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死に水  作者: 月影 朔
第五章:起源への接近

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第二十六話:廃寺の墓

 夜が明けた。

しかし、それは希望に満ちた朝とはほど遠い、重く湿った空気の広がる一日だった。


 恵と健太は、昨日見つけた手がかり――水野光子の墓が廃寺、普門寺にあるという情報――を頼りに、その場所へと向かう準備を進めていた。


 健太の身体は、限界を超えていた。

彼の顔色は土気色を通り越し、肌は異常なほどに青白く、全身の毛細血管が浮き出ているかのようだった。


 喉の渇きはもはや耐え難く、水筒の水を一口飲むたびに、胃の奥から吐き気がこみ上げてくる。

それでも彼は、蓮と恵を救うため、そして自身の呪いを解くために、必死に踏ん張っていた。


 「健太、無理しないで。

少し休んだら?」


 恵は、健太の様子を見て、何度も声をかけた。

彼女自身も、連日の不眠と精神的な疲労で、身体は鉛のように重かった。

しかし、彼女の心の中には、水野光子の墓を見つけ出すという、確固たる決意が燃え盛っていた。


 「大丈夫だ……行こう、恵。

時間が……ないんだ」


 健太は、かろうじて声を絞り出した。

彼の目は、虚ろでありながらも、奇妙なほどに一点を見つめていた。


 それは、水子の幻影を追っているかのようでもあり、あるいは、一筋の光を求めるかのように輝いているようでもあった。


 二人は、最寄りの駅からタクシーに乗り、水守村へと向かった。

廃れた神社の近くでタクシーを降りると、そこは昨日と変わらぬ、人影のない静寂に包まれていた。


 強い日差しが照りつけているにもかかわらず、どこか冷たく、湿った空気が肌にまとわりつく。

神社の鳥居の向こうからは、相変わらず草木の生い茂る音が、ざわめきのように聞こえてくる。


 普門寺は、神社のすぐ隣にあった。

しかし、その姿は、かつて寺院であったことをかろうじて示す、荒れ果てた廃墟と化していた。


 朽ちた山門は、今にも崩れ落ちそうで、その奥には、雑草が人の背丈ほどにも伸び、鬱蒼と茂っていた。


 本堂らしき建物は、屋根が崩れ落ち、壁は苔むして、まるで森の一部になったかのようだった。


 「ここが……普門寺……」


 恵は、言葉を失った。

想像以上に荒廃していた。

このような場所で、水野光子の墓を見つけ出すことなど、できるのだろうか。


 「墓地は……

どこだ?」


 健太が、掠れた声で呟いた。

彼の視界には、すでに水子の幻影がちらつき始めていた。

まるで、水子が彼らを誘い込んでいるかのように。


 二人は、生い茂る雑草をかき分け、廃寺の敷地内へと足を踏み入れた。


 足元には、朽ちた木の枝や石が散乱しており、一歩踏み出すたびに、乾いた音が響いた。

湿気を含んだ土の匂いと、朽ちかけた木の匂いが混じり合い、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。


 しばらく進むと、ようやく、鬱蒼とした木々の合間から、複数の墓石らしき影が見えてきた。

しかし、そこは、墓地と呼ぶにはあまりにも無残な状態だった。


 雑草は、墓石の根元から天に向かって伸び、墓碑銘を覆い隠している。

苔がびっしりと張り付き、文字を判読することすら困難な墓石が、無秩序に、そして不気味に並んでいた。


 倒れた墓石、半分だけ土に埋もれた墓石、そして、まるで誰かの手によって破壊されたかのように、粉々に砕け散った墓石も散見された。


 「ひどい……」

 恵は、思わず声を漏らした。


 この荒廃ぶりは、ただ時が流れただけではない、何か別の力が働いているかのような不穏な気配がした。


 「水野光子……

水野光子……」


 健太は、幻覚に苛まれながらも、必死に墓石の一つ一つに目を凝らした。


 彼の喉は焼け付くように乾き、全身から冷や汗が吹き出ていた。

足元がおぼつかず、何度も転びそうになる。


 「健太、大丈夫? 

少し休もう」


 恵は、健太の肩を支えようとした。

しかし、健太は首を振った。


 「いや……今しかないんだ。

彼女の……怨念が……ここにある気がする……」


 彼の言葉には、呪いの影響によるものなのか、それとも健太自身の精神が限界に達しているのか、異様な緊迫感が込められていた。


 二人は、広大な墓地の中を、まるで迷宮に迷い込んだかのように歩き続けた。

雑草は足首を絡め取り、蚊や小さな虫がまとわりつく。湿気を含んだ空気が、彼らの呼吸を重くした。


 どれほどの時間が経っただろうか。

太陽はすでに中天を過ぎ、影が伸び始めていた。

焦りと絶望が、再び恵の心を蝕み始める。このままでは、健太の命が尽きてしまう。


 その時だった。


 健太が、突然、よろめいた。

彼の身体が大きく傾ぎ、そのまま倒れそうになる。


 「健太!」


 恵は叫び、咄嗟に彼の腕を掴んだ。

しかし、健太の身体は鉛のように重く、恵の力だけでは支えきれない。


 「う……

うぐ……っ……」


 健太の口元から、苦しげな呻き声が漏れた。


 彼の瞳は虚ろになり、焦点が合わない。

全身を激しい痙攣が襲い、その場に崩れ落ちそうになる。


 「ダメ……だ……」

 健太の声は、ほとんど聞き取れないほど小さかった。


 彼の腕に広がる青い水痕は、もはや全身に脈動しているかのようだった。

幻覚ではなく、現実の彼の命が、まさに尽きようとしている。


 「健太! 

しっかりして! 

蓮のために! 

蓮のためにも、諦めないで!」

 恵は、必死に健太を揺さぶった。


 蓮の名前が、健太の意識の奥底に届いたのか、彼の身体の痙攣が、わずかに治まった。

彼は、最後の力を振り絞るかのように、恵の腕を掴み返した。


 「恵……

あそこ……」

 健太が、震える指で、鬱蒼と茂る雑草の奥の一点を示した。


 恵は、その指が示す方を見た。

雑草の陰に隠れるようにして、他の墓石よりも少しだけ新しい、しかしやはり苔むした墓石が、かすかに見えた。


 その墓石の前に、明らかに不自然なほどに草が生えていない、わずかな空間があった。


 恵は、健太の身体を支えながら、その墓石へと近づいた。

そして、苔を拭い、刻まれた文字を読み解いた。


 『水野家之墓』


 その文字を見た瞬間、恵の心臓が大きく跳ね上がった。

そして、そのすぐ脇に、ひっそりと置かれた小さな石碑があった。

そこには、小さな文字で、こう記されていた。


 『光子』


 恵の目に、涙が滲んだ。

水野光子。見つけた。


 「健太……! 

見つけたわ! 

ここよ! 

水野光子さんの墓よ!」

 恵は、健太に告げた。


 彼の意識は朦朧としていたが、恵の言葉は、確かに彼の耳に届いたようだった。

健太の顔に、わずかな安堵の表情が浮かんだ。


 しかし、その喜びも束の間だった。

健太の身体は、再び激しく痙攣し始めた。もう、本当に限界だった。


 二人は、水野光子の墓石の前に、力なく崩れ落ちた。


 供養の準備もままならないまま、彼らは、ただその場に立ち尽くすしかなかった。

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