霊の森
――ドォォォォォンッ!!
遠くで響いた炸裂音が、俺の背中を焦燥感と共に押した。
「待っていろ、すぐに片付けてやる!」
俺は砂を蹴り、全力で加速する。
黄昏の海を背に、黒煙が立ち上る樹海の闇へと飛び込んだ。
全身に纏った焔が、薄暗い森を赤く照らし出す。
木々の影が高速で後方へと流れ去っていく。
焦げ付くような大気の匂い。濃密な殺気。
間に合え――俺は祈るように、さらに速度を上げた。
――――霊の樹海――――
俺が樹海を疾走していた、まさにその時。
麗華たちは、おびただしい数の殺意に包囲されていた。
「……すごい数だね。30、いや40はいるかな?」
「囲まれてるにゃ……!」
ミレが警戒心を露わにし、喉の奥で低く唸る。
暗がりから無数に覗くのは、血走った眼球。
彼女たちを取り囲んでいたのは、人間大の体躯を持つ猿の妖怪――《狒々》の群れだった。
知能が高く、集団狩りを得意とする厄介な中級妖怪だ。
だが、麗華の表情に悲壮感はない。
彼女は愛刀の柄に手をかけ、不敵に笑う。
「数は多いけど、やることは変わらないよ。いくよ、レイラさん!」
「えぇ、先制します!」
レイラさんが優雅に手を掲げると、周囲の空気が一瞬にして凍てついた。
[『氷結妖術』 氷柱雨]
頭上に無数の魔法陣が展開される。
そこから射出されたのは、雨と呼ぶにはあまりに巨大で鋭利な氷の槍だった。
ドシュッ! ドシュッ!
回避する間もなく、先頭集団の五匹が地面に縫い付けられる。断末魔を上げる暇もなく、その肉体は妖力の粒子となって霧散した。
それが、開戦の合図だった。
「行くよっ!」
氷の礫を合図に、麗華が弾かれたように飛び出す。
「遅いっ!」
麗華の速度は、物理法則を嘲笑うかのように常軌を逸していた。
ピンク色の残像が軌跡を描く。
すれ違いざま、狒々たちの首がごとりと落ちる。
自分が斬られたことすら認識できない神速の剣舞。
「そっちはお願いっ! ミレちゃん!」
「任されたのにゃ!」
麗華の声に応え、ミレが獣のように低く構える。
その瞳孔が、縦に鋭く裂けた。
[『猫又妖術』 猫速]
ふわり、とミレの体がブレる。
両脚が筋肉質な化け猫のものへと変化し、爆発的な加速を生んだ。
風のように狒々たちの股下を潜り抜ける。
「キィィィ!!」
背後に回ったミレに対し、狒々が鋭い爪を振り下ろす。
だが――空を切ったのは、狒々の腕そのものだった。
「キ……?」
ボトリ、と足元に落ちた自分の腕を見て、狒々が間の抜けた声を漏らす。
直後、その首に鮮血の線が走った。
「遅いにゃ」
着地と同時に爪を振るうミレ。
ドサリ……ボトリ……。
糸切れた人形のように、周囲の狒々たちが次々と崩れ落ちていく。
圧倒的だった。
数分も経たないうちに、森を埋め尽くしていた殺気は霧散していた。
「ふぅ……私たちの大勝利だねっ!」
血振るいをして刀を納め、麗華が得意げにVサインを作る。
「緊張したけど、ちゃんと出来たのにゃ」
「二人ともお見事でした。素晴らしい連携です」
レイラさんが微笑みながら、ミレの頭を優しく撫でる。
安堵の空気が流れた、その瞬間だった。
「――グボォォォォォォォ!!!」
大気を震わせる咆哮が、頭上から降り注いだ。
鳥たちが一斉に悲鳴を上げて飛び立つ。
「なっ……!?」
「ボォォォォォ!!」
「グァボォォォォ!!」
呼応するように、左右の闇からも重低音の遠吠えが響く。
ズシン、ズシン、と地面が揺れた。現れたのは、これまでの狒々とは比較にならない巨体。
見上げるような大木を、まるで枯れ枝のようにへし折りながら、三体の影が姿を現す。
「どうやら、まだ終わっていないようですね……!」
レイラたちの顔色がさっと変わる。
爛々と輝く六つの瞳。全身を剛毛と筋肉の鎧で覆った森の暴君。
《『上妖』 大狒々》
狒々の群れを統べる上位種。その腕力は巨峰をも砕く。




