工業国家からの旅立ち
マジュリアで過ごす最後の夜は、驚くほど静かに更けていった。
歯車仕掛けの街が眠りにつくと、あれほど賑やかだった機械音さえ遠のき、宿の窓から見える街灯の光だけが、淡く路地を照らしていた。
そして――出発の早朝。
薄明かりが差し込む室内で、俺は静かに目を覚ました。
昨夜遅くから、レイラさんとリナからの連絡はない。
妖術通信の反応も沈黙したままだ。
「……リナさんたち、どうなるんだろうね」
ぽつりと零れたミレの声は、いつもの元気が影を潜め、不安に揺れていた。
麗華は何も言わず、そっとミレを抱き寄せる。その仕草は優しく、けれどどこか必死だった。
「分からないのにゃ……」
ミレは小さく呟き、麗華の胸に顔を埋める。
俺は一瞬、何か言葉を探したが、結局現実的な結論しか口にできなかった。
「……俺たちだけでも行くしかないだろ。跳躍の台座は、貸し出してもらってる身だ」
跳躍の台座――それは一国にひとつしか存在しない戦略級の転移装置。
その使用権を得るために、何日、何週間と待つ者も珍しくない。
俺たちはすでに順番を譲ってもらっている。
ここで足踏みをする余裕は、どこにもなかった。
「行くか」 「……うん」
短い返事とともに、俺たちはベッドを整え、最低限の荷物をまとめる。
滞在は短かったが、この部屋には確かに“居場所”があった。
「短い間だったが、世話になったな」
誰に向けたとも知れぬ言葉を残し、俺は客室の扉を閉めた。
――――城下町――――
ホテルでチェックアウトを済ませた俺たちは、王城へと続く石畳を歩く。
朝の城下町は、すでに動き始めていた。
蒸気を吐く配管、起動音を鳴らす歯車、忙しなく行き交う整備士や兵士たち。
この国が「機械と妖術の融合」で成り立っていることを、改めて実感させられる。
「その跳躍の台座って、どこにあるのにゃ?」 「王城の中庭だ。初代国王の石像の後ろにあるらしい」
答えながら、俺はふと足を止め、街並みを振り返った。
歯車と鉄で作られたこの街に、もう一度戻ってくる日が来るのだろうか。
「また遊びに来るからな。その時は……みんなも連れてくる」
それが約束なのか、願望なのかは分からない。
だが、そう言わずにはいられなかった。
王城の巨大な扉を押し開くと、空気が変わる。
外の喧騒が遮断され、歴史と権威だけが支配する空間が広がっていた。
――――王城――――
「お待ちしておりました、鬼哭団御一行」
整然とした声が響き、俺たちは足を止める。
そこに立っていたのは、マジュリア帝国軍中将――マルバ・レギオンだった。
「待っていてくれたのか?」 「はい」
マルバ中将は深く頷く。
「この国を救ってくださった英雄を見送るのは、将校としての当然の務めでございます」
その声音は落ち着いており、以前見せた獰猛さは影も形もない。
戦場で見た“狂気じみた射撃手”と、今の彼はまるで別人だった。
「では、こちらへ」
先導されるまま、俺たちは中庭へと続く通路を進む。
高い天井、色鮮やかなステンドグラスから落ちる光が床を彩り、両脇には鋼鉄の鎧が静かに並んでいた。
「この通路、通ったことなかったね」 「中庭は、今まで入れなかったからな」
誰もが自然と声を潜める。
ここは“通路”ではなく、“歴史の回廊”だった。
やがて、黄金色に輝く巨大な機械仕掛けの門が姿を現す。
扉には、騎士と二体の怪物が死闘を繰り広げる彫刻が刻まれていた。
一体は全身を炎に包み、
もう一体は背に巨大な時計盤を背負っている。
「……この絵、もしかして」 「兆笈と璃炎だ。この国で神として伝えられていた妖怪だな」
マルバ中将は扉を見上げ、静かに語り始める。
「この門は、約1800年前、先代の王が造らせたものです」
炎と怒りの神・璃炎。
時を司る神・兆笈。
「当時の国王は、彼らに挑みました。……正面から」
ミレが息を呑む。
「あいつら、そんな昔から……」
「ええ。騎士団と妖術師団を率い、国家そのものを賭けた戦いでした」
マルバ中将の声は淡々としているが、その言葉の一つ一つが重い。
「総合団長と五名の部隊長――当時、特妖にまで到達していた英雄たちが中心となり、二柱の神と激突したのです」
「彼らは勝ったの?」 「……いいえ」
一瞬の沈黙。
「璃炎の妖域の八割を消滅させ、二柱の力の半分以上を封印することには成功しました。しかし……」
マルバ中将は拳を握りしめる。
「その戦いで、騎士団は壊滅。妖術師も尽き、国は敗北しました」
誰も言葉を発せなかった。
「それでも――」
マルバ中将は顔を上げ、扉の彫刻を見つめる。
「彼らが命を賭して流れを止めたからこそ、歴史は続いた。そして現代で、あなた方がその続きを終わらせたのです」
門がゆっくりと開く。
その先に広がっていたのは、丁寧に手入れされた花園と、剣と盾を掲げる初代国王の石像だった。
静寂の中、俺たちは確かに理解した。
――この国は、1800年分の“覚悟”の上に立っているのだ、と。




