怒りの神
マジュリアの王の口から告げられたのは、この世界を統べる鬼の女帝──酒呑童子の配下のひとりの名であった。
「璃炎……炎を操る妖怪か?」
俺が口にした問いかけに、王は重々しく頷いた。
「如何にも。奴はただ炎を操るだけではない。憤怒そのものを孕み、あらゆる“怒り”の原点を象った妖怪であり、神格だ」
その言葉に、炎と怒りを司る存在の圧力を直感したのか、ミレの瞳が不安げに揺れ、リナとレイラの空気も張り詰めた刃のように鋭利へと変わる。
「……その璃炎という妖怪。なにか明確な特徴はあるのか?」
俺が視線を鋭くして問うと、テスラ三世が低い声で応じた。
「特徴と呼べるものは定かでない。なぜなら、奴は形あるものではなく、怒りという抽象の概念が凝り固まり、妖怪として立ち現れた存在だからだ」
そこで一度言葉を区切り、王は重々しい口調で続けた。
「だが……璃炎の誕生には、このような神話が伝わっている」
そう言って語り始めたその内容は、伝承を越え、まるで天地創世の原記録のようであった。
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今より十兆年前。
ラグナドールは四柱の神々と、その上に立つ世界神──大御霊之命によって創り出された。
原初の神々は荒涼とした虚無の大地に息吹を与え、海を割り、山を築き、樹木を植え、人類と獣を形作った。
やがて大御霊の命により、四柱はそれぞれの役を担うこととなる。
一柱は「生命」を司り、一柱は「法則」を統べ、一柱は「次元」を織り、一柱は「死絶」を見守った。
彼らは存在の意味を根底から定義し、無限に広がる可能世界の全体を繋ぎとめる支柱であり、その頂に座す大御霊之命こそが、すべての秩序を束ねる絶対神であった。
彼らが見守る中で人類は、五兆年という歳月を経て初めて文明を築き、法を整え、自治を覚えた。
神々は人々に自立する力をを与え、威厳をもってその歩みを見届けた。
──永遠に安泰が約束されるはずだった。
だが、五千年前。
突如として顕現した、鬼の女帝・酒呑童子が単身神々に戦を挑んだ。
迎え撃った法則神は、ありとあらゆる摂理を統べる絶対者であった。
だが、酒呑童子の薙刀がひと振りされた瞬間──空間に響いた閃光は、神の身体を断ち切り、その存在をあっけなく葬り去った。
その一撃は法則神を殺すに留まらず、天上に幾重にも重なっていた無限の次元の壁を、脆き陶器のごとく粉砕した。
死絶の神は「対象の状態を死滅で固定する権能」を振るい、生命神は「無限の生命を紡ぐ権能」で抗った。
だが、そのいずれもが虚しかった。酒呑童子の薙刀は彼らを一息に斬り捨て、権能ごと無へと帰した。
残されたのは世界神・大御霊之命と、次元を統べる神。
次元神は幾億の層を重ね合わせ、酒呑童子を押し潰そうとした。だが、女帝はその全てを腕の一薙ぎで払い除け、そのまま次元神の胸を打ち抜き、彼とその神座をもろとも消し飛ばした。
最後に立ちはだかった大御霊之命すら、女帝の手によって心臓を抉られ、首を刎ねられた。
こうしてラグナドールを護っていた神々はすべて滅び、世界神の玉座は酒呑童子のものとなった。
そして彼女は、その亡骸を媒体に五体の鬼神を生み出した。喜、怒、哀、楽、憎──人間の心を分け裂いた五つの権化。
その中で死絶神の亡骸から生まれ落ちたものこそ、怒りと炎を統べる神格・璃炎。
以来、彼は魔導国を支配し、怒りを原動とする永劫の炎を吐き続けているのだ。
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重苦しい神話を聞き終えた時、ミレの耳がわずかに震えていた。
(今度の相手は……神様なのにゃ?)
言葉にせずとも、胸奥にのしかかる恐怖は誰の目にも明らかだった。
「……大丈夫? ミレちゃん」
麗華がそっと顔を向け、優しく声をかける。
ミレははっと我に返り、慌てて尻尾を揺らした。
「だ、大丈夫なのにゃ!」
(私は主様のために命を懸けるって決めたのにゃ……! ここで怯えてちゃ、隣に立てないのにゃ!)
マジュリアの王もその姿を見据えていた。
(恐怖を抑え込んだか……まだ幼さを残す身であろうに)
深く息を吸い込み、ミレは真っ直ぐにテスラ王を見据えた。
「ありがとうにゃ……もう、大丈夫なのにゃ」
その眼差しには、先ほどまでの怯えはなく、ただ揺るがぬ勇気の光が宿っていた。
「……さっきの話をまとめると、璃炎の妖術は三つってことだな」
麗華が俺に問いかける。
「あぁ。『火炎妖術』『憤怒妖術』……そして、『死絶妖術』」
火炎──炎を操る術。
死絶──対象の寿命を今に引き戻す術。
だが、問題は憤怒妖術である。
「効果は不明だが……生還した兵の証言によれば、戦闘が長引くほど璃炎の出力は増していったらしい」
戦いながら燃え上がる炎。
怒りと共に果てしなく膨張する力。
「……時間経過で強化されるバフ系か」
俺が考え込む隣で、レイラが王に深々と頭を下げた。
「貴重な情報を感謝いたします」
「儂も璃炎を討ち果たしたい。その者に相応の支援を送ろう」
こうして謁見は幕を閉じた。
王城を出ると、夕陽に照らされた街並みが橙色に揺れていた。
馬車に揺られながら考え込む俺の肩を、麗華が軽く叩いた。
「もちろん、私たちも戦うよ。だって、仲間なんだからさ!」
「私も尽力させていただきます、宝様」
「わたしも……もう怖くないのにゃ!」
「一緒に戦いましょう、宝様」
四人の声が重なった瞬間、胸に熱がこみ上げた。
「……麗華、リナ、レイラさん、ミレ。あぁ、共に璃炎を討とう」
「もちろん!」と声を揃える仲間たち。
俺は夕陽に染まる空を仰ぎ、蒸気機関に包まれた国を見渡した。
仲間と共に歩む未来の先に、怒りと炎の神格──璃炎との決戦が待っている。




