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死に水  作者: 月影 朔
第七章:運命の夜

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第四十四話:刑事の訪問

 沙織の絶叫が、夜のホテルの廊下に虚しく響き渡ってから、一体どれほどの時間が経ったのだろうか。


 彼女の通報を受けた警察が、あっという間にホテルに駆けつけ、現場は騒然となった。

鑑識の人間が白い防護服に身を包み、物々しい雰囲気の中、部屋へと入っていく。


 沙織は、ホテル従業員に付き添われ、ロビーの一角で震えながら、まるで悪夢を見ているかのような時間を過ごしていた。


 健太のミイラ化した姿と、部屋を埋め尽くす不気味な水が、何度も彼女の脳裏にフラッシュバックし、吐き気を催させた。


 翌朝。


 恵は、蓮の病室で、いつものように目覚めた。

蓮は、昨夜から、穏やかな寝息を立てていた。

苦しそうだった呼吸も、今は不思議と落ち着いているように見える。

病院の窓から差し込む朝の光が、蓮の小さな寝顔を優しく照らしていた。


 「蓮……」


 恵は、蓮の額に触れた。熱はない。

むしろ、以前よりも、肌の血色が良くなっているようにさえ感じられた。


 その時、病室のドアが、ノックされた。


 「佐々木恵さんで、いらっしゃいますか?」


 ノックの主は、二人の男性だった。

一人は、背が高く、いかにも真面目そうな雰囲気の、年配の刑事。

もう一人は、少し若く、表情にまだあどけなさの残る刑事だった。彼らは、恵に視線を向け、静かに問いかけた。


 恵は、「はい、そうですが……」と答えた。


 年配の刑事が、手帳を取り出しながら、重々しい口調で告げた。


 「私どもは、笹原警察署の者です。

昨夜、都内のホテルで、高橋健太さんが亡くなられました」


 その言葉を聞いた瞬間、恵の心臓が、ドクン、と大きく跳ね上がった。


 健太が、死んだ?


 いや、知っていた。


 遅かれ早かれ、この日が来ることは、分かっていた。


 手水の儀の時、健太の身体は、すでに限界に達していた。

彼が、あの夜を乗り越えられたことの方が、奇跡に近い。


 だが、実際にその言葉を耳にすると、恵の脳裏には、彼と出会ってからの様々な記憶が、走馬灯のように駆け巡った。


 蓮の病気、健太の献身、そして、二人の間に生じたすれ違いと、呪い。彼が苦しみ、もがきながら、それでも蓮のためにと、必死に足掻いた姿。


 恵の表情からは、一切の感情が読み取れなかった。

悲しみでもなく、安堵でもなく、ただ、深い、深い静寂が、彼女の顔に張り付いていた。


 「……そうですか」


 恵の声は、予想以上に、落ち着いていた。

まるで、他人のことのように、冷静に、その事実を受け入れているかのように。


 年配の刑事は、恵の反応に、わずかに眉をひそめた。

遺族に訃報を伝える際の、一般的な反応とは異なっていたからだ。

しかし、彼はプロフェッショナルだった。


 表情を変えることなく、続けた。

 「高橋さんの死因につきましては、現在、詳しく捜査を進めております。

しかし、死亡時の状況が極めて特異でありまして……」


 刑事は、言葉を選びながら話す。

まだ、詳しい状況を、全て話すつもりはないらしい。


 「それで、佐々木さんにお伺いしたいのですが。

私どもで調べたところ、佐々木さんが、昨日まで高橋さんと行動を共にされていたという情報がありまして」


 刑事の言葉に、恵の目は、ごくわずかに揺れた。

やはり、追及される。


 「高橋さんの身に、何か、変わったことはありませんでしたでしょうか?」


 恵は、ゆっくりと視線を、眠る蓮へと向けた。


 蓮は、相変わらず穏やかな顔で眠っている。

彼の命は、今、確実に、守られている。

その事実が、恵の心を強くする。


 恵は、再び刑事に視線を戻した。

 「……そうですね。お話しすることは、いくつかございます」


 彼女は、蓮の寝顔をもう一度見つめ、そして、穏やかな声で続けた。


 「しかし、ここでは、ちょっと……」


 恵は、病室の壁に目をやった。

蓮に、健太の死を知らせる必要はない。

そして、何より、この部屋で呪いに関することについて話すのは、どうしても躊躇われた。


 「……こちらの病院の、ロビーでしたら、落ち着いてお話できるかと」


 恵は、自ら場所を指定した。

彼女は、健太の死因に心当たりがあるかのように、あるいは、話すべきことがたくさんあるかのように振る舞い、刑事たちをロビーへと誘導した。


 刑事たちは、恵の言葉に頷いた。

彼らも、病室で込み入った話をするのは避けたいのだろう。


 「分かりました。

では、ロビーに移動しましょう」

 若手の刑事が、ドアを開け、恵に先を促す。


 恵は、静かに頷くと、蓮に何も言わず、ただそっと、彼の頬に触れた。

その指先が、蓮の肌の温もりを感じる。

健太の冷たさとは、全く違う、生きている人間の温もり。


 恵は、深呼吸を一つ。


 そして、蓮の病室を後にした。

彼女の背中は、警察の人間と話すことに怯えているようには見えなかった。

むしろ、何かを決意したかのような、強い意志が感じられた。


 恵は、刑事たちと共に、ロビーへと続くエレベーターへと向かった。彼女の心には、健太の死、そして、その先に広がる、蓮の未来が、静かに、しかし、確かに広がっていた。

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