2.恋敵なのに
「うう…緊張するなぁ」
見慣れない大きな校門の前で、私は大きなため息をついた。
腕の中のトートバックをぎゅっと抱きしめ、大きな深呼吸をもう一度。
それで覚悟を決めると、足を一歩踏み出した。
ここは隆章学園。篤志が通う私立高校だ。
日曜日のせいか、生徒の通りはほとんどない。
だけど時折すれ違う部活生から向けられる不審げな視線に、私は早くも心が挫けそうだった。
ていうか、そもそも近所に行くような感覚で私服で来てしまったのが間違いだったのだ。――つまり、完全に浮いている。
私の高校は私服だから、制服は中学時代のものしか持っていない。
だけど中学の制服で行ったりしたら、絶対篤志に笑われるに決まってる。
だからこういう視線もある程度覚悟はしていたけど、実際に直面すると居心地の悪さはこの上ない。
(でも、ここまで来たんだから!)
今にも引き返したくなる自分を諫めて、私は早足で体育館を探した。
本当はすぐにでも帰りたいけど、おばさんの頼みを無下にするわけにもいかない。
…そう。休日の今日、私がわざわざ他校までやってきたのには理由がある。
実は、篤志の家にご飯のおすそ分けに行ったところ、篤志のお母さんに用事を頼まれたんだ。
なんでも、今日は一日部活なのに着替え用のシャツを忘れて行ったらしい。
汗だくのシャツで一日を過ごすのは気持ち悪いだろうからって、おばさんらしい優しさだ。
他に予定のなかった私はそれを引き受け、今に至る。
「あれ?誰もいない…」
広い校内を潜り抜けて体育館にたどり着いたけど、中を覗いてみても、篤志はおろか、バスケ部員は誰もいなかった。
ボールやスコアボードなどは出されてあるので、部活があることには違いなさそうなのだけれど。
「困ったなぁ…」
時計を見ると11時50分。お昼休憩に間に合うようにと急いできたのだけれど、もう休憩時間に入ってしまっただろうか。
何はともあれ、まずは篤志を見つけないと。ここで待っていても会えるとは限らないし、私ってじっとしていられない性格なのよね。
「とりあえず、連絡してみよ」
呟きながらバッグから携帯を取り出して、メッセ―ジを打ち始めた――その時、突然後ろから声をかけられた。
「何かお困りですか?」
振り返ると、そこには私と同年代の女の子が立っていた。
この学校のジャージを着ているから、ここの生徒だろう。
その手にタオルや飲み物が詰まったカゴを抱えて、私を訝しげに見ている。
「あ…えっと、男子バスケ部の練習を…っ」
うまく口が回らなかったのは、突然声をかけられて驚いたからもあるけど、それだけじゃない。
その子を前に、思わず見とれてしまう自分がいたからだ。
(ええ、ちょっと待って!この子、めっちゃ可愛いんですけど!)
その衝撃はなんと形容したらいいのだろう。
少し大き目の瞳に、サイドで結んださらさらの髪。透き通るような柔らかい声、そよ風に乗って届くほのかな甘い香り。
ジャージ姿なのに「女の子」の雰囲気を全身から感じる。でも決して主張しているわけではなく、滲み出る感じ。清純派の女の子ってこういう子のことを言うんだろう。
つまり、悲しい哉、私とはまるで正反対ということである。
「男子バスケ部…?バスケ部の誰かに御用ですか?」
「あっ、うっ、えっと、はい!ま、眞中篤志のっっ!」
完全にテンパった私はぎこちない動きで何とか言葉をつないだ。
うわーん、だってこんな美少女と話す機会なんてそうそうないから…!
「眞中くん…?眞中くんの応援ですか?」
「は、はい!あ、あの、でもファンとかじゃ全然なくって!篤志のお母さんに頼まれて、シャツの替えを忘れたっていうので、もう仕方なく…っ!!」
篤志はバスケ選手としてはそれなりに地元では有名で、中学時代から他校ファンが多い。
そのファンの一人だと思われたくなくて必死に言い訳したんだけど、彼女は一瞬目を丸くして、その後小さく吹き出した。
うわぁ…笑ってなくても相当な美人だけど、笑うとそれを上回るぐらい魅力的だ。
…なんて感心してる場合じゃなくって!!
(って、あれ…?)
ちょっと待って?何が面白かったの?
