ひかる秘密は見えやしない
えらく凍える冬だった。
何年か振りに雪が降って、今も窓の外をチラチラと埃のように地面へ降り注いでいる。
積もるかな。積もったら雪の音を聴きながら歩きたい。
「なぁ」
そんなことに思いを馳せていたとき、隣の席の山田から蚊の鳴くような声で話かけられた。
「なに?」
同じくらいの声量で少し顔を近づける。
近づけると、山田は少し首を引いた。
なんやねん。
「ピアス」
「え?」
咄嗟に耳を隠す。
バレてる?
不安になって身を引くと、山田はそんな私の仕草を何にも気にしてないみたいにほっぺの赤いニキビを爪で撫でながら、また、少し顔を近づけた。
「ピアス、開けたいねん」
あぁ、バレたわけではなかった。
安心して肩の力が抜ける。
「開けたらいいやん」
目線を黒板に向けて、たっちゃん先生の声を聞きながら言うと、意外と冷たい音が口から出た。
突き放したみたいになった気がしてチラリと山田を見ると、山田はまだ私の方を向いていた。
「開けてーや」
大きな口をパクパクさせて、声にならない声で言った。
なんで私なんやろう。聞きたいことは沢山あるけど、私はまた前を向いた。
次はちゃんと無視した形になった。
山田は足で私の椅子を蹴る。
「なぁ」
椅子の位置を直して書けていなかったところの板書をする。
当てられた前川が妙にハキハキした声で本読みをしていた。
「なぁって」
ボリュームが徐々に大きくなる。
「なぁなぁなぁなぁ」
声に合わせて椅子を蹴られ、直そうとした時にたっちゃん先生が気がついた。
「山田ー。横井さんにちょっかいかけないよー」
たっちゃん先生の声で、教室の目が一気に後ろの席の私たちに注がれた。
「たっちゃーん。オレ振られてーん」
山田が泣き真似をしながら言うとクラスに笑いが起きる。たっちゃん先生もニコニコしている。
山田はそういう立ち位置だ。
ふざけても怒られない。
「横井さん、嫌ならちゃんと言うんやで」
たっちゃん先生の言葉にイライラする。国語の先生の癖に人を慰める言葉を知らない。イライラするから絶対に笑わないと決めて返事をしたら、また冷たく突き放した声になった。
まだ視線を感じて隣の山田を見ると、満足そうにニヤニヤとしながら、「放課後な」と言った。
授業終わり、山田は仲のいい男子と一緒にはしゃぎながら教室を出て行った。
それを確認したように、ゆっこが近づいてくる。
「なにあいつ」
メガネの奥で山田の残像を睨みながらゆっこは言った。
「知らんわ」
私は机から次の数学の用意を出す。
「喋んの初めてちゃうん?」
「そうかも」
「中2の終わりにしてアヤにも恋の始まりかー?」
たっちゃん先生みたいなことをいう。ゆっこにもたっちゃん先生も悪気がないから、余計にそう言われるとイライラする。
「そんなんちゃうよ」
「アヤ、可愛いのにな。彼氏おらんの分からんわ」
中学生でちちくり合ってる周りの方が理解できない。そんなこと、口が裂けても言わないけど。
「部活もしてないし、友達もゆっこしかおらんから出来んよ」
自虐的に言うとゆっこは困ったように腕を組む。ゆっこには最近彼氏ができた。自分ができたから、私にも彼氏を当てがいたいらしい。
ゆっこがうーうー唸っていると、教室を出ていた山田の集団がワーワー言いながら帰ってきた。
