兄妹の寝袋
茜の生い立ちを聞き終える頃には、最後の皿から水滴が消えていた。
川面に映っていた夕焼けは、いつの間にか闇に溶け、夜の帳が静かに世界を包み込んでいる。
湿った土と冷えた空気が混じる夜の匂い。
水音だけが、途切れることなく耳に残っていた。
「……随分、修羅の道を歩んできたんだな」
そう零した声は、自分でも驚くほど低かった。
「うん。でも、それはお兄ちゃんもでしょ?」
何気ない言葉だった。
けれど、その一言で胸の奥を正確に射抜かれ、思わず目を見開く。
「五歳の時に会った頃と、闘気が全然違うもん」
夜の闇の中でも分かる。
まっすぐにこちらを見据える瞳には、確かな経験が宿っていた。
「……麗華の件で、少しな」
「麗華さんの?」
小首を傾げる仕草は昔のままだが、輪郭はすっかり大人になりかけている少女のそれだ。
彼女と過ごした時間は短い。それでも“姉”と呼びたくなるだけの記憶が、茜の中には確かに残っている。
「この話は長くなる。今夜はもう遅い、また今度だ」 「うん! 分かった!」
弾けるような笑顔。
灯りのない川辺で、その表情だけが柔らかな光を放っているように見えた。
「戻ろうか」
「そうだね! 夜風に当たってたら、ちょっと寒くなっちゃった」
「焚き火はまだ生きてる。そこで温まろう」
二人で食器を抱え、夜営地へと足を向ける。
―――――
木々の隙間から、揺れる橙色が見えた。
焚き火の前に腰を下ろし、火を眺めている姿がある。
「戻ったぞ」
「おかえり〜」
柔らかく伸びた声。
すでに片付けは終わっていたらしく、寝袋に包まれたミレとレイラさんは規則正しい寝息を立てていた。
「もう寝たのか」
「うん。さすがに疲れたみたい」
昼間のはしゃぎようを思い出し、納得して頷く。
食器を仕舞いながら、ふと視線が戻る。
「思ったより時間がかかったね」
「洗い物ついでに、昔話をな」
「へえ……」
興味を隠さない視線が向けられ、隣では無邪気な表情が返される。
「また今度、ゆっくり話します」
「ほんと? ありがとう!」
そのやり取りを背に、寝袋を広げる。
「明日は早い。出来るだけ休め」
「はーい!」
返事のあと、視線だけがこちらを追ってくる。
少し迷うような間を置いて、静かに声が落ちた。
「ねえ……今夜、一緒に寝てもいい?」
「問題ない」
即答だった。
次の瞬間、嬉しさを隠しきれず駆け寄ってくる。
その様子を見て、焚き火の向こうから手が挙がった。
「見張りは任せて」
「助かる」
「再会した夜くらい、離れた分を埋めなきゃね」
薪がくべられ、火が一段階だけ強くなる。
「ゆっくり休みなさい」
寝袋を並べ、手招きする。
「わあ、本格的!」
「保温機能付きだ。冷えない」
潜り込んだ瞬間、安堵の息。
「ほんとだ……あったかい」
少し遅れて隣に入る。
「……なんだか、ドキドキするね」
「十年ぶりだからな」
沈黙。
焚き火の爆ぜる音だけが、夜を刻む。
「……なあ」
顔を向けると、すぐそこに茜がいた。
幼い頃の丸みは消え、すっと通った顎のライン。
長い睫毛が、閉じかけの瞳に影を落とす。
わんぱくさを残しながらも、確かに“大人”の目だった。
「どうしたの?」
言葉を探して、結局一つだけが残る。
「……成長したな」
照れたように笑い、瞼が静かに落ちていく。
「ありがとう……おやすみ」
「ああ、おやすみ」
夜は深く、焚き火はまだ消えない。
失われた時間を埋めるように、静かに、確かに燃え続けていた。




