森の王と鬼の王
――ガァァァンッ!!
大狒々の鉄拳が接触した瞬間、耳障りな破砕音が樹海に響き渡った。
ピキ、パキキキッ……!
レイラが展開した分厚い氷の防壁《六花氷盾》に、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
中級妖怪の攻撃なら傷一つ付かない鉄壁の守りが、たった一撃で粉々に砕け散った。
「くっ……! パワーが桁違いです!」
凄まじい衝撃波に煽られ、三人の体が木の葉のように吹き飛ばされる。
レイラは空中で鮮やかに体勢を立て直し、巨木の幹を蹴って着地したが、その顔は険しい。
「気をつけて! 一発でも貰ったらおしまいだよ!」
彼女の警告も虚しく、死角の闇から別の大狒々が躍り出た。
その狙いは、もっとも小柄なミレ。
丸太のように太い腕が、逃げ場を塞ぐように振り上げられる。
「ミレちゃん!」
「にゃ、にゃあぁっ!?」
回避は間に合わない。
小さなミレを叩き潰そうと、死を孕んだ剛腕が振り下ろされる。
――ズドンッ!!
衝撃と共に凄まじい土煙が舞い上がった。
だが、そこにミレの悲鳴はなかった。
代わりに響いたのは、大狒々の苦悶の声と、じりじりと肉が焦げる強烈な臭気。
「……え?」
ミレが恐る恐る目を開ける。
そこには、紅蓮の炎を纏った大剣で、化け物の拳を真っ向から受け止める背中があった。
「主様っ!」
ミレの口から歓喜の声が漏れる。
「……お前ら、よく持ちこたえた」
俺は剣を一閃させ、爆風に近い炎の衝撃波で大狒々を弾き飛ばした。
ドォォォンッ! と巨体が何本もの大木をなぎ倒しながら転がっていく。
「ブボォォォォ!!!」
「グボァァァァ!!!」
獲物を邪魔された怒りに、三体の大狒々が一斉に咆哮した。
全身の筋肉がさらに膨れ上がり、太い血管がミミズのように浮き出る。
[『剛腕妖術』 筋凶腕]
リミッターを外した暴走状態。
巨岩すら容易く握りつぶす三つの殺意が、全方位から俺へと襲いかかってきた。
「宝様、危ない!」
「下がっていろ、レイラさん」
俺は冷静に、大剣へと妖力を流し込む。
白銀の刀身が超高温の熱を帯び、周囲の空気が陽炎のように揺らめいた。
「お前らの自慢の腕、どこまで通じるかな?」
迫りくる三方向からの剛拳。
俺はその中心で、ただ一度、円を描くように剣を横に薙いだ。
――ザンッ。
刹那の静寂。
直後、俺たちの視界が鮮烈な紅に染まった。
「ボォォォォォ……!?」
突進の勢いのまま、三体の大狒々の体がすれ違いざまに崩れ落ちる。
その断面から噴き出したのは血ではない。浄化の力を宿した青白い炎だった。
骨の髄まで焼き尽くす焔が、一瞬にして巨躯を灰へと変えていく。
「一撃か。……物足りないな」
俺は小さく息を吐き、剣の残り火を払った。
だが、その時。
「ギャァァァオォォォ!!!」
焼失した三体の煙を割り、さらにもう一体――完全に気配を殺していた四体目の大狒々が、樹上の闇から飛び込んできた。
狙いは、剣を振り抜いた直後の俺の首筋。
「宝!」
麗華の悲鳴が森に響く。
だが、俺は動じない。
――既に、気づいている。
樹海の入り口、夕暮れの海岸の方角から。
流星のような一筋の『弾丸』が、正確無比にこちらへ迫っていることに。
[『夕焼妖術』 哀愁の光]
夕焼けを切り取ったような、優しくも幻想的な光の帯。
それが、空中で跳躍していた大狒々の腕を静かに通り抜けた。
「ギ……ギギィ……?」
大木のような巨腕が、何の抵抗もなく音を立てて落ちる。
驚愕に染まった大狒々の視界に躍り出たのは、オレンジ色のポニーテールを鮮やかに靡かせる少女だった。
「さぁ、このまま仕上げだよ!」
俺たちの頭上を軽やかに飛び越し、少女が着地する。
ハツラツとした掛け声。躍動する四肢。
その全身から溢れる圧倒的な熱気には、見覚えがあった。
「まさか……」
予感は、確信へと変わる。
着地と同時に彼女が指を弾くと、大気の熱が一点に収束した。
[『夕焼妖術』 夕蜘蛛]
黄昏の光を放つ、蜘蛛の巣状の斬撃。
それは空中にいた大狒々の身体をスッと通り抜け――次の瞬間、見上げるほどの巨躯を無数の肉塊へと変えてみせた。
「ふぅ……討伐完了だよ!」
まるでスポーツでも終えたかのように、清々しく伸びをしながら振り返る少女。
その瞳が、俺を捉えた。
「ぇ……? お兄ちゃん?」
少女の表情が、驚きで凍りつく。
夕陽に照らされたオレンジ色の髪。勝ち気そうで、けれどどこか懐かしいその面影。
「茜……やはりここに居たんだな」
それは、遠い過去。
過酷な運命によって引き裂かれた、生き別れの妹との再会だった。




