風の森林
魔力のうねりが渦巻く風精霊の森林へ一歩踏み入れた瞬間――
世界の“音”が、明確に変質した。
耳を裂くような風鳴り。
それは単なる自然音ではない。意志を持った咆哮だ。
木々の葉は刃のように震え、枝同士が擦れ合うたび、甲高い金属音に似た悲鳴を上げる。
薄暗い森全体が、生き物の肺のように膨張と収縮を繰り返していた。
(……空間そのものが敵意を持ってるな)
足元の落ち葉は異様に乾き切っており、踏み込むたびに、細い骨を砕くような嫌な音が響く。
上空から差し込む光は乏しく、風がひとつ吹くたび、影が不規則にうごめく。
誰かの呼吸音のように。
あるいは、獲物を待つ捕食者の前触れのように。
「視界不良、風圧異常、妖力濃度も高い……」
低く呟く。
「ダンジョン換算なら、少なくとも中級クラスだな」
進むにつれ、地面の様子が変わっていく。
木の根元、倒木の影、窪地――そこかしこに、冒険者の亡骸が転がっていた。
皮鎧。粗末な剣。擦り切れたポーション瓶。
どう見ても初心者パーティだ。
だが死に方は、初心者向けではない。
胴体は裂け、骨は砕かれ、断面は鋭利な刃物で切られたように滑らか。
風の刃による切断――即死も、逃走も許されなかった証拠だ。
「……完全に初心者殺しの森だな」
その瞬間。
森の奥から、悲鳴のような風切り音が炸裂した。
「『木妖術』 緑風刃!」
濃緑色の風刃が奔流となって走る。
視界を横断する斬撃の帯。
十数本の巨木が、ほぼ同時に切断された。
倒木の連鎖音が、雷鳴のように森を震わせる。
「……ほう」
俺は片手を振り、風刃を正面から弾いた。
衝撃波が走り、空気が歪む。
その一瞬で、位置を把握する。
(前方二。背後三。風に同化して潜伏――連携も悪くない)
俺は足元の小石を一つ拾い上げた。
次の瞬間。
それは“投げられた”というより、“解き放たれた”。
音速を超えた衝撃が空間を引き裂き、
衝撃波が森を薙ぎ払う。
数十本の木々が、まとめてへし折れた。
「ギャバァッ!!」
一体は内臓を破裂させられ、木上から血を撒き散らしながら落下。
跳び出してきたもう一体には、俺のアッパーが炸裂する。
顎ごと頭部が跳ね上がり、身体は空中で回転しながら消えた。
《「中妖」凩風精》
風の歪みが解け、妖精たちが実体化する。
背後から跳びかかってきた二体――ナイフを構えていたが。
俺は振り返りざま、肩からぶつかった。
鈍い音。
骨が砕け、肉体が潰れる感触。
二体まとめて、原型を留めず地面に叩きつけられる。
残る一体は、木の上で凍りついていた。
恐怖で身体が動かないらしい。
「逃げろ」
冷たく告げる。
「死にたくなければ、森に帰って二度と出てくるな」
指を軽く弾く。
それだけで発生した風圧が、妖精を吹き飛ばし、気絶させた。
魔石を懐にしまい、歩みを進める。
――その時だ。
森全体が、軋んだ。
枯葉が空を覆うほど舞い上がり、
巨大な魔力の波動が、地面を通して伝わってくる。
「……部外者」
重低音の声が、森中に反響した。
《『上妖』風精長》
森の主。
その存在感は、山を押し潰す重圧そのもの。
[『風塵妖術』 枯大竜巻]
森が悲鳴を上げた。
地面が裂け、枯葉と木片が巻き上がる。
五十メートル級の竜巻が、空を覆う。
「はは……いいね」
俺は真っ向から走った。
次の瞬間、跳躍。
竜巻へ蹴りを叩き込む。
爆発的な衝撃。
竜巻は内部から破裂し、霧散した。
衝撃波で周囲の木々が薙ぎ倒され、空が露出する。
「まだだろ?」
怒りの咆哮と共に、第二の竜巻。
今度はさらに巨大。森全体を巻き上げる規模だ。
俺は竜巻の中心へ突っ込んだ。
風圧が皮膚を裂くが、痛覚は反応しない。
視界の中央――風精長。
「――見つけた」
右腕に、獄炎が灯る。
[『炎妖術』炎上刈上]
灼熱の炎柱が立ち上がり、
風精長の顎を打ち抜いた。
空が割れた。
巨体は雲を突き抜け、
落下地点には直径三十メートルのクレーター。
風が、止んだ。
「……耐えきれなかったか」
肩をすくめる。
「もう少し遊べると思ったんだがな」
懐から零れた翠の宝玉を回収し、さらに奥へ。
風の霧が濃くなる。
気配は一つ――だが、明らかに格が違う。
(……こいつは)
風精長すら前座に思えるほどの圧。
「ようやく――本番か」
俺は歩みを止めない。
未知の存在へ向けて、確実に距離を詰めていった。