「あ、帰ってきたわ」
席に山田がつく前にゆっこは「山田はちゃうからね」と私に耳打ちをして席に戻って行った。
友達と別れて席に戻ってきた山田は、私のことなんて見向きもせずに授業の準備を始めた。
ヌルッと始まった数学の授業中も、その後の班わけでの掃除も、山田が私に話しかけてくることはなかった。
あっという間に放課後になり、帰りの号令がかかる。
各々が部活に行ったり帰ったりする中、私は席についたままゆっくりと鞄のチャックを開けたり閉じたりしていた。
ゆっこが「帰らんの?」と声をかけてきたけど、濁らせて彼氏の元へと向かわせた。
山田は上着を着たあと、すぐにどこかに行ってしまったから、あの話はなかったことになったんだろうか。
ため息を一つつき、コートを着て鞄に手をかけた。立ち上がってマフラーを巻きながら教室を出た時、大きな声が背後から聞こえた。
「横井!」
ビックリして振り向くと、山田が走ってこちらへと向かってくる。
私の目の前に来た山田は肩で息をして、寒いのに額に汗をかいていた。
「放課後って言うたやん」
「だって……」
「こっち」
山田は私の前を早歩きで進んでいく。一度こっちを向いて手招きをしたから、私もその後を着いて行った。
少し鼓動が速くなったのは、山田の一歩が私より大きくて、着いて行くのに必死で駆け足になったからだと思う。
着いたのは家庭科室だった。
家庭科室は私たちの教室の対角線上にあって、一番遠い。
山田はポケットから細長い鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んでクルクルと回した。
「今日、家庭科部休みやねんて」
なにも聞いていないのに教えてくれた。
「さっき職員室行ってパチってきた」
こちらを向いてヒヒヒと歯を見せて笑うと、鍵穴がカチッと鳴った。
「開いたわ」
山田は扉を開けると「どうぞ」と言って私を中に招いた。
私はコートのポケットに両手を突っ込んだまま頷いて教室に入る。
背後で鍵の閉まる音がした。
山田は慣れた様子で電気をつけると、9つほど置かれている大きな机の一つに、無造作に上着を置いた。私はその上着を置かれた机近くの椅子に静かに座った。
「あ、こっちこっち」
山田は窓際に置かれている大きな冷蔵庫の近くにある机を指さして、「そっち」と言いながら冷蔵庫のドアを開けた。
「保冷剤」
また聞いてないのに教えてくれた。
「ピアス開けたら即座に冷やさなあかんって、姉ちゃんが」
冷凍室から保冷剤を取り出し、机に置く。
次は冷蔵庫の隣にある棚を開けた。
ピアッサーが2つ。
それも机に置かれる。
「おっしゃ」
山田は教室の時みたいに隣に座ると、くるりと向きを変え、私と対面になった。
「じゃあ、よろしく」
ピアッサーをひとつ、手渡される。
「これ……」
「ピアッサー。知ってるやろ?」
「知ってるけど……」
「やっぱり」
やっぱり?
「横井さ、ピアス開けてるやろ?」
バレていた。
誰にもバレてなかったのに。
「あー、大丈夫大丈夫。誰にも言わんし。開けてるって多分ほかの奴は気付いてないし?」
「そうなん?」
「噂、聞いたことないもん」
それは、私の空気が薄いからでは?
