誰からも愛されないなら、誰も愛さないと決めた
「ああ、可哀相に。これからの貴方は一生誰からも愛されないのよ」
口元に嘲りを交えた継母から言われたこの一言が今なお私の心を蝕んでいる。
幼くして実の母を病で失った私にとってそれは、まさしく呪いの言葉だったから。
名門伯爵家レーベルドミの子女ではあるものの、逆に言えば子女でしかない私ミューズにとって唯一の後ろ盾は父しかいない。
「いつまでそうやって泣いているつもりだ。お前がそんな調子では彼女を我が家に迎え入れにくいではないか。割り切れ。寛容になれ」
けれども血を分けたはずの父は先妣を想い悲嘆に枕を濡らす私には目もくれず、後妻となった女性とそのお腹に宿る新たな命に関心が向いていた。
「待ち遠しいわ。きっと私に似て、この子は人から好かれる子になる。ミューズ、誰からも愛されない孤独な貴方と違ってね」
日頃繰り返される継母からの暴言に耐えているとやがて腹違いの妹――ラズベリルが生まれ。
前妻の忘れ形見である私はいよいよもって立場が危うくなり。
「いいか? 一応お前は我が家の長女だがあくまでラズベリルにもしものことがあった時のスペアだ。それを自覚してこれからも生きていけ。そうすれば存在を許してやる。本来ならば弱い女の血が流れているお前は捨て置かれても文句は言えないのだぞ」
その頃にはもう味方は誰もいなかった。
最初の頃は私に同情的であった使用人たちも父の対応と、新しい夫人の言動に乗せられて、いつしか同じように邪険に扱うようになっていったからだ。
「みてみて、おはなのかんむりをつくったのー」
「まあラズベリルお嬢様ったら可愛い!」
「本当、どこかの誰かとは大違いだわ」
そしてラズベリルの母がかつて宣言したように、好奇心旺盛で明るく朗らかによく笑う義妹はなにをしても褒められて、まさに周囲の誰からも愛されて育っていった。
「ねえねえお姉さま――」
そんなラズベリルも最初は、幼女の頃は私を本当の姉と慕って後ろをついて回った時期もあった。
けれど彼女の成長にともない自我の発達と身内による異母姉のぞんざいな扱いに触れ、あの子もまたこちらを見下すようになり。
「本当にお姉さまったら愛想がございませんわね。そのようなだからわたくしのように皆に愛されないのではなくて? 辛気くさい顔をされてないで笑顔の練習でも少しはしてみたらいかがかしら?」
理由を知っていて、あえてそのことには触れない義妹の嫌みにはこちらも反応しない。
仮にこちらが嫌がって見せたところで相手が喜ぶだけなので、これが私にできるせめてもの抵抗だ。
「ふう、お姉さまときたら耳の痛い忠告にはすぐにそうやって黙りなのだから。今からそのご様子ではカール様にも嫌われてしまいましてよ?」
余計なお世話、としか言いようがない。
少なくとも心配からきている言葉でないことだけは確実なのだから。
カールは私の婚約者だ。もちろん父に用意された政略結婚の相手で、近く輿入りする予定である。
本来ならただの政略の相手というだけで他の感情を抱くことはない、たんに父の道具としての役割を果たすことだけを望まれているのだから。
けれどもカールと初めて二人きりでお会いした時から、彼は私の唯一の生きる希望となっていた。
「やあ、ミューズ嬢。……会って早々にこのようなことを言うと遊び人のように思われるかもしれないけれど、いずれ僕の妻となる君だからこそあえて先に伝えさせてもらうよ。向こう方からの話に聞いていたよりもずっと君は可憐で、素敵な女性だとね。ああ参ったよ、完全に僕の一目惚れだ。今回の結婚はあくまで政略的なものでミューズ嬢には何の思い入れもないことだろう。しかし我ながら勝手だとは思うが、それでも僕は君を愛したい」
というカールの声を聞いた瞬間、恥も外聞もなく私はその場で泣き崩れてしまったことがある。
「みゅ、ミューズ嬢!? な、泣くほど、泣くほど僕の言葉が嫌だったのか!? すまない、君にとっては望んでもいない相手からのこんな発言なんて気分のいいものじゃないと配慮すべきだったね! 吐いた台詞を撤回するつもりはないが、もし良ければ今のは聞かなかったことにしてくれないか!」
そうじゃないと手だけでなんとか制し。
ただ、突然の自体で彼をオロオロさせてしまったにも関わらず流れる涙は差し出されたハンカチでも抑えることはできず。
――僕は君を愛したい。
だってそれは、その一言は、これまでずっと私がかけてほしかったものだから。
かつて継母から浴びせられた、私は一生誰からも愛されないという残酷な宣告。
最愛の母を失い、実父からは忌み子扱いをされ、義妹や使用人に嫌がらせを受ける日々の中、初めてかけられたこちらに歩み寄ってくれる温かい言葉。
「お前に自由は必要ない。レーベルドミの駒としてその生涯を終えよ」
とは以前からの父の談。
