7.私は私のままでいい
程なくして篤志の高校に到着すると、私は自転車を停めて足早に体育館へ向かった。
篤志はまだ部活中だろうか。それなら終わるまで待つつもりだ。
篤志が邪魔に思ったって、誕生日を言い訳にすればいい。
それくらい、今日の私は強気だった。
――どうせ失恋記念日になるなら、思いきり玉砕してやろうじゃないの。
体育館への行き方はちゃんと覚えてる。
篤志にもうすぐ会える――そう思うだけで一層気持ちは昂って、いつしか駆け足になっていた。
「…坂下さん?」
体育館へ続く最後の角を曲がったところで、私は横から声をかけられた。
振りむくと、そこには原田さんとバスケ部顧問の先生がいた。
二人揃って体育館に向かうところだったようで、驚いた視線を私に向けている。
「こんにちは。今日も眞中くんに用事が?」
あの日と変わらない優しさを携えて、彼女は私に微笑んだ。
前回の私はその瞳に全ての自信を奪われたけど、今日は違う。今の私は、視線すら逸らすことなく彼女と対峙できる。
「いえ。ただ、篤志に会いに来たんです。そして――」
自分でも、自分が止められない。
だけど不思議といい気分なの。きっとそれは自分に正直になれたから。
「あなたに、宣戦布告に来ました」
え、と原田さんは勿論、顧問の先生まで面食らった顔をしている。
私だって、直接こんなことを言うつもりはなかった。
だけど彼女にも知ってほしかったんだ。私の、揺るがない決意を。
「私、篤志のことが好きです。篤志が、あなたのことを好きでも、それでも私は篤志が好き!あなたのこと嫌いじゃないけど…女として勝てるとこなんて一個もないし、憧れてさえいるけど、でも負けません!例え篤志があなたのこと好きでも、私は篤志のこと絶対に諦めたりしませんから!」
呼吸すら惜しんで、一気に言い放った。
私の勢いに圧倒されたのか、原田さんは呆然としている。隣の顧問の先生も困惑気味だ。
数秒、沈黙。やがてそれを破ったのは顧問の先生だった。
「…原田。俺、先に行ってるな」
顧問の先生は原田さんに静かにそう言い残すと、私を追い越して体育館へと向かう。
私の勝手な告白に付き合わせてしまったことが申し訳なくて、すれ違いざまに頭を下げたら、苦笑しながらも「頑張って」と励ましてくれた。
そうして残った私と原田さんの二人の間に、再び沈黙が訪れる。
だけど彼女はやがてふっと微笑み――そして私にこう言った。
「坂下さんって、すごいですね」
その反応は、少なからず私の期待を裏切った。
だって彼女は篤志の恋人、もしくはそれに近い存在のはずで、恋敵となる私のことを快く思うはずがない。
だから私はてっきり、原田さんからは私を否定する言葉が紡がれると思っていたのに、いま彼女はその正反対の行動をとっている。
そう、全く焦りも苦悩も憎悪も見られない。
それどころか私に向かう視線はどこか羨望にも見えて…。
「眞中くんのこと、本当に好きなんですね。私、応援します」
「…は?」
意味不明な言葉だった。
一体何処の世界に、自分の恋敵を応援する人がいると言うのだろうか。
「そんなこと言って、いいんですか?だって、二人付き合ってるんでしょう?」
混乱しながらもできるだけ冷静に尋ねた。
もしかすると、彼女の余裕なのかもしれないと思ったからだ。
私がなんと言おうと篤志は自分から離れていかないという、愛されているからこその絶対的自信があるからそう言えるのだろうか、と。
だけど彼女はそんな私の問いに苦笑しながら首を横に振った。
「いいえ、付き合っていません。眞中くんからそう聞いたんですか?」
「そうじゃないですけど…でも、篤志を見てればそんなこと」
「私なら、その人に確かめたい。大好きな人の言葉を一番に信じたい。そうでなきゃ、自分から大事なものを失ってしまうから」
「え…?」
「…なんて、私もそれで大きな失敗をしてしまったから言えることなんですけど」
「ええと、待って、あの…?」
話についていけなくて眉をひそめると、彼女ははっとして「ごめんなさい」と謝った。
「つまり、私が言いたいのは、思い込みが全くの見当違いだった、なんてこともあるってことです。少なくとも私にとって眞中くんは友人だし、それに…私は他に大好きな人がいるから」
「え…」
それは何よりも、予想外の言葉だった。
だってその言葉の意味するところはつまり――原田さんは篤志を好きではないということ?
