異世界転移
目を覚ました瞬間、俺は見覚えのない草原に立っていた。
地平線まで続く緑。空は澄み、柔らかな風が頬を撫でる。
一見すれば、どこまでも平和な景色だ。
――だが。
(……この空気)
空気の底に沈殿する、重く粘ついた気配。
それは、俺がかつて“鬼の皇帝”として玉座にあった頃、日常的に浴びていた妖怪たちの瘴気と酷似していた。
「……異世界、か?」
呟きながら、周囲を見渡す。
ゲートの痕跡はない。魔法陣も、空間歪曲の残滓も感じられない。
まるで最初から、ここに存在していたかのようだ。
「ゲートを通さずに転移……前代未聞だぞ」
俺たちの世界は、全異世界の集結点であり、管理領域だ。
外側からの干渉など、理論上あり得ない。
なのに俺は、ここにいる。
念のため管理局への接続を試みるが、応答はない。
「東京本部にすら繋がらない、か」
喉の奥で、低く息を吐く。
「……本部を超える権限層の世界?
そんな場所が、本当に存在したというのか」
理解不能な状況を整理するため、俺は転移直前の記憶を辿った。
――――
俺の名前は鬼燈 宝。
夏時高校二年。殺し屋組織・星空隊所属。
横を歩く桜姫 麗華が、溶けそうな声を出す。
「あっつ〜……ねえ宝、私がじゃんけん勝ったらアイス奢って?」
「金あるだろ。自分で買え」
「え〜、いいじゃん……ね?――あれ?」
渋谷本部まであと数分。
人身売買組織の壊滅任務を終えた帰路で、俺たちはそれを見つけた。
街中に、ぽっかりと浮かぶ白い光の渦。
「あれ……光のトンネル?」
「ワープホール、だな」
白く揺らめく渦は、周囲の空間を歪めながら静止している。
不気味だが、目を逸らせないほど整った“美しさ”があった。
「ブラックホールみたい……あっ!」
麗華が一歩踏み出した瞬間、
渦は牙を剥いた。
凄まじい吸引力。
車、街路樹、ゴミ箱――すべてが悲鳴を上げるように引き寄せられる。
「きゃっ!? なにこれ!」
「ブラックホールそのものだ……!」
抵抗する間もなく、
俺と麗華の視界は白に呑まれた。
――――
そして今。
「……本当に、どこだ」
草原を歩く中で、俺は気付く。
周囲に点在する生命反応――十数。だが質は低い。
「妖気に似てるが……薄いな。雑魚ばかりだ」
その時、前方の草を割って現れた。
青い体毛に覆われた、イノシシ型の魔獣。
《「下妖」|小猪》
「なるほど。階級制か」
「ブォォォォ!!」
地面を砕きながら突進してくる。
だが――
俺の足にぶつかった瞬間、
それは“ただの衝突音”に変わった。
魔獣の方が弾き返され、地面を転がる。
「その程度では、話にならん」
手に生み出した大剣を、軽く振る。
次の瞬間、
地面が裂け、空気が爆ぜ、魔獣ごと大地が断ち割られた。
「……やりすぎたか」
指を鳴らすと、亀裂は縫い合わされるように元へ戻る。
代わりに、戦利品が足元へ落ちた。
それを拾い上げ、懐に仕舞う。
歩き出すと、今度は鈍色の影が迫る。
三メートル級の巨狼。
《「中級」|貪食狼》
「グルルゥゥ……」
「さっきよりは、少しマシか」
鉤爪が振り下ろされる。
俺は人差し指で、それを止めた。
金属音。
次の瞬間、軽く押す。
狼の巨体が、地面を削りながら数十メートル吹き飛んだ。
「攻撃ってのは――」
踏み込み、拳を構える。
「こう、打つ」
右ストレート。
空気が潰れ、衝撃が遅れて到達する。
魔獣は断末魔すら残さず、白い煙となって消えた。
「……この平原では、こいつが限界か」
牙を回収し、顔を上げる。
前方に、明らかに異質な森が広がっていた。
魔力が濃く、風が渦を巻く。
〔中級妖域『風精霊の森林』〕
「ようやく……世界が本気を出してきた、か」
口角が自然と上がる。
「次は、少しは楽しめそうだ」
俺は、その樹海へと足を踏み入れた。




