全てを焼き尽くす怒り
怒り狂う璃炎を前に、レイラは静かに息を吸った。
胸の奥が焼けるほど痛い。けれど、それすらも冷静に受け止める。
(炎は空気を食らう……。ならば、風を奪えば一瞬は鈍る)
彼女は冷気を操り、周囲の空気を凍結させた。
氷の結晶が宙に舞い、空気の流れが止まる。
わずかな間、炎の渦が揺らぐ。
璃炎の瞳が微かに動いた。
(今……!)
レイラは無詠唱で氷刃を放つ。
光の帯が直線を描き、璃炎の肩を掠める──しかし、即座に赤光が弾け、傷は瞬時に焼き塞がれた。
「悪くない……が、浅い」
璃炎の炎が再び爆ぜる。
赤黒い火柱が天井まで達し、神の間を真昼のように照らす。
レイラの結界が悲鳴を上げるようにきしみ、白亜の杖が軋んだ。
(分析はできた……。炎の発生点は身体の表面ではなく、精神そのもの。熱を遮断しても止まらない……。なら、私のすべきことは──時間を稼ぐことだけ)
彼女は唇を噛み、再び結界を展開する。
氷晶の壁が幾重にも重なり、薄青の光が神殿を満たした。
その瞬間──。
「レイラさん!」
「加勢に来たぜ!」
扉が開き、二人の冒険者が駆け込む。
直剣使いと斧使い、共に歴戦の猛者の顔つきだ。
しかしレイラの表情は凍りついた。
「来てはダメです……!」
彼女の声が悲鳴に変わるのと同時に、空気が爆ぜた。
ボチュン──ッ。
斧使いの上半身が跡形もなく消えた。
瞬きする間もなく、直剣使いの身体が赤光に包まれ、黒炭のように崩れ落ちる。
抵抗する間も、痛みを感じる暇もなかった。
(……これが、璃炎の「怒りの反応」)
レイラは冷静に観察していた。
璃炎の怒りは感情ではなく、刺激に対する自動反応。
敵意・挑発・恐怖──そのどれかを発した瞬間、灼熱が反射的に爆ぜる。
理不尽。だが、理解すれば一瞬の隙も見える。
(怒りを刺激させない……。行動を読ませない……。私の“氷”で間合いをずらすしかありません)
だが、味方たちはその理を知らない。
無謀な勇気が、次々と散っていく。
「回復します! じっとして──」
僧侶の頭が音もなく弾けた。
次の瞬間、短剣使いの首が不自然な角度に折れ、床へと崩れ落ちる。
レイラは歯を食いしばった。
「動かないで……! 怒りを増幅させてしまいます!」
だがその声が届くより早く、次の炎が走った。
残る者たちが次々と黒焦げに倒れていく。
数秒のうちに、静寂だけが残った。
燃え残る匂いと、溶けた金属の光。
レイラは膝をつき、地に散った仲間の影を見つめた。
震える手で一人の瞼を閉じる。
「……ごめんなさい。私の判断が、遅れました」
その声はかすれていたが、悲しみよりも、責任の色が濃い。
彼女の脳裏では、すでに次の行動が描かれている。
(璃炎は怒りの神格。怒りそのものが存在理由……。理を超えた存在に勝てないなら、せめて情報を持ち帰ること)
立ち上がる。
焦げた空気を切り裂くように、冷気が再び広がった。
彼女の身体からは蒸気が上がり、汗が氷結するほどの温度差が生まれている。
「これが……最後の手です」
氷の花弁が舞い上がる。
次の瞬間、レイラの杖から吹雪が放たれ、璃炎の炎をかき消した。
一瞬、空気が静まり返る。
だが、璃炎の口角がゆっくりと上がった。
「……やはり、腹立たしい」
次の瞬間、世界が赤に染まる。
閃光のような一撃が走り、レイラの身体が宙に浮く。
灼熱の腕が、彼女の胸を真っ直ぐに貫いていた。
「カハッ……! ぁ……」
鮮血が溢れ、白衣を染める。
倒れながらも、彼女は冷静だった。
自らの傷を見つめ、分析するように小さく呟く。
「致命傷……です、ね……」
その瞳に映るのは、未だ燃え続ける神の炎。
そして、その向こうに、遠い過去の影──かつての恩師の笑顔。
(先生……。あなたの教えを……最後まで、守れたでしょうか)
光が遠のく中、レイラさんはうっすらと微笑む。
口元に微笑を浮かべたまま、レイラさんは意識を手放した。