説明を求めるように彼女を見つめると、彼女は笑ってこう答えた。
「私は、坂下さんと眞中くん、お似合いだと思いますよ」
どれだけ心が広い人でも、恋敵に対してこんなことを言える人はいない。
そう思って、ようやく私は気付いた。ずっと、勘違いしていたことに。
二人の矢印が、向かい合ってはいないことに。
「それに、坂下さんは私に勝てるところなんて一つもないって言ったけど、そんなことありません。誰かの前で誰かを好きだって言えるその勇気、すごいです。私も見習いたい」
「え」
「私も、そうやって言えたらいいのに。大好きな人を、誰の目も憚らず、大好きだって言えたらいいのに…」
呟いた原田さんの瞳が寂しそうに翳る。
それだけで私は分かってしまった。彼女が篤志ではない誰かに恋をしていること。
そしてその恋はそう簡単に誰かに打ち明けられるような単純なものではないことも…。
「でも、大好きな人に大好きだって言えるなら…、言ってもらえるなら、それが一番幸せなことじゃないですか」
そう言ったら、彼女が驚いたように顔をあげた。
だけどそう思ったんだから仕方ない。だってそれは私自身のことだったから。
好きな人がいて、相手も自分を好きだと言ってもらえたなら、それ以上の幸せが一体どこにあるというの?
例え誰にも言えない恋だったとしても、好きな人の一言があればそんなの吹き飛んでしまう。
ぎゅっと抱き締められてキスされれば、どうでもよくなってしまう。
だって誰かのために好きになったわけじゃないもの。自分の気持ちと相手の気持ちだけを、私は何より大事にしたい。
「…そうですね。本当、そうです。坂下さんの、言うとおり」
頷いてくれた原田さんも、私と同じように思い当たるところがあるのだろうか。
そして「大好きな人」を想い浮かべているのであろう彼女の表情は確かに、見たこともないくらいに綺麗で。そうして、私もはたと気付いた。
――今までなに一つとして彼女には勝てないと思っていたけど、本当はそうとは言い切れないかもしれない。
原田さんが私にないものを持っているように、私もまた原田さんにないものを持っているんじゃないだろうか。
ならば、無いものねだりをするより、自分が持つものを磨いていきたい。
いつか篤志に私自身を見てもらえるように、頑張ってみたい。
今はまだ自分の魅力なんてちっとも分からないけど、私にしかない何かを見つけられたなら、篤志との関係だって何かが変わるかもしれない。
そう考えたら、尚更前向きになれる気がした。
そしてそれを教えてくれた彼女は、勘違いであったとしても、やはり私にとって最高の恋敵だと認めざるをえない。
「…篤志が好きになったのが、あなたでよかった」
言いながら、なぜだか涙がぽろぽろと零れていた。
それは、彼女が恋敵でなくてよかったという安堵と、彼女が恋敵でなかった残念が複雑に入り混じっている。
「これ、どうぞ」
最初の勢いはどこへやら、泣きじゃくる私に彼女がハンカチを差し出した。
そのハンカチからは石鹸の香りがして、清純な彼女そのものを表している。
こんなときでも、こんな私にも、彼女はやっぱり優しい。
だからどうしたって嫌いになんてなれない、と思った。
少なくとも、想いが膨張して…思わず変なことを感情のまま口走ってしまったくらいに。
「私、やっぱりあなたのことが好きです…っ」
「…え?」
嗚咽をあげながらそう告げると、彼女が目を大きく開いた。それを見て、あまりに言葉が足りないことに気付く。
私は借りたハンカチでみっともない涙を拭くと、慌てて補足した。
「あ、ちがっ、恋愛的な意味じゃなくてっ!人間として好きだって意味ですっ!!」
最初は勇ましいこと言ってたくせに、今はボロボロの泣き顔で言い訳してる自分がとても情けない。
さすがの彼女も、同性からこんなことを言われたのは初めてだったのだろう、暫く沈黙したあと、ぷっと吹き出して笑いだした。
そうして照れたように笑って言ってくれたのだ。
「私も、坂下さんのこと好きですよ」と。




