3.失恋の予感
部活の顧問から許可をもらって、私は校門から少し離れた木陰のところで待たせてもらうことになった。
彼女――原田さんはもうじき帰ってくる部員達のために、慌ただしく準備をしている。
それでも私にスポーツドリンクをくれたり、冷えたタオルを差し出して声をかけてくれたりしてくれて、逆に申し訳ないくらいだった。
顧問の先生はといえば、最初に軽く挨拶して以来、簡易チェアに腰掛けて部活用のタブレットを眺めている。
篤志から、顧問の先生――実はクラス担任の先生でもあるらしい――の指導が厳しいことは聞いていたから、いつの間にか私の中では漫画にでてくるような頑固おやじのイメージが出来上がっていたんだけど、そのイメージとだいぶ違う。
見たところ二十代後半、見た目はかっこいいし、普通にモテるんじゃないだろうか。
原田さんも表情を綻ばせて話しているし、きっと生徒にも慕われているんだろうなと簡単に予想が付いた。
と、顧問の先生が突然タブレットを閉じて立ち上がった。二人の空気が緊張したものに変わったのを感じた直後、慌ただしい足音が聞こえてきた。
事態を理解して私も立ち上がったそのとき、校門に一人の男子が駆け込んできた。
誰か確認しなくたって、私にはその空気だけで分かる――篤志だ。
「お疲れさま。16分13秒、昨日より2秒も短縮だよ」
すかさず原田さんがタオルとドリンクを差し出すと、荒い息のまま「サンキュ」と篤志がそれを受け取った。
何気ない場面のはずなのに、それだけで私の胸が締め付けられる。
――お願い、それ以上篤志に近づかないで。
「眞中、来客だ。落ち着いたらもてなしてやれ」
顧問の先生がそう言って私に一瞬視線を移す。
それに促されて視線を向けた篤志は、私の存在を認めると同時に驚きの表情を浮かべた。
「愛美…なんでお前」
篤志は戸惑いながら私の方へ歩み寄る。
そうしている間にも駆け込んでくる足音がどんどん増えて、私に気づいた部員たちの興味津々な視線が突き刺さるのを感じた。
「こ、これ!おばさんに頼まれたの!!」
私はずっと抱えていたバッグを乱暴に突きだした。
緊張のあまりぶっきらぼうな態度になってしまったけど、後悔してももう遅い。
篤志はバッグの中を確認してため息をついた。
「…こんなの、マネージャーに渡しておいてくれればよかったのに」
篤志の言葉はもっともだった。
だけど、篤志に会いたかったから…。
そう素直に言えたらよかったのに、私の口から出るのは可愛くない言葉ばかり。
「べ、別にそれでもよかったんだけどさっ!おばさんに確かに篤志に渡しましたって言いたかったからっ」
「シャツの着替えなら部室にもあるからわざと持っていかなかったんだよ。帰ったら言っておく。悪かったな、わざわざ」
「別に、暇だったし!」
…ああ、我ながらどこまでも不器用。
本当は「お疲れさま、一位なんてすごいじゃん」って声をかけて、この後のバスケも応援しようと思ってたのに。
篤志は振り返り、部員達にタオルを手渡す原田さんの元へと近づく。その背中が、苦しいほどに私の胸を締め付けた。
「ごめんな、紗妃。何か迷惑かけられなかった?」
「ううん、そんなことないよ。むしろ荷物運ぶの手伝ってもらって助かったの。あ、よかったら、この後の練習も見てもらったら?」
「いいよ。ただ届けに来ただけらしいから」
「でも…」
「おい篤志、浮気すんなよー」
「原田がいながら贅沢すぎ!」
他の部員たちの冷やかしに、原田さんが「そんなんじゃないからやめて」と反論した。
ということは、二人は付き合っているわけではないのだろうか――微かな期待が疼いたけど、篤志は「うるせえな。お前らに関係ねえだろ」と言うにとどまった。その一言に、私の期待はすぐに砕け散ってしまう。
だって付き合ってるかどうか以前に、篤志の気持ちが決定的に解ってしまったから。
(やっぱり、彼女のこと好きなんだ…)
彼女を想っているから、部員の冷やかしですら否定しない。
たとえ私がいたってそれは同じ。
…そしてトドメと言わんばかりに、その次に篤志の口から出た一言が、私の心臓を深く突き刺した。
「紗妃、言っておくけどこいつはただの幼馴染だから」
まるで、雷に打たれたような衝撃。
込み上げてくる涙は何とか必死に堪えたけど、ショックで息が上手く出来ない。
『ただの幼馴染だから』――そんなの、最初から分かっていたことだった。
だけど直接言葉にされるのとではまるで重みが違う。…まるで、違うよ…。
篤志の一言に、「ヒュー!」と部員たちの冷やかしが更に大きくなる。
「眞中くんまで、もう!」と慌てふためく彼女を、私は身勝手ながらも恨めしいと思った。
だって篤志に想われているのに篤志を選ばないなんて、理解できない。
十何年隣にいる私ですら届かない場所なのに、どうして手を伸ばさないの?
私なら死ぬほど欲しい。篤志の彼女になれるなら何だってする。毎日篤志を想って、篤志を支える。
ねぇ、教えてよ。
どうやって篤志を振り向かせたのか。
どうしたら私にも手が届くのか。
彼女が心底羨ましい。私にないものを全て手にしている。
女の子らしい容姿、細やかな気配り、誰もを惹きつける笑顔。
いっそ、篤志と過ごしてきた十数年を捨ててしまいたい。その代わりに篤志の未来を手にできるなら、私はそっちの方がいい。
そうしたらこんな辛い想いしなくて済んだ。
彼女みたいな「他人」だったら、私もきっと好きって言えた。
なのにどうして、私は私なんだろう。幼馴染といいう壁は、こんなにも高い。
私は竦む両足を叱咤すると、なんとか涙を堪えながら、誰にも気付かれないようひっそりとその場から逃げ出した。
だってこれ以上、篤志が彼女を見つめているのを見たくなかったから。
一秒でも早く、一歩でも遠く…二人から離れたところへ行きたかったから。
――だけど、膨らんだ想いはついに溢れ出して、校門を出たところで私はぴたりと立ち止まった。
目の前の交差点を明るい休日を楽しむ人が陽気に行き交う。
それは今の私にはあまりに眩しすぎたから、私は一人背を向けて蹲ると、小さな声で泣いた。




