」
泣きたいのを堪えて、私は殿下への秘めた想いを乗せて微笑んだ。
(ロキシード様、お慕いしていました。……どうか、良き国王になってください)
こうして私はエアムードへ嫁ぐ覚悟を決めたのだったが、何故かロキシード様は物凄く変な顔をされていた。
そういえば……ロキシード様は何故私を尋ねたのかしら?
そんな疑問が頭を過ぎった時――
「アディルナ」
殿下が、とても真剣な顔で私の名前を呼んだ。




