大図書館の鍵
「表で見える形では戦わないんです」
ナミダは静かに言った。
「もしそうすれば、自分たちが信仰する神の印象に悪影響が及びますから」
ミレたちはその言葉を聞き、なるほどと納得する。
もし、ある宗教の信者が別の宗教の人間を攻撃しているところを見れば、人は自然とその宗教に悪い印象を抱く。
それが恐怖なのか、軽蔑なのかは分からない。
だが確実に――信仰は汚れる。
神の名の下で暴力が振るわれている。
そう思われた時点で、その宗教は人々の心から離れていく。
「そのため……」
ナミダは少しだけ視線を落とした。
「動く時は夜中に、黙って秘密裏に行われます」
レイラは眉をわずかに寄せる。
夜の闇の中での衝突。
人目につかない場所での排斥。
それはまるで――
(暗殺者ね……)
神を信仰する者たちのやり方とは、とても思えない。
しかし同時に、理屈は通っている。
人前では決して争わない。
信仰の印象を守るために。
その代わり、闇の中で静かに争う。
宗教の体面を保ちながら、敵対勢力を削る方法。
それは極めて計算された社会構造だった。
「やった事も周りには決して話さない。それがこの国の常識なんです」
「そうなんですね……」
レイラは静かに頷いた。
(宗教対立が表に出ない理由……)
(つまり、この街は“静かな戦場”ということね)
その事実に、胸の奥が少しだけ重くなる。
するとレインが慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「という事は、この街ではあまり藍涙の話をしない方がいいという事ですね」
「はい」
ナミダは小さく頷いた。
「直接攻撃されることは少ないと思いますが……悪い印象を持たれてしまいます」
宗教国家。
その言葉の意味が、ようやく少し見えてきた気がした。
信仰は、この国において政治であり、力であり、そして――境界線なのだ。
そんな話をしているうちに、気がつけば二時間が経っていた。
酒場の扉が開く。
先ほどの制服姿とは違い、普段着に着替えたカレンが店から出てきた。
「お待たせしました!」
彼女は元気よく手を振る。
「それじゃあ行きましょうか」
「よろしくお願いします」
レイラたちは立ち上がり、カレンの後をついて歩き始めた。
目指すのは、大図書館。
神格の情報が眠っているかもしれない場所。
その途中で――
カレンがふと振り返った。
「それと……」
少しだけ言いづらそうに言葉を続ける。
「そこのシスターさん、ナミダさんですよね?」
その瞬間。
一同の空気が凍りついた。
レイラの心臓が一拍遅れて強く鳴る。
(気付かれた……)
ナミダはベールで顔を隠している。
それでも――分かった。
宗教国家。
この国では、聖女の顔はそれほどまでに知られているのだ。
ナミダは静かに息を吐いた。
「ベールで顔を隠すだけでは……無理がありましたね」
自嘲気味の言葉だった。
するとカレンが慌てて両手を振った。
「あ、えっと! 悪い意味じゃないんですよ!」
彼女は焦った様子で続ける。
「その……私、ナミダさんが好きなんです」
「……私が、ですか?」
ナミダは驚いたように目を瞬かせる。
「はい!」
カレンは強く頷いた。
そして突然、ナミダの手を両手でぎゅっと握った。
「この街で生きる女性として……すごく尊敬してるんです!」
「尊敬……?」
「はい!」
カレンの声は真っ直ぐだった。
「国中から睨まれているのに、それでもこの国を救おうとしてるところとか」
「上品なところとか」
「知識がすごく豊富なところとか」
一つ一つ、言葉を重ねていく。
「本当にすごい人だなって、ずっと思ってました!」
ナミダの目が揺れる。
「そんな風に……思っていただけていたのですか?」
「はい!」
カレンは迷いなく頷いた。
「ナミダさんの噂は、お母さんから聞いてるんです」
少しだけ優しい声になる。
「人々の声に負けず、多くの人の命を干害から救おうとしている素敵な聖女がいるって」
その瞬間。
ナミダの瞳に、涙が浮かんだ。
レイラはその横顔を見つめる。
(この人は……)
ここに来るまで、ずっと一人だった。
味方は誰もいない。
向けられる視線は、蔑みと憎しみだけ。
それでも彼女は諦めなかった。
生まれた時から、干害を止めるために動き続けてきた。
孤独の中で。
誰にも認められないまま。
その努力が――
今、初めて報われた。
「ありがとう……ございます」
小さな声だった。
ナミダの瞳から、小さな涙がこぼれる。
「あ、えっと、泣かせるつもりじゃ……」
「いいえ」
ナミダは涙を拭い、微笑んだ。
「嬉しいんです」
そして静かに言う。
「誰かに感謝され……好かれるというのは、生まれて初めてですから」
レイラの胸が、ぎゅっと締め付けられる。
ナミダは前を向いた。
涙を拭い、強い眼差しで歩き出す。
「行きましょう」
その声は、もう迷っていなかった。
「私たちが、この干害を解決しなくてはなりませんから」




