#78 教会
ガラド騎士団長から伝説の話を聞いた俺たちは、特例として発行された許可証を手に、厳重な審査を経てカエデ王国へと足を踏み入れた。
水と祈りの国。外壁の白亜と運河の蒼が織りなす光景は、戦乱続きの旅路を歩んできた俺たちにはあまりに穏やかに映る。
リナ、レイラ、ミレたちは藍涙に関する情報収集のため、到着早々に住宅街へ散った。彼女たちの判断は的確だ。信仰国家である以上、神にまつわる噂は民の口に宿る。
一方、俺と麗華、茜は騎士団指定の宿へ向かい、装備の整理と休息を取ることにした。
案内された部屋は蒼を基調とした内装で統一されている。床の縁には浅い水路が巡らされ、絶えず澄んだ水が流れていた。
せせらぎが静かに反響し、精神を研ぎ澄ましながらも鎮める、不思議な調律をもたらす。
「ここもいい部屋だね!」
麗華の弾んだ声が水音に溶ける。
「あぁ。この国がどれだけ“水”を神聖視しているか、空間そのものが物語っている」
この国が信仰するのは、妖将の一角――水と悲しみの神・藍涙。人々の涙を受け止め、命の水を分け与える慈悲の神格だという。
(悲しみを司る神……その妖術は精神干渉か、それとも水そのものを極限まで支配する系統か)
窓辺に立ち、外を見下ろす。迷路のように入り組んだ住宅街。その奥、視界が開けた先に広場があった。
中央に聳えるのは、豊満な女神像。両目から石造りとは思えぬほど滑らかな涙が頬を伝っている。
「あれは……」
「国中央の広場だね」
麗華が身を乗り出す。
「泣いている女神像……?」
「そう! あれが藍涙の神像だよ。この国の人は本当に信仰が厚いの」
茜が誇らしげに答えた。
悲しみを神聖とする国家。マジュリアで対峙した璃炎とは性質こそ異なるが、同じく感情を神格へ昇華させた存在。油断はできない。
「片付けも終わった。まずは教会だな」
「ガラドさんが言ってた占い師、いるといいね!」
三人で宿を出る。
――――城下町広場――――
教会へ向かう途中、奇妙な構造物が目に入った。銀色のホルン状のオブジェが壁沿いに整然と並び、その先端から絶えず水を噴き上げている。
「中に水妖術の塊が封じてあるの。触れると一日一回、水系妖術への耐性が付与されるんだよ」
茜が説明しながら触れると、淡い蒼光が彼女の手から全身へ巡った。
俺も手をかざす。指先から冷たい流動が侵入し、体内を循環する。だがそれは凍える冷気ではない。浄化と保護の性質を帯びた術式だ。
(水・氷属性の効力半減……神域に踏み込む前提の都市設計か)
「ひんやりしてて気持ちいい……」
麗華も微笑むが、俺は祝福の強度と持続時間を計測するように感覚を研ぎ澄ませていた。
広場を抜け、入り組んだ路地を進むと、黒い十字架が高く掲げられた建造物が見える。
「ねぇ宝、あそこだよね」
「あぁ……だが」
近づくにつれ、聖性に混じる異質な圧を感じた。清流に落とされた一滴の濁りのような、微細だが確実な殺意。
(街中でこの密度の妖力……内部で戦闘、もしくは待ち伏せ)
「お兄ちゃん……」
「わかってる。気配は教会内部だ」
麗華と茜も察している。三人で呼吸を合わせ、間合いと退路を確認。
「攻撃の可能性が高い。初動は俺が受ける。二人は左右展開」
「了解!」
茜がゆっくりと扉へ手をかける。
重厚な木扉が軋みながら開く。
内部に広がっていたのは荘厳な礼拝堂――だが、祈りの場に似つかわしくない光景だった。
槍とクロスボウで武装したシスターと聖職者が整列し、戦闘隊形を組んでいる。その中央、勾玉を掲げた司祭が一歩前へ出た。
「よく来ましたな……呪われた魔女の使い魔よ」
声音は穏やかだが、滲む殺意は隠そうともしない。
「話し合いの余地はなさそうだな」
「やるしかないね!」
俺たちは即座に武器を抜いた。
聖堂の静寂が破れる。祈りの国で、信仰そのものを相手にする戦いが始まろうとしていた。




