時の神
麗華が桜を散らす大太刀を構え、時を司る妖怪――特妖、兆芨の前に静かに向かい立った。
夜風に乗って舞う花弁が、張り詰めた空気の中で一瞬だけ静止したかのように見える。
その光景は、まるで世界の時間そのものが麗華の一瞬の決意に従い、呼吸を止めたかのようだった。
《『特妖』兆芨》
――特妖。
それは、この世界において“国家”単位を滅ぼすことすら可能な存在。
最上位の妖五十体が束になっても拮抗できるかどうか――災厄級の力を持つ怪物。
そして今、麗華の目の前に立つ兆芨は、まさに“時の神”の名を冠する存在だった。
その身体は異様に膨張した筋肉と骨格を持ち、常人の比ではない力の塊だった。
赤く光る瞳は不規則に揺れ、奥底ではまるで“時間そのもの”が渦巻くような錯覚を与える。
巨腕に刻まれた複雑な刻印が光るたびに周囲の空気が歪み、瓦礫の山も地面も、あたかも生きているかのように震える。
(斬ったのに、手応えがなかった……。それに、時間が飛んだようなカウンター……この妖怪、ただ者じゃない)
麗華の瞳が鋭く細まる。微かな息づかいすら、音を失ったかのようだ。
肌をビリビリと焼くような重圧感。
胸元の大きな膨らみが深い呼吸に合わせて上下するたび、戦場の空気まで生き物のように躍動する。
天真爛漫な彼女の存在感が、絶望的な戦況の中で光を放っていた。
だが次の瞬間――目の前の空間が“ズレ”た。
気づいた時には、兆芨の巨腕が眼前に迫っていた。
「なっ……!」
(全く見えなかった……?)
風切り音とともに頬を掠める衝撃。
圧倒的な速度。否、時間そのものが巻き取られた感覚だった。柔らかく豊かな膨らみを弾ませながら、麗華の身体は無意識に身を翻す。
「けど、それはこっちにとっても好都合だよ!」
麗華の声が弾ける。恐怖よりも、好奇心。冷静な観察と、勝負師の血が熱くなる。
巨大な拳が迫る中、足元の瓦礫が粉砕され、破片が空気を切る。
爛漫さが、絶望を打ち破る光として戦場に映えた。
妖怪が間合いに入った瞬間、麗華はその隙を見逃さず、太刀を閃かせる。
時空すら断ち切る一閃――それは兆芨の頚を捉えたと思えた。
[『時間妖術』 時空錯誤]
刹那――時が滲む。
斬撃の軌跡が空気に焼き付き、景色が一枚のガラスに封じ込められたかのように静止する。
しかし気づけば麗華は、刀を振るう“前”の体勢に戻っていた。
「……これ、さっきと同じ!」
視界が波打ち、時空が乱れ、映像が二重写しになる。
兆芨の拳が、地鳴りのような音を立てて落ちた。
――重い。空気が潰れ、鼓膜が軋むほどの重圧。
麗華は紙一重でその巨腕を回避するが、迎撃の瞬間、再び時間が歪む。
「カハッ……!」
拳が胸に突き刺さる。
衝撃が骨を砕き、空気を弾き飛ばす。麗華の身体は光の尾を引きながら吹き飛び、着弾と同時に爆発が起こった。城下町の一角が科学結界ごと瓦解する。
「うぐっ……。守り以外にも使えるの? これ……」
マジュリアの城下町を包むBランク世界層の結界
――“現実”を幾重にも重ねた人工防壁。
その層を一撃で貫通させる威力。
麗華は口元を拭う。血の味。
胸元の膨らみも破砕の衝撃に揺れるが、瞳は揺らがない。
「手痛いダメージだけど、アイツの能力はわかったよ」
(恐らく時間操作系ね。さっき私の攻撃を外した時、時間が揺れてる感覚を覚えた。“己の好きな時間で戦える妖術”ってところだね)
冷静な分析。戦場の只中でも、彼女の声は研ぎ澄まされていた。
だが――そのスピードを捕らえた理由はまだ解けない。
(どうやって、私の“0秒移動”に追いついた?)
麗華の速度は、行動を起こす時間すら要さない。瞬間的に空間を貫く――それをも超える動き、つまり相手は「時間」すら踏み台にして戦っているのだ。
麗華の口角が僅かに吊り上がる。
豊かな膨らみが踏み込みの衝撃で弾み、天真爛漫な笑みと躍動感を同時に放つ。
「なるほどね……。あなた、ただの時操作じゃないね」
花弁が散り、麗華が地を蹴る。
[『桜鈴妖術』 桃源閃軌]
桃色の閃光が走る。
花の刃が描く軌跡は、桃源郷の夢のように美しく、現実を断ち切った。
兆芨の腹を確かに裂く――背後で重たい鐘の音が鳴り、針が真上で交差していた。
「手応えあり! っ……!」
しかし見上げれば、兆芨は無傷で立っていた。
(時間を巻き戻した……。でも、私の攻撃は“時間を超越”している。時間操作じゃ止められないはず)
疑念が確信に変わる。
(……そうか。時間を巻き戻してるんじゃない。私を“時間支配下に置いている”んだ)
兆芨のもう一つの術式――
[時征妖術]。対象を強制的に自分の“時間操作の支配下”に引き込む能力。
「それなら……これを使うしかないね」
麗華の妖気が一変した。
華やかな桜から、静謐な水流へ。
「『清流妖術』……私のもうひとつの切り札の出番だよ




