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死に水  作者: 月影 朔
第三章:藁にもすがる思い

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第十四話:最後の希望

 何度、電話を切り、何度、頭を下げたか、恵にはもう数えきれなかった。


 霊能者や霊媒師、お坊さんたちに助けを求めては、高額な依頼料を提示され、あるいは「手に負えない」「関わるべきではない」と拒絶される日々が続いていた。


 健太の身体は、まるで水気を失った枯れ木のように痩せ細り、彼の腕に浮かぶ青い水痕は、次第にその色を濃くし、皮膚の奥底まで根を張っているかのようだった。


 幻覚は日常となり、夜ごとの悪夢は彼の睡眠を奪い、精神は摩耗しきっていた。健太のアパートの重く淀んだ空気は、彼の絶望そのものを象徴しているようだった。


 恵もまた、精神的に追い詰められていた。

蓮の病気、健太の呪い、そしてそれらを解決するための金銭的負担。全てが彼女の肩に重くのしかかり、息が詰まるような日々が続いていた。


 しかし、彼女の瞳の奥には、どんな逆境に立たされても決して諦めない、強い執念の光が宿っていた。


 「まだ、何かあるはず……」

そう呟きながら、恵は再び、スマートフォンの画面に向き合っていた。


 これまで検索してきたキーワードは、全て試した。ありとあらゆる霊能者サイト、掲示板、オカルト系ブログを網羅したはずだった。だが、彼女は、もっと深層にある情報、表舞台には出てこない、隠されたコミュニティに目を向け始めた。


 「閉鎖的なコミュニティ……」

それは、ごく一部の人間しかアクセスできないような、特殊な掲示板やSNSグループだった。


 そこには、一般の検索エンジンではヒットしない、より深く、より危険な情報が蠢いている可能性があった。恵は、友人から教えられた特殊な検索方法を試したり、古いオカルト雑誌の片隅に書かれた暗号のようなURLを打ち込んだりして、ようやく一つのコミュニティへと辿り着いた。


 そして、その中のごく一部で、ある除霊師の名前が、繰り返し語られているのを見つけた。


 『あの先生なら、どんな強力な呪いも祓ってくれるらしい』


 『滅多に依頼は受けないが、本物の困りごとには、見返りを求めないこともあると聞く』


 『先生の前に立てば、偽物は一瞬で看破される』


 その除霊師の名は、「あかつき」といった。

 暁。

その名前は、一般的な霊能者の派手な名乗りとは異なり、どこか静かで、しかし底知れない威厳を感じさせた。


 情報も極めて少なく、連絡先はおろか、所在すらも明記されていない。ただ、その名前と共に語られるのは、常識では考えられないような除霊の成功談ばかりだった。


 恵は、半信半疑だった。これまで散々騙され、絶望を味わってきたのだ。しかし、今の彼女には、この微かな光にすがるしか選択肢はなかった。


 暁への接触方法は、通常の依頼とは異なっていた。直接の電話番号やメールアドレスは存在しない。代わりに、コミュニティの奥深くで、ある「作法」が示されていた。


 指定された時刻に、特定の寺院の片隅にある賽銭箱に、ある符を入れ、その符に願いを込めるというものだった。その符も、通常の符とは異なる、特殊な形状と素材でできていた。


 恵は、健太にそのことを伝えた。健太は、最初はその話にすら反応できなかった。彼の意識は、常に喉の渇きと、水子の幻影に囚われていたからだ。


 しかし、恵の必死な訴えに、彼はかすかに目を開いた。


 「……それで、本当に……?」

 健太の声は、乾ききっていた。希望を持つことすら、彼にとっては苦痛だった。


 「分からない。

でも、これが最後の希望よ。何もしないで、このまま健太を見殺しにはできない」


 恵は、健太の手を握りしめた。その手は、冷たく、まるで血の通っていないかのようだった。


 恵は、コミュニティに書かれていた「作法」通りに、指定された符を自作し、指示された日時と場所に赴いた。寺院は都心から離れた、山間の静かな場所に位置していた。深閑とした境内に、恵の足音だけが響く。賽銭箱は、苔むした石段の奥にひっそりと佇んでいた。


 恵は、深呼吸をして、符に健太の呪いの内容と、蓮への思い、そして二人の切なる願いを込め、そっと賽銭箱の中に入れた。


 その瞬間、風もないのに、境内の木々がざわめいた。ひんやりとした空気が肌を撫で、恵の全身に鳥肌が立った。それは、霊的な力が動いた証拠なのか、それとも単なる気のせいなのか。


 数日後、恵の元に、一通の封書が届いた。差出人の名前は書かれていない。白い封筒には、達筆な筆文字で、恵の住所と名前が記されているだけだった。


 恵は、震える手で封筒を開けた。中には、一枚の和紙が入っていた。


 そこには、たった一言だけ、記されていた。


 『承知いたしました。』


 そして、面会の日時と場所が、簡潔に記されていた。場所は、都心から少し離れた、古い日本家屋の一室。日時も、わずか数日後だ。


 費用については、一切触れられていない。


 恵は、その和紙を握りしめ、胸が熱くなるのを感じた。


 無料で依頼を受けてくれる、まさに奇跡だ。

これが、最後の希望。


 恵は、すぐに健太に連絡した。電話口の健太の声は、相変わらず弱々しかったが、恵の言葉に、わずかながらも生気が宿ったように聞こえた。


 「本当か……? 

本当に、受けてくれたのか……?」


 「ええ! 

費用も何も言われてないわ! 

きっと、本当に力のある人よ!」


 恵は、興奮して言った。彼女の心には、これまで感じたことのないほどの、強い希望が湧き上がっていた。健太もまた、その希望に、かろうじてしがみついているようだった。


 面会の日まで、健太の体調はさらに悪化の一途を辿った。喉の渇きはもはや狂気の域に達し、身体は干からびていく。幻覚は途切れることなく彼を襲い、水子の姿は、彼の隣に常に存在しているかのようだった。


 しかし、彼には、恵が見つけてくれた「最後の希望」があった。その希望だけが、彼の壊れかけた精神を、かろうじて支えていた。


 恵は、健太のアパートと、自分の職場、そして霊能者の情報を探し続ける日々で、ほとんど眠る時間もなかった。疲労はピークに達しているが、その疲労感すらも、健太を救うためなら耐えられると信じていた。


 二人は、それぞれ離れた場所で、暁との面会の日を待ち続けた。


 健太は、ベッドの上で、荒い呼吸を繰り返しながら、かすかな希望の光を見つめていた。彼の腕の青い水痕は、まるでその光を嘲笑うかのように、禍々しく輝いていた。


 恵は、カフェのカウンターで、カップを拭く手を止め、窓の外を眺めた。空には、不気味なほど真っ赤な夕日が沈みかけている。その夕日は、まるで健太に残された時間の象徴のようだった。


 これが、本当に最後の望み。


 もし、この暁という除霊師がダメだったとしたら、もう、打つ手はない。


 二人の運命は、暁という名の、見知らぬ霊能力者の手に委ねられたのだ。


 祈るような気持ちで、恵は面会の日を待った。その日は、健太の命の灯が、最も激しく揺れる日となるだろう。

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