まさに籠の中の鳥であった私の前に颯爽と現れ、ほしかった言葉をくれたカールの存在がなによりもまぶしくて。
だからこそ気づくと私もまた、このような自分を愛してくださるのなら喜んで、と彼に素直な気持ちを告白したのだった。
「……ありがとう、ミューズ嬢。いや、ミューズ。ここに君への愛を誓うよ」
別に確証があったわけではない。けれどもカールとなら、たとえ何があってもこれからの人生を二人で上手くやっていけると信じていた。
そう信じていた、のに……。
――結婚式を翌日に控えたある日の夜、カールは裸の義妹と寝ていた。
「おや」
「まあ」
四つの瞳が驚愕に彩られた私の姿を捉える。
そうやって一拍間を置いてから、カールが弁明を求めるこちらに向かって口を開いたものの、返ってきた答えは想像と違って。
「はははラズベリル、賭けは僕の勝ちのようだね。君の義姉は夜の誘いをかけたらこうして会いに来てくれたよ? 君曰わくミューズは婚前交渉をしない身持ちの固い女性とのことだったね。だけど結果はどうだい? 初夜を迎える前にのこのこ男の寝所にやってくるふしだらな女性じゃあないか!」
そんなつもりはなくて明日の式のことで胸に抱く不安を少し慰めてほしかっただけなのに、なんで。
「ええ、残念ですわね。お姉さまがそのような女性ではないとわたくし信じておりましたのに。可愛い義妹の期待を裏切るなんて最低ですわ」
ーっ、どの口がそれを言うの!? 第一ふしだらなのはそっちの方じゃない! 結婚前の男を寝取ろうとするだなんて、浅ましい女がすることでしょう!?
「しかし勘違いなさらないでくださいましね、これはお二方が籍を入れる前に犯した一夜限りの火遊びであって不貞には当たりませんわ。お借りしていたカール様はもちろんお姉さまにお返しいたしますのでご安心を」
返すって、まるで玩具みたいに……! そうだ、いつだって義妹は私の物を奪ってきた。外行き用に一応与えられた形だけのドレスやアクセサリーなどは別にいい、要らない、けれど亡き母の形見の品を笑いながら奪われたことは忘れない。
なのにそれが今度は婚約者まで……?
「おいおい酷いなラズベリルは。僕が前からずっと口説いて、ようやく念願叶って君と床を共にできたというのに淡白だなぁ。せっかく義姉に嫌がらせをしたい君のために気のないミューズに思ってもない嘘の愛を捧げたというのに」
え……、なに、なにを言っているのカール。
気のない? 嘘の愛? なにそれ。つまりあれは義妹の指示ってこと?
「いやあ、それにしても君はミューズのことをよく熟知しているようで。君のアドバイス通りの文言を取り入れたらコロッと騙されてくれたよ。特にアレだね、『僕は君を愛したい』って一言。正直自分で言ってて寒いなぁと思ったけど、その一言を聞いたミューズが泣き出しちゃって逆に焦ったよ」
「ふふ、嫌われ者のお姉さまは人から愛されることに憧れを抱いておりましたもの。ですからせめて形だけでも叶えて差し上げたいと思った次第ですわ。それを嫌がらせ目的などとは耳聞こえの悪い」
「よく言うよ。嘘の愛の告白に踊らされて女の顔をし始めたミューズのことを君に報告をしたらとても人様には見せられないような顔をしていたくせに。まあそんな君も可憐で、素敵だったけれどね。……うん、仮に火遊びだったとしてもそれでもやっぱり僕は君のことが好きだ、ラズベリル」
「いやですわカール様ったら、他ならぬ婚約者の前で堂々と浮気宣言ですか?」
「構わないよ。むしろこれも君の意地悪な計画の内だろう? 最後まで協力させてほしい」
もうやめて。
「さてこの際だから真実を告げておくよミューズ、本音を言えば僕はお前のようなつまらない女は好みじゃないんだ。華やかさに欠け、陰気な雰囲気で、その癖自分が世界で一番不幸だって思い込んでいるようなその性根も何もかも気に食わない。はっきり言って異性としての魅力は皆無だ」
お願いだから。
「そりゃあ誰からも愛されないよね。自分自身すら愛せない奴がどうして他人から愛されると思う? 僕だって、出来ることなら愛しのラズベリルと結婚したかった。たとえそれが高望みだったとしても、だったらせめて僕の自由意志でミューズに婚約破棄を突きつけたかったよ、好いてもいない女との結婚なんて冗談じゃないってね」
これ以上は聞きたく、ない。
「――だけどこれは政略結婚だからね。お家同士の繋がりだから、個人の好き勝手に振る舞うわけにもいかないんだよ。だから僕も家の犠牲になることを決めたんだ。でもねラズベリルに対する淡い恋心は心の奥底に封印しても、それで気持ちがお前の方に向かうことはない。……もっと分かりやすく言ってあげようかミューズ、お前を愛することはないと」
――そこからの記憶は判然としない。
最愛になるはずだった人から裏切られたショックで深く物事を考えられないままでいると、いつの間にか結婚式はおろか初夜すらも終えていた。
