森の主
森の奥へ踏み込んだ瞬間、空気が変わった。
先ほどまでの風妖精や岩熊とは明らかに質の異なる――殺気そのものが圧力として降り注ぐ感覚。
肺の奥が重くなり、魔力が自然と全身を巡る。
この森は、ここから先を「選別の場」に変えている。
「……なるほど。ここが境界か」
足を進めるごとに、森は光を失っていく。
血と土が混ざった鉄臭さが鼻を刺し、風に運ばれてくるのは、つい先ほどまで生きていた存在の名残だ。
魔物の亡骸。
いや――冒険者の死体が多すぎる。
切り裂かれた鎧、へし折られた剣、逃げようとして背中から砕かれた痕跡。
抵抗も戦術も意味を成さなかったことが、一目で分かる。
「風精長ですら“番兵”か……」
そう呟いた瞬間、低く、腹の底に響く咆哮が森を震わせた。
「グルルォォォォォ……!!」
姿を現したのは、三メートルを超える岩熊。
背中に突き出た岩塊は自然物ではない――魔力で生成された外殻だ。
その足元には、引き裂かれた冒険者の亡骸が無造作に転がっている。
そして、その死の中心で――一人だけ、生き残っている存在がいた。
「……や、やばいにゃ……」
白髪の猫獣人の少女。
逃げ場を失い、後退する足は震え、血が地面に滴っている。
次の瞬間。
岩熊の剛腕が、空気を圧殺しながら振り下ろされた。
直撃すれば、跡形も残らない。
――だからこそ、考える暇はなかった。
俺は踏み込み、少女を抱え上げると同時に地面を蹴った。
「安心しろ。――ここから先は俺の領分だ」
「にゃっ!?」
衝撃と同時に、岩熊の腕が地面を叩き割る。
地盤が崩れ、木々が跳ね上がり、森が悲鳴を上げた。
「……風精長以上だな」
岩熊は標的を失った苛立ちから、抉り取った大地ごと岩塊を投擲してくる。
質量、速度、破壊力――すべてが人間の想定を超えている。
だが。
「その“世界基準”は、俺には通用しない」
指先で受け止めた瞬間、岩塊は完全に静止した。
「ガ……ゥ……?」
「にゃ……!?」
少女の目が、信じられないものを見るように見開かれる。
「返すぞ」
投げ返した岩塊は、空間を歪ませながら岩熊へ直撃した。
巨体は木々をなぎ倒し、森の奥へ吹き飛び、衝撃で地形そのものがひび割れる。
その隙に、俺は少女を地面に下ろし、即座に傷を確認する。
太もも、脇腹――致命傷一歩手前。
放置すれば確実に死ぬ。
「少し我慢しろ」
止血を施す間にも、森の奥から鈍い振動が伝わってくる。
――立ち上がったか。
「気を付けるにゃ……あいつ、上妖クラス……」
「知ってる。だから――ここで終わらせる」
再び現れた岩熊は、怒りで背中の岩殻を隆起させていた。
[『岩熊妖術』棘岩飛]
岩の雨が空を覆う。
通常の冒険者なら、回避も防御も不可能だ。
「悪くない技だ」
だが俺は、一歩も動かない。
拳と足で叩き砕き、砕けた破片を掌に集める。
[『火妖術』炎瓦礫玉]
火炎と瓦礫が融合した弾丸が、咆哮ごと岩熊を貫いた。
巨体が崩れ落ち、森はようやく静寂を取り戻す。
地面には、岩棘の欠片だけが寂しく残った。
「……助かった、にゃ……」
「名は?」
「琴爪ミレ……猫又の末裔にゃ」
差し出された紫妖結晶を受け取り、俺は小さく頷く。
「生き残った判断は悪くない。……同行を望むなら、拒まない」
ミレの尻尾が、はっきりと喜びを示した。
「まずは治療だ。――この森は、まだ“奥”がある」
こうして俺は、
この世界で最初の仲間を得た。