私、何も笑わせるようなこと言ってないはずなんですけど…。
「あ…ごめんなさい、失礼しました。私、男バスのマネージャーやっています。男バスは、いま外周を走ってるところなんです。あと5分ぐらいで帰ってくると思うので、よかったら裏門で待ってますか?それとも荷物お預かりしましょうか?」
「あーっと…できれば自分で渡したいので、じゃあ待たせてもらっていいんですか?」
「もちろん。先生…監督に聞いてみますね」
「すみせん、ありがとうございます!」
私は喜んでその提案に乗った。
だって、せっかく来たからには篤志の顔を見ていきたいもんね。
とはいえ一人で待ってるのも、一人で裏門を探すのも面倒だ。
それなら有難くお言葉に甘えて篤志が戻ってくるのを待つことにしよう。
彼女は微笑んで頷くと、「こっちです」と歩き始めた。
「ここに来るのは初めてですか?広いから、きっと迷ったでしょう?」
「あ…はい。体育館まで来るのも一苦労でした。なのに篤志いないし…」
「私も、実はこの学校に転校してきたんですけど、最初は教室とか全然分からなくてちょっと苦労しました」
彼女は初対面の私に対して気を遣ってくれているようで、私の緊張をほぐすように話しかけてくれる。
その優しさが嬉しく、何かお礼をしたいと思って、私はカゴに積まれた荷物を半分ほど抱えた。
「あ、そんな、申し訳ないですっ」
「いいえ、大丈夫です。私、これでも力には自信あるんです」
得意げに笑ってみせると、彼女がまた微笑んだ。
うーん、やっぱり可愛い。写真に撮ってずっと見ていたいぐらい。
女の私でさえそう思うんだから、この子の周りの男の子は尚更そうなんじゃないだろうか。
「ところで、眞中くんのお母さんから頼まれたってことは…ひょっとして、眞中くんの幼馴染ですか?」
「えっ!あ、ええ、まぁ…その、腐れ縁で…」
言いあてられてごにょごにょ呟いていると、また彼女が笑った。
「眞中くんから、話を聞いたことがあります」
「は、話?」
「はい。小さい頃ベッドでおねしょされたとか、大事にしてたおもちゃを壊されたとか、いつも勉強の手伝いをさせられるとか…」
「あ…」
思い当る節がとってもありすぎて、私は顔を赤くして俯いた。
あ、篤志めーっ!何もそんな恥ずかしいこと言わなくたっていいのに…!!
初対面なのに、私の第一印象ガタ落ちじゃんかー!!
「もしよければ、名前、教えてくれませんか?私、原田っていいます。眞中くんとは、実を言うとクラスメイトでもあるんです」
「――え?」
それまで軽快だった私の足が、その歩みを突然止めた。
聞こえてきた名前に、聞き覚えがあったからだ。
嫌な予感がする。それも、女としての勘だ。
篤志だけをずっと見てきた私だから分かる予感。
もしかして…この人が。
「原田紗妃、さん…?」
あの日からずっと忘れられない名前を口にすると、彼女が驚いたように振り返った。
「…どうして、私の名前…?」
肯定の言葉は、私を容赦なく絶望の海に突き落とす。
――ああ、どうりで。
「あ…いえ、私もあなたの話、聞いたことあったから…」
咄嗟に誤魔化したけど、それは嘘だった。篤志からは一度も彼女の話を聞いたことはない。
「わ、私は坂下です。びっくりした、こんなに可愛い子だって知らなかった…」
それは本音だった。まさかここまで魅力的だなんて、思ってもみなかったから。
相手がこんな可愛いんじゃ、私の勝ち目なんてまるでない。
いや、むしろ同じ土俵にすら立てる気がしない。
「坂下さんも、十分可愛いと思いますよ」
そう微笑まれて、心臓がドキリと鳴る。
恋敵に胸をときめかせるなんて大馬鹿者、世界広しといえども私ぐらいかもしれない。
でも、しょうがいないよ。こんな可愛い人を前にしたら、どんな威勢も泡になって消え去ってしまう。
…少なくとも、私はそうだ。
「あ、あそこです。ちょっと待っててくださいね、見学の許可もらってきますから」
裏門を目前にして、彼女はそう微笑むと「ありがとうございました」と笑って私の抱える荷物をカゴに戻した。
そして門の前に立っている背の高い男性――おそらくあれが監督の先生だろう――へと駆け寄ってゆく。
その後ろ姿を、私は何とも言えない、ひどく複雑な気持ちで眺めていた。