そのまま乱れた衣服を整える気力すら沸かないでいると。
「気は進まないが白い結婚にするわけにもいかないからね、血の繋がった子供だけは生んでもらうよ。僕も精一杯お前を抱く努力だけはするからさ。ああだけどくそっ気持ち悪い、早く服を着ろ。それから出来るだけ早く妊娠してくれるとお互い助かる」
確かに愛情に飢えていた。
誰かに愛してほしかった。
ましてそれが夫からのものであるのなら、なおのこと嬉しかった。
でも結局はまやかしだった。
ここにあるのはただの生き地獄。
どれだけ求めても。
どれほど焦がれても。
私はこれから先を生きていても誰からも愛されることはないのだろう。
きっとそういう星の下に生まれてきてしまったのだから。
……ああ、もう疲れたな。
早く楽になりたい。
何もかもしがらみを捨てて楽になって、あの世に旅立った母に会いたい。
きっと母なら、そう私を生んだお母さまなら唯一我が子に無償の愛をくれるはずだから。
よし、そうと決まればだ。
さっそく行動に移そう。
大丈夫、だって私は嫌われ者のミューズだから。
いなくなったところで他人から感謝こそされ誰も悲しませる謂われはない。
もちろん私にとってもこんな酷い世界とおさらば出来るのは喜ばしいことだ。
それでもレーベルドミの人間として最低限の役目を果たしたかと、最後にどこか冷静に判断した私はそのまま一人出歩き、近くの湖に身を投げた。
息苦しさは……特に感じなかった。
周囲に疎まれながら日々を過ごしていた時の方がよっぽど息苦しかったから。
あとはただ漠然と己の死を待ち望んでいれば勝手に終わらせてくれる、などと期待に胸を膨らませていたら、やがてその瞬間が訪れ――。
「やあ、ミューズ嬢。……会って早々にこのようなことを言うと遊び人のように思われるかもしれないけれど、いずれ僕の妻となる君だからこそあえて先に伝えさせてもらうよ。向こう方からの話に聞いていたよりもずっと君は可憐で、素敵な女性だとね。ああ参ったよ、完全に僕の一目惚れだ。今回の結婚はあくまで政略的なものでミューズ嬢には何の思い入れもないことだろう」
――ふと気が付いた時には、カールと私が初めて二人きりで会った頃まで時間が巻き戻っていた。
「しかし我ながら勝手だとは思うが、それでも僕は君を愛したい」
ははは、ははは。ひひひははひははははははははひはひははははひひはははははははひひはひはは
どこかから不気味な笑い声が聞こえる。
酷く陰鬱で、まるでこの世の全ての憎しみを凝縮したかのように嗄れた声音。
「みゅ、ミューズ嬢……?」
目の前に佇む何も知らない男は恐怖で引きつったような顔でこちらを見る。
……ああそうか、この耳障りな声で狂ったように笑っているのは私なのか。
普通なら起こり得ない奇跡に見舞われて再び絶望のどん底に突き落とされた我が身を呪い、けれどもただ笑うより他なかったのだろう。
ことここに至ってようやく思い知らされる。
どうやら私は人からだけでなく神からも愛されることはないのだと。
生ぬるい己の死すら許されないほど嫌われているのだと。
それならば、と私はある暗い決意を固める。
誰からも愛されないなら、誰も愛さない――。
さて。
過去をやり直す機会と未来で見知った裏切り者の裏の顔、せっかくのこの状況でこれらを生かさない手はない。
だからまず私がこれからするべきことは今し方の奇行を謝罪し、こう付け加える。
――それで先ほどのカール様へのお返事ですが、このような自分を愛してくださるのなら喜んで。
と。
「……ありがとう、ミューズ嬢。いや、ミューズ。ここに君への愛を誓うよ」
なんとか元のルートに誘導が完了した。
あとはそのまま過去のミューズの言動をなぞればいい。ただし前回と違うのは、私の心だ。
近い将来自分の気持ちが弄ばれることを最初から分かってさえいれば、カールにもう一度裏切られた時にショックを受けることもない。
義姉に嫌がらせをするためだけに守るべき純潔を失ったラズベリル。
目をかけていた娘が婚約前に進んで傷物にされたせいで腫れ物を抱えることになる父と継母。
気のないどころか嫌悪すらしている女と政略結婚を続けて子まで設けなければならないカール。
やがて待ち受ける未来がこれ。
しかしいずれにせよこの四人にはミューズという人間を壊した責任をとってもらうことにした。
とはいっても私が直接彼らに手出しするわけじゃない。
黙って婚約者の嘘に騙されたフリをしながらあの悪夢のような結婚式前夜を迎えて、前回命を断った場面の更にその先を生きつつ、やがて周りが勝手に自滅してくれるのをただじっと待つ。
それが望まぬ二度目の人生を迎える私ミューズのささやかな復讐だ。
(了)
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