「自分で開けたん?」
「うん」
「痛なかった?」
「あんま。音がすごい」
「音?」
「バチンッ!」
私が大きな声でそういうと、山田は肩を少し震わせた。
「って、結構な音が耳元でする」
「こえぇぇぇ」
驚く山田が面白くて肩の力が抜ける。
「ピアス開けてるって、いつ気付いたん?」
「夏休みに開けすぐかな?」
そんなにすぐにバレていたとは……
周りなんて見てなくて、仲良くないただのクラスメイトには興味なんてないと思っていた。
「一ヶ月くらいで安定するん?」
「ううん。三ヶ月くらいはファーストピアスつけてた」
「ヤバ」
髪が長いのと耳が小さいのと私の影が薄かったからか、注意もされなかった。ゆっこも気付いてないんじゃないだろうか。
「よう気付いたね」
「分からん方が分からんわ」
山田は細い目をさらに細めて微笑んだ。
私は「ふーん」と言いながらピアッサーの袋を開けた。山田にそう言われるのがむず痒くて、背中がソワソワする。手が震えた。
「緊張してるん?」
不安そうに聞かれて、「寒いだけ」と言った。
「山田は?緊張してないん?」
「めーーーっちゃしてる」
「なんで開けたいん?」
「横井は?なんで開けたん?」
「なんとなく」
「じゃあ俺も」
そう言われたから、それ以上はなにも聞かなかった。
私たちには、部活を辞めたとか親が離婚したとか、高校受験とか、ピアスを開けただけでは解決しない問題が沢山あって、でも、ピアスを開けて風穴を開けたい……なんて事を安易に考える中学生。
山田にも色々ある。
本当に、たぶん色々。
「じゃあ開ける」
「おう!」
手には保冷剤を握り締めた山田は、目を瞑りながら声を張った。
私は場所を確認しながらピアッサーを耳に当てる。
「いくよ」
「ん」
山田にも、何かを変えるための風穴が開く。
それをするのが自分であるってことが、少し誇らしく、勢いをつけてピアッサーを押した。
バチンッ
音と共に、山田が「うわー!」と叫んだ。
キャッチと針が刺さっているかを確認して、ピアッサーを外す。
「痛かった?」
山田は無言でコクコクと何度も頷く。
机にはもう一つ、ピアッサーが置かれている。
「片方もするん?」
山田は少し間を開け、一つ、頷いた。
やっぱり誰かに開けられると痛いのか。あとで謝ろうと決め、私はもう片方の耳にも同じ事をした。
バチンッ
手の血管が分かるほど保冷剤を握りしめてはいたけど、次は叫ばなかった。
「終わったよ」
ピアッサーを外し、山田を見ると、やはり少し涙目になっていた。
「保冷剤、あてた方がいいよ」
「はーーー」
ため息をつきながら、山田は保冷剤を耳にあて、「痛くはないな」とか嘘をほざく。
「どう?似合ってる?」
毬栗頭にピアスは、正直似合っていなかった。
「髪の毛伸ばしたら良い感じになるんやない?」
「冬の間に伸びるかな?」
「少しくらいは伸びるやろ」
それより、明日も学校はあるのにどうするんだろうか。
でも、山田は嬉しそうに耳をいじりながら言った。
「開けてもらって良かったわ」
薄暗い家庭科教室に、ファーストピアスがキラキラと光っている。
「あ」
山田はなにかを思い出したように鞄の中を探る。
「確かこの中に……」
そこから取り出されたのは、掌サイズの小袋だった。
「はい」
それを私の前に差し出される。
「なに?これ」
「ピアス」
「え?」
「やるわ」
渡された袋をあけると、確かにピアスが二つ入っていた。小さな金のリングの形をしていた。
「ピアッサーに、ピアスって付いてんねんな」
山田は「知らんかった」と鼻を掻きながら言った。
照れているみたい。
「でも……これ、自分用なんやろ?私がもらってもええの?」
「俺、今のピアスつけとかなあかんのやろ?」
「そやけど……ファーストピアスが慣れたら他のつけれんねんで?」
「えー、じゃあお礼?ってことやったらええんちゃう?」
「お礼……」
「あ、でも男っぽいかぁ」
確かに、男の子っぽい感じはする。でも、せっかくのお礼なら私は持っていたいと思った。
「なら……」
私は袋からピアスを一つ取り出して、右手へ、左手にあるピアスの入った袋を山田に差し出した。
