伏魔殿の夢
――――宝の夢――――
眠りに落ちた意識は、ゆっくりと深い泉へ沈んでいく。
浮上も抵抗もできない。ただ、静かに、確実に。
そこは光の概念すら拒む世界だった。
上下も、距離も、終わりも存在しない――無限に広がる黒。
(……何も、見えない)
闇は海のように重く、しかし水の感触はない。
それでも俺は“沈んでいる”と理解していた。
その時だ。
遥か下方、闇の底で、わずかに揺らぐ光を感じた。
(……灯り?)
理屈ではない。
無意識が、その存在を“知っている”と告げていた。
俺は泳ぐ。
音も、水もない虚無の中を、ただ本能に従って。
黒を潜り続けるほど、光は妖しく色を帯びていく。
赤でも橙でもない――人の心を惑わせる、艶を孕んだ輝き。
(……行くか)
気づけば、進むという選択しか残っていなかった。
どれほど潜ったのか。
突如、全身に鈍い衝撃が走る。
――次元の壁。
巨大な穴の“底”を覆うように、見えない障壁が広がっていた。
まるで……何かを封印するかのように。
(この先に……何かがある)
理由は分からない。
だが、本能が告げる。
――壊せ。
――進め。
(戻れなくなるかもしれない……)
それでも、躊躇はなかった。
「悪いが……破壊させてもらう」
念を込めた瞬間、背に紅蓮の重みが宿る。
相棒が応え、紅の大剣が現界した。
「仕事の時間だ」
[『煉獄妖術』豪炎断ち]
振り下ろされた刃から、灼熱の紅炎が奔流となって迸る。
幾重にも重なった次元の壁が、紙細工のように崩壊した。
闇が裂け、炎が道を照らす。
「……なるほど」
視界に映った光景に、思わず息を呑む。
「道理で……真っ暗なわけだ」
そこは“闇”ではなかった。
あまりに巨大な存在が、世界そのものを覆い隠していたのだ。
裂け目を抜けた瞬間、全身に圧が叩きつけられる。
(……桁が違う)
呼吸が浅くなる。
存在しているだけで、こちらを押し潰そうとする力。
やがて見えてきたのは――
提灯と灯籠に照らされた、赤を基調とする巨大な摩天楼。
五重造りの塔が、まるで王座のように聳え立っていた。
「あそこか……」
木目の廊下に足を踏み入れると、空気が一変する。
甘く、妖しく、しかし背筋を凍らせる緊張感。
無数の蒼い鬼火が水面に浮かび、静かに揺れていた。
「ここが……最深部か」
その瞬間。
空間が、軋んだ。
次元そのものが悲鳴を上げるほどの妖気が解き放たれる。
「……やっと来たか。若造よ」
低く、艶やかな声。
漆黒の妖の扉が、ゆっくりと開く。
闇の奥から現れたのは、一人の女だった。
腰まで伸びた桃色の髪。
橙色の瞳は、笑っているようで、すべてを見透かしている。
額に生える紅の角は、威厳の象徴。
そして、何より目を引くのが……。
「ここまで来れたこと……褒めてやろう」
胸元に宿る異常としか言えない程の、圧倒的な豊かさを誇る巨峰。
大きくはだけた着物の隙間から堂々と顔を見せるそれが空間が押し広げ、次元が押し潰す。
歩くだけで、空間がわずかに歪む。
華やかで、妖艶で――
同時に、絶対に逆らってはならないと本能が理解する存在。
「……酒呑童子」
ラグナドール全世界を統べる、鬼の女帝。
世界神。
「いかにも。そう呼ばれておる」
対峙しただけで、全身に電流が走る。
身体が、意思とは無関係に戦闘態勢へ移行していた。
「緊張するのも無理はない」
彼女は、誇らしげに微笑む。
「この妾を前にしておるのだからな」
(……やばい)
笑み一つで、心を掴まれる。
圧倒的な色気と、王としての威厳が同時に迫ってくる。
気づけば、俺は大剣を構えていた。
「ほう……戦う気か」
次の瞬間――
「は……?」
視界が、奇妙にズレる。
遅れて理解した。
俺の左腕が、宙を舞っている。
斬られた感覚すらなかった。
「……っ、格が違うな!」
歪にゆがむ次元を踏み台に跳び、腕を掴む。
即座に断面を合わせ、肉体が再生する。
「再生……面白い」
酒呑童子は杯を傾け、悠然と酒を飲み干す。
「戦闘中に飲酒か?」
「酒はな、猛者と相対する時ほど美味いのじゃ」
逆手に握られたのは、桃色に輝く薙刀。
(……得物は薙刀)
「どうじゃ。少し、遊んでやろうか」
刃が向けられた瞬間、空気が張り詰める。
逃げるという選択肢は、最初からなかった。
この世界の王。
神話の頂点。
全身に炎が巡り、大剣を担ぐ。
「せっかくだ……」
「相手してもらう」
さあ。
世界神に、どこまで通じるか。
挑戦の時間だ。




