月と太陽の叙事詩
簡単な自己紹介を終えた直後。
場の空気が切り替わる。
雑談の温度が消え、代わりに“思考”の気配が満ちた。
「それで」
宝が口火を切る。
「何か神格関連の情報は手に入ったか?」
「はい」
ナミダが静かに頷き、懐から一冊の本を取り出す。
――鈍い色にくすんだ装丁。
縁は擦り切れ、紙は波打ち、長い時間に晒されてきたことが一目で分かる。
「図書館で見つけました」
テーブルの上に置かれたそれは、明らかに“普通の本”ではなかった。
「歴史書かな……」
「いや、多分違う」
リナが即座に否定する。
「これは神話図書。記録じゃなくて、“概念”を継承するための本」
「神話図書にゃ?」
ミレが首を傾げる。
「えぇ。史実を追うものではなく、“神という存在の理屈や象徴”だけを抽出して編まれた書物です」
ナミダが補足する。
「言い換えれば……信仰体系そのものを記録した思考の集積ですね」
「聖書みたいなものか」
宝の言葉に、ナミダは小さく頷いた。
「その認識で問題ありません」
ゆっくりと本を開く。
――ページはひどく傷んでいる。
文字は掠れ、ところどころ判読不能。
紙は乾ききり、触れれば崩れそうなほど脆い。
「相当古いですね……」
リナが低く呟く。
「えぇ。恐らくですが……千年単位の時間を経ています」
「千年どころじゃないぞ」
レビアが口を挟む。
「ワタシが生まれた頃には、既に“古書”として扱われていた」
その一言で、場の認識が変わる。
(……1500年以上前から存在している本)
単なる資料ではない。
――これは“時代を越えて残された意図”だ。
「ワタシが魔道を志したのも、この本がきっかけでな」
レビアは懐かしむように指で紙面をなぞる。
「この本は“読むもの”じゃない。“問いかけてくるもの”だ」
その言葉に、リナの視線が鋭くなる。
(問いかける本……つまり記述は断片的、解釈前提)
情報ではなく、思考を要求するタイプの文献。
ページを捲る。
乾いた紙の擦れる音。
そして――
見開きいっぱいに、それは描かれていた。
不気味に歪んだ太陽。
笑っているのか、嗤っているのかも分からない月。
どちらも“人の顔”を持ちながら、人ではない。
「これ……!」
ミレが身を乗り出す。
「街にあったタペストリーと同じなのにゃ!」
「やっぱり繋がってるな」
宝が低く呟く。
だがその瞬間。
レビアの様子が変わった。
「……っ」
瞳が見開かれ、呼吸が僅かに乱れる。
頬が紅潮し、興奮と――
ほんのわずかな恐怖が混じる。
「こ、これは……」
震える指が、ページに触れる。
「まだ……この頁が残っていたとは……!」
「知ってるのか?」
「知っているどころではない」
レビアは断言した。
「この本の“核心”だ」
空気が張り詰める。
ナミダも、リナも、視線を落とす。
絵の傍ら。
小さく書き込まれた一節。
見落としそうなほど控えめな文字。
だが――
そこにこそ、本質がある。
「……読みます」
ナミダが静かに声を出す。
そして、叙事詩が紡がれる。
――――叙事詩の預言――――
――黄昏の王国にて、既に死せし日輪と月輪は、なお神として天の縁に留まる。
――光を失いしその身で、終わらぬ夕刻を繋ぎ止める番人なり。
――両なる神は、表と裏の狭間
――名もなき境界に座し、互いを知りながら、決して相対すること叶わぬ宿命を負う。
――ひとつが昇れば、ひとつは沈まず。
――ひとつが満ちれば、ひとつは欠けぬ。
――ゆえにこの国に夜は訪れず、昼もまた永遠に過ぎ去り続ける。
――巡らぬ理の果てに、世界は“黄昏”という檻に囚われる。
――されど問え。
――その均衡を保つは、果たして二柱か。
――あるいは、見えざる“第三の理”が、その狭間に潜むのか。
――――
読み終えた瞬間。
沈黙が落ちた。
誰もすぐには口を開けない。
それほどまでに――
情報量が多すぎた。
(これは……ただの神話じゃない)
リナの思考が高速で回転する。
(世界構造そのものの説明だ)
ナミダは目を伏せ、言葉を反芻する。
レビアは静かに笑みを浮かべていた。
そして宝は、ゆっくりと呟く。
「……死せし、太陽と月……か」
そこから、解析が始まる。