「一つだけ、もらっとくわ」
私の言葉に山田はキョトンとして、受け取り、それをマジマジと見つめた後、一度だけプッと吹き出してそれから大きな声で笑った。八重歯が少し見えた。
「ひとつって……お揃いみたいやな」
山田がそんなことを言うから、私は途端に恥ずかしくなった。
「やっぱなし!返して!」
私が強く言っても、山田は笑ったままだった。
「えーやん、お揃い」
そんなことを目を細めながら言う。
ええんかな、お揃い。怒るのも恥ずかしくなるのも馬鹿みたいに思えて、私は袋を握りしめた。
「帰ろか」
ひとしきり笑った山田は「はーぁ」と息をついて立ち上がり、鞄を持った。
「帰らんの?」
袋を握りしめたまま座っていた私に言う。
「帰る」
そう言って立ち上がり、山田の後ろをついていく。
家庭科室のドアを閉め、鍵を手の上で遊びながら、山田はご機嫌に口笛を吹いた。
「寒いなぁ」
窓の外は雪が降っていて薄暗い。
「ピアス、バレたらどないすんの?」
雪を見ていると、不意に口から出た。気にはなっていて、今聞かないと一生聞けない気がした。
「どないもせんよ」
山田は跳ねるようにそう言った。
「明日から次の学期まで休むし」
「そうなん」
「うん」
それってもう、学年変わってるやん。なんて、そんな当たり前のことは言わなかった。「ふーん」と魔抜けな声を出した。
「やからさ、悪いんやけど、鍵……」
手渡されたのは家庭科室の鍵。山田が職員室から勝手に持ってきた鍵。
「返しとく」
私は鍵を受け取る。忘れないように制服のポケットにいれた。
靴箱について、外に出る。山田は「ありがとな」と言い「色々と」と付け加えると、一度だけ私に手を振って、そのあとは一目散にかけて行った。
小さくて細い山田の背中が白い世界に消えていく。
まるで吸い込まれるようにどんどん、どんどん見えなくなって、もう全く見えなくなるまで、私はその背中を見つめていた。
山田のピアスを開けたことが嘘みたいなのに、袋がずっと私の右手にあることだけが事実を語っていた。
次の日、朝早くから学校に行き、職員室の先生が少ないのを確認してから家庭科室の鍵を返した。そして山田は確かに学校に来なくなった。来なくなってから3年生になって、山田とはクラスが変わって、何度か山田を見かけた。耳にかかった髪の毛が全然似合っていなかった。
卒業式、私は背が伸びた山田を見た。
右耳に金のピアスがあるのを見た。左耳には何もつけてないように思えたから、あの時のピアスだと思うことにした。
「アヤってピアス開けてるんだね」
テレビを見ている時、私の長い髪の毛を弄っていた彼氏のケンちゃんが言った。
「今更すぎる」
「今更?」
「開けたの中学生の時だもん」
「マジか」
彼は髪の毛から手を離して次に耳を触る。
「こちょばいよ」
「ギャルだったの?」
ケンちゃんは何に心配してるのか分からないけど、不安そうな声で聞いてきた。
「ギャルじゃないよ」
「中学生でピアス開けるとかギャルじゃん」
ふふっと笑ってしまう。
「そんなんじゃないよ」
本当に、そんなんじゃなかった。
「そうなの?」
「うん」
あれから、何人かに「ピアス開けてるんだね」と言われた。
真面目な性格と大人しい見た目にピアスが合わないのか、指摘してきた人はみな驚いていた。
指摘されるたびに、私はあの時の男子中学生を思い出す。
成人式の日、私は初めてあの金のピアスをつけていった。
深い意味はなかったと思う。
あったかもしれないけど、山田は成人式に来ていなかったから、深いことにはならなかった。
それからは、あのピアスは私のアクセサリーボックスの奥深くで眠っている。
「次の誕生日プレゼント、ピアスをあげようか」
耳をいじったまま、ケンちゃんが囁いた。
息が耳にかかって本当にこちょばい。
「じゃあ私がケンちゃんの耳に風穴を開けてあげる」
そう言うと彼は微笑んで私にキスをした。
私は彼の薄い耳たぶを触りながら、これなら開けやすそうだなと思った。
今年、27になって初めてピアスを開けました。
開けて半年近く経ちますが、いまだにファーストピアスを着けておかないと不安になります。




