夕暮れの国
跳躍台に足を乗せた瞬間、俺たちの身体はふわりと浮き上がり、次の瞬間には――マジュリアの世界結界、その外縁へと放り出されていた。
視界いっぱいに広がるのは、目に見えない巨大な“膜”。
だが、確かにそこには圧倒的な存在感があった。
「これが……跳躍にゃ?」
ミレが不安と期待の入り混じった声を上げる。
「しっかり掴まっていろよ。はぐれたら、そのまま結界の外に取り残される」
そう告げた途端、ミレがぎゅっと俺の腕にしがみついた。
小さな手に込められた力が、彼女の緊張を如実に物語っている。
「にしても……分厚い結界ね」
リナは不可視の天井を見上げ、まるで未知の実験装置を前にした研究者のような眼差しを向けていた。
彼女は妖術師であると同時に、類稀なる科学者でもある。
理屈で説明できないものほど、彼女の知的好奇心を刺激するのだろう。
声色が、わずかに高揚している。
「あぁ。無の空間を、無限に押し固めた次元の壁だからな」
「……調べ甲斐があるわ」
一瞬、彼女の眼鏡がキラリと光った……気がした。
「何回経験しても慣れないね〜」
次元の層を踏みしめ、空中に形成された足場へと着地する。
足元は確かに存在しているのに、視覚的には何もない。
それだけで、この先に進む覚悟を試されているようだった。
「さぁ、世界を越えるぞ」
「準備はいいよねっ?」
俺と麗華の問いかけに、
「勿論です……とうに覚悟はできています」
「世界跳躍……どんな経験になるのかしら」
「ちょっと怖いけど……楽しみにゃ!」
三人は、それぞれの想いを込めて頷いた。
「それじゃあ……行くよっ!」
足場に一気に力を込め、全速力で不可視の天井へと跳躍する。
――激突。
次元の天井にぶつかった瞬間、空間そのものが歪んだ。
全身が軋み、内側から押し潰されるような圧力が襲ってくる。
「凄い力っ……! 潰されそうッ」
「これが……跳躍か……!」
俺は歯を食いしばり、足元から妖力を解き放つ。 一気に加速――すると、
パキリ。
乾いた音と共に、空間にひびが走った。
「空間に……ヒビが入ったのにゃ……?」
「このまま……押し切るぞ!」
さらに力を込め、亀裂へと身体をねじ込む。 ひび割れは蜘蛛の巣状に広がり、ついに――
バキィィンッ!!
次元の天井が、砕け散った。
「割れたのにゃ!?」
「すぐ修復される! 今のうちに飛び込むぞ!」
俺はミレを、麗華はレイラさんとリナの身体をしっかりと掴み、
砕けた次元の向こうへと身を投げ出した。
――――次元のトンネル――――
そこは、光の渦とは正反対の世界。
どこまでも続く闇と黒。
星すら存在しないはずなのに、なぜか“宇宙”を思わせる広がりがあった。
夜の闇を一直線に突き進み、次元の壁を次々と超えていく。
無を切り裂いて進んでいる感覚。 身体が軽くなり、速度という概念だけが残っていく。
「……凄い、綺麗」
「夜空みたいだにゃ……」
砕けた次元の穴から見えるマジュリアの景色は、みるみる遠ざかっていった。
「それで……次の世界は、どんなところなのにゃ?」
ミレが首を傾げる。
「ヒノキって名前の、夕焼けの世界だ」
常に黄昏に包まれた妖の世界。
そこに、俺の妹がいるかもしれない。
「そこには……妖将の一体がいるらしい」
「妖将……璃炎と同格、もしくはそれ以上の化け物……」
けれど――と、レイラさんが静かに続ける。
「もしかしたら、恩師の情報があるかもしれない」
彼女が同行してくれている理由。
行方不明になった、かつての恩師を探すためだ。
その時、視界の端に眩いオレンジ色の光が差し込んだ。
夕焼け。
「この光……ヒノキの夕日?」
「あぁ……もうすぐだ」
世界の光が届くということは、距離が限りなく近づいている証拠。
隣で、麗華が一気にスピードを上げた。
「よしっ! どっちが先に着くか競走ね!」
「いいだろう。だが……負けるつもりはないぞ?」
急加速。
一瞬で麗華の背後に迫る。
やがて、夕日の世界を内包した巨大なシャボン玉のようなものが、視界いっぱいに広がった。
「あれが……ヒノキ!」
「新しい世界……か」
距離、8990垓光年。
だが、体感時間はわずか十分。
俺たちは、夕焼けに染まる新たな世界へと――到達した。




