私の氷結妖術だから
俺たちが灼蝸魔の群れと対峙していたその頃――。
トラップによって分断されたミレとレイラは、迷宮の暗い通路を落下していた。
「にゃっ……!?」
「きゃ……っ!」
長い落下のあと、二人が辿り着いたのは、薄暗くも不気味に広がる広間だった。天井にはぽっかりと穴が空き、そこからわずかに紅い光が射している。
「いたた……。ここは、どこでしょうか……?」
頭を押さえながら立ち上がるレイラは、すぐに周囲を見渡した。
空気は重く、湿っている。それでいて妙に静か――まるで音そのものが焼き尽くされたような空間。
妖気を探る。だが、灼蝸魔のような殺意の波は感じられない。
(……おかしいですね。気配が途絶えている? 隠密系の妖術使い……?)
考えながらも、レイラの表情は険しい。敵が見えないというのは、最悪の状況だ。
だが、やがて彼女の視線は、部屋の奥――巨大な石扉に吸い寄せられる。
鬼の面が彫り込まれ、両脇の篝火が血のように赤く燃えていた。
その炎の揺らめきが、まるで扉の鬼が笑っているように見える。
「いやな……感じ、にゃ……」
「恐らく、あの先に璃炎がいます」
レイラの言葉に、ミレの耳がぴんと立つ。
だがその瞬間――。
「っ!? 足元……!」
突如、床に赤い文様が浮かび上がった。鬼の面が二人の足下から浮かび上がり、紅い炎が渦を巻く。
「トリガーは……踏んでないはずにゃ!」
「これは……強制転送陣!?」
抵抗する暇もなく、二人の身体は炎に包まれ――。
視界が真紅に染まった。
――――璃炎の間――――
炎の奔流が収まり、二人は目を開く。
そこは、地獄そのものだった。
四方の壁が溶岩で覆われ、天井からはマグマが滝のように流れ落ちている。
息を吸うだけで喉が焼け、肌を刺す熱気が全身を襲った。
「っ……はぁ、はぁ……。なんて……熱さ……」
「ひぅ……息ができないにゃ……」
常に冷気を纏う氷結妖であるレイラでさえ、皮膚が焼ける感覚に耐えかねていた。
(これが……妖将の領域。存在しているだけで命を削られる……)
だが隣を見やると、ミレはすでにふらついていた。
その小さな身体が揺れ、次の瞬間、崩れ落ちる。
「ミレちゃん!」
駆け寄り、肩を抱く。
全身が高熱で火照り、息も荒い。
「体に……力が……入らないにゃ……」
(最悪です……。ミレちゃんの体温上昇が早すぎる。完全に熱中症の初期症状……!)
レイラの思考が急速に回転する。
敵の気配はある。扉の奥――この部屋の主。だが、それよりも今はミレの命が先だ。
「……仕方ありませんね」
彼女は決断した。
全身の妖力を練り上げる。
氷結の力が限界まで膨れ上がり、足元の岩盤を一瞬で凍らせた。
空間を凍てつかせる絶対零度の波動が、周囲の炎をかき消す。
「少しの間、眠っていてください……ミレちゃん」
レイラは両手を組み、詠唱を囁いた。
[『氷結妖術』 大陸氷河]
凍てつく奔流が爆発的に広がり、床を伝って氷の大地が形成されていく。
ミレの身体を優しく包み込み、そのまま透明な氷のシェルターが生まれた。
熱の世界に、一点だけ存在する冷気の聖域。
「ふぅ……。これで少しは……」
呼吸を整える間もなく、レイラは立ち上がる。
その瞳は、灼熱の玉座を見据えていた。
そこにいた。
紅蓮の鎧を纏い、炎を纏った長い角を持つ概念体のような鬼――妖将・璃炎。
玉座の前で炎が揺らめき、その中心で神は嗤った。
「小娘が……二人きりとは、愚かだな」
その声だけで、空気が震える。
まるで山が唸るような圧力。
だが、レイラは退かない。
彼女は静かに、杖を構えた。
「あなたを倒すつもりはありません。けれど――」
氷の刃が周囲に咲き誇る。
「ミレちゃんを守る。それだけは、絶対に譲れません!」
次の瞬間、烈火が奔る。
璃炎が右腕を振るうと同時に、溶岩が噴き上がり、炎の槍が放たれた。
それをレイラは氷壁で受け止める。
轟音と共に、熱と冷気がぶつかり、白と赤の閃光が炸裂する。
視界を奪う閃光の中、レイラは歯を食いしばった。
(時間を稼ぐ……。せめて、宝様が来るまで――!)
氷結の妖気が、限界を超えて溢れ出す。
紅炎と蒼氷が激突し、迷宮の奥で再び地鳴りが響いた。
その光景を、氷のシェルターの中で眠るミレは知らない。
ただ、彼女の頭の中に聞こえたのは――。
優しい声だった。
「大丈夫です……。きっと、助けが来ますから」
その声と共に、灼熱の地獄で、たった一人の氷結魔道士が戦い続けていた。




