乾きの重兵
現場に立ち込める重たい妖気。それは威圧などという生易しいものではない。
この場にいる全員へ等しく突きつけられた、冷酷な死刑宣告だった。
ぴとり、ぴとりと水滴が落ちる音がやけに大きく響く。だが次の瞬間、その音は途切れた。
空気が乾いている。肺の奥が焼けるようにひりつく。
「お兄ちゃん……」
「あぁ、新手だ。しかも格が違う」
直後、教会の外壁が内側から爆ぜた。石材が砕け散り、衝撃波が祭壇を薙ぎ払う。粉塵の向こうから現れたのは、青く鈍く光を反射する重鎧。
全高三メートル超。肩に担がれた巨大な戦斧が、地面に深い影を落とす。
〈『上妖』渇久〉
「…………渇く……渇く……」
鎧の隙間から漏れる妖気が、周囲の水分を奪っていく。床石が白く粉を吹き、ひび割れが蜘蛛の巣状に広がった。
俺が構えた瞬間、茜が前に出る。
「茜?」
「お兄ちゃん、コイツはあたしにやらせて」
短剣を抜く。その目に宿るのは、灼熱よりも鋭い闘志。
「成長したあたしを、見せたいから」
相手は上妖だが、その妖気の密度が段違いだ。
今まで相手にした上妖共とは数段違う強さ。
不安はある。
だが――
(茜が、この領域でどこまでやれるか見たい)
「わかった。やってみろ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
嬉しそうに一瞬だけ笑い、即座に戦闘の顔へ切り替わる。
その刹那。
渇久の巨体が消えた。
「きえ――」
次の瞬間、戦斧が眼前。
瞬間移動と錯覚するほどの踏み込み。茜は本能で身体を捻る。
[『夕焼妖術』夕蜘蛛]
赤橙の妖糸が空間に編み上がる。灼熱の蜘蛛の巣が戦斧を受け止めた。
激突。
衝撃波が半径数十メートルを薙ぎ払い、教会の天井が崩落。瓦礫が雨のように降る。
「くっ……重い……!」
受け止めたはずの斧が、さらに重量を増す。
「渇く……」
湿度が消える。妖糸が急速に乾燥し、パキパキとひび割れる。
(乾きを吸収して質量を増してる……!)
「茜、横だ!」
「うん!」
防御を捨てて跳躍。
直後、戦斧が振り抜かれた。風圧だけで延長線上の建物六軒が連鎖崩壊。石と木材が砂のように崩れ、大地が裂ける。
だが茜は着地と同時に反撃へ移る。
妖糸を足場に高速旋回、死角へ潜り込む。
[『夕焼妖術』灼縫連斬]
無数の斬撃が鎧を包囲。火花が弾け、鋼鉄が削れる。
浅いが――確実に通っている。
「渇く……」
鎧が軋み、逆に乾燥領域を爆発的に拡張。半径百メートルの水分が奪われる。茜の唇がひび割れ、喉が焼ける。
(妖力まで吸われる……!)
だが止まらない。
渇久の横薙ぎを紙一重で回避。返す刃で関節部へ突き立てる。
ギン、と硬質な手応え。
鎧の可動部に刃が食い込んだ。
「……!」
初めて渇久の動きが止まる。
だが次の瞬間、回転斬撃。
「――っ!」
直撃は避けたが、衝撃波で壁三枚を貫通。茜は瓦礫に叩きつけられる。
「がっ……!」
肋骨が軋む。それでも立つ。
(まだいける……!)
再突撃。
今度は真正面から。斧と短剣が何度も交錯する。火花が散り、地面が砕け、教会跡地がさらに陥没。
渇久の斧が振り下ろされる。
茜は妖糸を爆縮させ、斧の軌道をわずかに逸らす。そのまま懐へ。
至近距離。
全妖力を込めた一突き。
刃が胸部装甲に深く刺さる。
「はぁぁぁぁ!」
乾燥領域と夕焼の妖力が拮抗。空間が軋み、爆ぜる。
衝撃で周囲三棟が同時崩落。地面が波打つ。
だが、鎧は完全には貫けない。
「渇く……」
逆に妖力を吸われ、茜の膝が揺れる。
背後からの回し斬り。
防御が間に合わない。
直撃。
再び吹き飛ぶ。地面を転がり、血が飛び散る。
「く……!」
それでも短剣を握り直す。
渇久が歩み寄る。足跡の周囲が白く枯れ、石が粉化する。
速度、威力、持久力。確かに上。
だが――
鎧には確実に傷が増えている。
茜も限界が近い。だが渇久の動きもわずかに鈍った。
接戦だ。
戦闘開始から数十秒。街区は半壊。小規模災害級の被害。
渇久が戦斧を振り上げる。
終わる――誰もがそう思った瞬間。
「キュゥ! キュゥ!」
場違いな小さな鳴き声。
麗華が視線を落とす。
「……すねこすりちゃん?」
荷車で見かけた小さな妖怪が、渇久を睨み据えていた。
その瞳は、怒りに燃えている。
そして空気が、再び震え始めた。




