一反木綿
夜気が湿っていた。
山の奥深く、風も声を失う闇の中で、白いものが揺らめいた。
それは霧ではなかった。
ひと筋の白布が蛇のように舞い、玲の首へと絡みつく。
「が……ぁ……!」
「玲さん!」
ミレが叫び、薄紫の光を纏うダガーナイフを抜き放つ。
刃が閃き、風を裂く……。だが、白布はふわりと暖簾のように身を翻し、かわした。
「躱されたのにゃ!?」
焦燥の中、俺は足元の石を拾い上げ、拳の中で燃やし上げた。
紅蓮が指の隙間から漏れ、熱で空気が歪む。
「そろそろ離れとけよ」
赤熱の石が火線を描き、白布へと叩きつけられる。
衝突の瞬間、爆ぜた炎が闇を裂き、白布はひらりと舞い退く――そして、次の瞬間にはミレの首筋を狙って迫った。
「やばいにゃ……!」
「させないわよ」
玲が懐から南蛮銃を抜き放つ。金属の冷たさが空気を切り裂く音。
その刹那――ミレの瞳から一瞬……光が消えた。
肩が小刻みに震え、息が荒くなる。
「っ……大丈夫? ミレちゃん」
「なんでも、ありませんにゃ……」
玲の瞳に、分析の光が宿る。
(……銃、か。何かの記憶を刺激したのね)
白布はなおも空を泳いでいる。
その姿を、俺たちは見据えた。
《『上妖』 一反木綿》
玲が軍刀を構えながら説明を続ける。
「一反の長さを持つ布の妖怪。首を絞め、命の光が消える瞬間を悦ぶ性質があるわ」
その瞬間、白布の“尾”が裂けるように伸びた。
[『白布妖術』 布の籠]
十数本の布が蛇の群れのように空を奔り、俺たちを囲む。
「やぁッ!」
「にゃあッ!」
玲とミレの武器がそれぞれ一本ずつを裂くが、動きは止まらない。
布の群れが地面すれすれにまで迫り、俺を包囲する。
「範囲拘束技か……」
「宝殿!」
「ご主人様!」
「安心しろ――俺を誰だと思ってる」
俺の足元で、円を描くように炎が広がった。
音もなく空気が膨張し、熱が唸る。
「その程度で俺を捕らえられるか? 焼却開始だ。」
僅かに足に力を込めた瞬間、爆炎が立ち上がる。
陣の中心から放射状に広がる炎は、白布を一枚残らず灰に変えた。
「……一撃で消し炭にしたの?」
「強度だけなら鋼鉄の刀すら叩き折れるのにゃ……なにそれ……」
玲とミレが呆然と見上げる中、俺は一歩前に出た。
「戦闘中に布の心配か?」
一反木綿がひるむ。
炎の光を映したその身体が、怒りで震えた。
俺は拳に炎を纏わせる。
「ご主人! そいつに物理攻撃は効かないのにゃ!」
「しなるから、だろ?」
俺の声が、確信を孕んで低く響く。
「しなる暇を与えずに、一撃で焼き尽くせばいいだけの話だ」
再び、一反木綿が風のような雄叫びを上げた。
布が集まり、一本の巨大な槍の形を成す。
[『白布妖術』 鋭布刺槍]
光速の突撃。空気が裂け、衝撃波が大地を抉る。
「なるほど、岩熊よりも速いな」
俺は落ちていた石の塊を拾い、飛来する布の側面に滑らせた。
火花が散り、石の表面が研ぎ澄まされていく。
「まさか……研ぎに使った!?」
玲が息を呑む。
一反木綿が再び布を束ね、怒号を上げる。
次の一瞬。
鋭槍が角度を変えて俺の背後から迫る。
「ご主人!」
「二度も同じ手は通じん」
振り返りざま、研いだ石を一閃。
光速の突撃が真っ二つに裂かれ、焦げた布片が空を舞う。
「……あそこまで正確に見切るなんて……」
一反木綿の動きが止まった。
恐怖と絶望――それが形を持って漂う。
「今回は偵察任務だが……。敵は少ない方がいい」
瞬間、俺の姿が消えた。
爆炎の残光の中で、一反木綿の身体が縦に裂かれる。
さらに四方から炎が巻き上がり、残骸すら残らず焼き尽くす。
一反木綿は、自分が事切れたと言うことに気が付かないまま死んだ。
「な、なんという……上妖が、勝負にもならない……」
「知ってたけど……どこまで強いのにゃ……」
呆然とする二人の背後で、夜風が吹き抜けた。
焦げた匂いと静寂だけが残る。
「
他にも上妖が潜んでいる可能性がある。追手は始末した――戻るぞ」
二人はハッとし、俺の後を追う。
森を抜ける風が赤く染まり、遠くで炎がゆらめく。
(あの一反木綿でさえ、山童よりも下位……。奴ら四体を街に被害なく殲滅――容易くはないな)
炎の残光の中で、俺は静かに歩き出した。
その瞳に宿るのは、怒りでも恐怖でもない。
ただ、理不尽を焼き尽くす焔のような……確信だった。




