5.それでも私は
数週間後の土曜日、私は都内にある大手百貨店のメンズフロアにいた。
兄弟も彼氏もいない私がこんなところに来た理由はただひとつ。友達の買い物の付き添いだ。
なんでも父親からいくつか買い物を頼まれたらしい。
よく来るのか、友達は迷うことなく目的のショップへと進んでいく。
私はといえば、うちの父さんは仕事柄作業着ばかりだし、ブランド物にも全く興味を持たないので、こういう場所には縁がない。
最初は友達の影に隠れるようにしていたけど、そのうち雰囲気にも慣れてきたので、友達が買い物を済ませている間に他のショップを見て回ることにした。
「私、あっちのお店見てきてもいい?」
「もちろん。自由に見てきて」
手を振って友達と別れたあと、私はなんとなく隣のお店に足を踏み入れた。
お客さんは当然ながら、男の人ばかりだ。その中にぽつんと女の子は私だけ。
多少の居心地の悪さはあるとはいえ、レディース物とは違う品々を見るのは思ったより楽しい。
――これ、篤志に似合いそう。
――これ、篤志が好きそう。
いつの間にか、そんなことを考えだしていた。
なんの意味もない想像だって分かってる。
だけど十数年という時間はあまりに長く、そう簡単に吹っ切ることなんてできない。
(きっと私のことなんか、嫌いになっちゃったよね…)
こぼした深い溜息は、すぐに溶けて消えた。
あの日以来、篤志とは連絡はおろか会ってもいなかった。
学校も違うし、登校時間も帰宅時間も違う。だから、意図的でなければ会うことは絶対にない。
会わなければそのうち篤志のことも忘れられるはず…そう期待していたのに、現実は何もかも逆だった。
ふとした瞬間に思い出す、あの日の横顔。
傷つけてしまった罪悪感は、今も私を苛んでいる。
後悔は胸に焼き付いて、何度時間を戻せたらと願っただろう。
そして何より――窓の向こうに見える篤志の部屋が灯るたび、涙が出てくるんだ。
ねぇ、篤志。今でもまだ怒ってる?最低な奴だって思ってる?
それとももう私のことなんて忘れてて、原田さんのことしか考えてないのかな。
それでも、私は篤志のことばかり想ってるよ。自分勝手だって、分かってるけど…。
「――あ、ねぇねぇ、これは?キーケース、いいんじゃない?」
突然、背後から明るい話し声が聞こえてきて、はっと我に返った。
ちらりと振り返ると、若い女の子二人が向かい側のショップで何やら覗きこんでいる。
「今使ってるのもだいぶボロくなってきたし。んーでも予算厳しい?」
「これくらいなら…大丈夫。デザイン良いね。色も好きそう」
――後者の声を聴いた瞬間、身体中に衝撃が走った。
「それにしても紗妃は偉いね~。私だったら絶対自分の為に使う、こんな大金。私の孝太へのクリスマスプレゼント聞く?リサイクルショップで買った中古のゲーム、ラッピングはもちろん100均です」
「佳穂ったら」
くすくす笑うその柔らかな声音に心臓が凍りつく。
――ああ、どうして。
こんなところで出会ってしまうの。
「でも結局は気持ちが大事じゃない?紗妃と一緒に過ごせるだけで嬉しいはずだけど」
「…そうだとしても、やっぱり何かあげたいなって。いつもお世話になってるし」
「むしろ紗妃がお世話してるって感じなんじゃない?クリスマスってだけで夜は眠れないだろうし。よかったね、冬休みで。朝寝坊できるよ」
「か、佳穂っ」
内緒話するかのように小さな声だったけど、数メートルも離れていない私にははっきりと聞こえた。
だけど何より私を打ちのめしたのはその内容だ。
約1ヶ月後に迫ったクリスマス。そのためにメンズ用プレゼントを選ぶ原田さん。そして「夜は眠れない」と形容したその意味。
私だってもう何も知らない子どもじゃない。それが意味することくらい、分かっている。
(彼氏へのプレゼント、買いに来たんだ…)
――でもそれが篤志かどうかは分からない、だってあの時彼女は否定したじゃない。
どこまでも諦めの悪い自分がそう叫んだ。
だからここから離れて、今なら気付かれずにこの店を出ていけるから、と。
だけどどうしてだろう。心が必死で警告しているのに、体は歩き方を忘れてしまったかのように動かない。
「ほんと理解不能、なんであんな奴なわけ?紗妃って男の趣味悪いよね」
「そんなことないよ。すごく優しくて面白くて、私のこと大事にしてくれる。私にはもったいないぐらいだよ」
「私からすれば紗妃がもったいないよ。だってさ、皆に付き合ってること秘密って、私絶対耐えられないもん」
「…それでも、私は彼がいいの」
「ふーん。バスケしか取り柄がないのにねえ。あ、あと数学が得意なぐらい?」
賑やかな会話を背後に、私はようやくその場から逃れた。
それでも手は汗でぐっしょり、鼓動もやけに速い。
治まれ、治まれ…!もう篤志のことは忘れるって、決めたんじゃない!
そう念じても体が言うことを聞かない。まるで彼女の存在そのものを恐れているかのように、震えている。
私は慌ててトイレに駆け込むと、鍵を閉めて大きく息を吐いた。
何度も深呼吸を繰り返してようやく落ち着いてきた頃、安堵からか体中の力が抜けて、へなへなととその場にしゃがみこんだ。
(――やっぱり、篤志なんだ)
ぐっと込み上げてくる涙を、何とか堪えた。
目の前に横たわる事実はいつだって残酷で、また胸をきつく締め付ける。
…そんなの、とっくに覚悟の上だったのに。
それでももしかしたらという淡い期待が、いつしか私が縋るたった一つの希望になっていたのだと気付く。
だけどそれもたった今消えてしまった。希望は絶望に変わり、今日も私を嘲笑う。
――さっきの二人の会話で、全てが解ってしまった。
名前こそ出さなかったけど、彼女達のキーワードはどれも篤志に当てはまる。
あの日原田さんが否定したのも、部員達には内緒だったから。
あるいはもしかしたら…私がいたからかもしれない。
「はは、なーんだ。ばっちり両想いなんじゃん、あの二人」
まるでなんでもないことのように呟いたけど、その言葉に傷付いたのは他でもない私だった。
ふと、脳裏に恋人同士の二人が思い浮かんだ。
篤志と原田さんは幸せそうに見つめ合い、微笑んでいる。
想像の中でさえ、二人はパーフェクトなカップルだった。
篤志は彼女をとても大事にするだろう。それこそ、一途に想い続ける。
彼女は篤志にとって誰よりも特別で、大切な人だ。そんな篤志に深く愛されて、彼女は誰よりも幸せになる――。
「ほんと、いい加減に諦めなくちゃ…」
幾度となく言い聞かせているのに、頑固な心は頷いてくれない。
だけどもう無理だよ。このまま想い続けるなんて辛すぎる。こんな恋、ただ悲しいだけでしょう?
やっぱり、欲張らずにただの幼馴染のままがよかったのかな。そうしたらずっと側にいれた?
でもどっちが良かったのかなんて、私にももう分からない。
解っているのは、泣きそうなくらいに篤志が好きだってこと。
悔しいくらい、原田さんが羨ましいってこと。
――死にそうなくらい、いま篤志に会いたいってこと。




