第9話:雌牛とゴブリン
ゴブリン殺すべし。慈悲は無い。
ミネルヴァさんと別れてぼくは頑張って草原をひた走った。持久力は無いので休み休みだけど。走る、休む、食べる、走る、休む、食べる、このリズムだ。水場がないので水分は草で摂る。
しばらく走ると前の方に街道の様なものが見えて、その先には人間の街がある。実際、グレンと一緒に立ち寄ったからどんなところかは分かるんだけど、グレン無しだからモンスターとして討伐されちゃうだろうしね。
だからぼくは大きく迂回をして街道から逸れた。馬車が通る様に草が抜かれた道よりも、草原の方が走りやすい。いや、食料補給的な意味でね。
街から離れているからか動物はそこそこいるが人間はあまり見えない。この辺りの動物は草食動物の大人しいのばかりだ。たまに強いのもいるけど、気性は荒くない。
「こんにちは」
「おや、見かけない顔だな」
「はい、ちょっと故郷に帰る途中なんです」
「そうかい。気を付けて行くといい」
途中で会った牛さん。この辺りをぶらぶらしているそうな。はぐれてるのかな? 普通は牛さんってまとまって暮らしてるよね?
「私は群れに置いていかれてね。足を悪くしたから。でも動けないわけじゃない。のんびり暮らしているよ。訪ねてくるものも居るし」
訪ねてくるもの? なんだろうと思ってるとグギャアグギャアと汚らしい声がする。あれは良く聞いた声だ。それも駆け出しの頃に。
「ゴブリンだね」
「あいつらが訪ねてくるもの?」
「違うさ。鬱陶しいから追っ払ったりはするけどね。でもなんだろう。いつもは私の方に近寄ってこないのに」
ゴブリンたちはこっちに近付いて来る様子はない。むしろ何かを囲んでいるみたいな。あれは狩りかな? この辺にゴブリンが狩るような獲物ってなんだろう。
「これはまずいことになったみたいだね。あんたは逃げな。私はどうやら行かなきゃいけないみたいだよ」
牛さんが決死の覚悟をした感じでそっちの方にびっこを曳きながら歩いていく。ぼくはゴブリンの居る方をよく見てみた。そこにはゴブリンが二体、それから何か小さな生き物が一体。あれは、グレンと同じ人間だ。小さな女の子みたいだ。
「ゴブリンども、立ち去りなさい!」
ウモーと牛さんが雄叫びをあげた。いや、この牛さん、雌牛なんだけど。雌叫びとは言わないもんね。
「ああん? 釣れた釣れた!」
ちょっと何言ってるのか分からない。ここは海でも川でも無いのに釣り? グギャグギャうるさいんだよなあ。
「お前たち……」
「はっ、お前が目障りなんだよ! お陰で俺たちゃおまんまの食い上げだ!」
「森の中で木の実でも採ればいいんじゃないか」
「肉だよ、肉を食いてえんだ。分かるだろう?」
「私にゃ分からないね。こんなに沢山草が生えてれば食事には困らないじゃないか」
まあぼくもそう思うけど、ゴブリンはきっと草を食べないんだ。前にグレンがお金無くてお腹空いた時に、ぼくの食べる草を分けてあげたんだけど、苦笑いしてたからなあ。あとからブランとノワールから人間は草を食べないよって教えてもらってびっくりした。だからゴブリンもきっとそうなのだろう。
「まあいいさ。せっかく獲物を見つけたんだ。こいつは柔らかそうだからな。食いごたえないが腹はふくれる」
ニタァと笑うゴブリンの口からはヨダレが垂れていた。手の武器は人間の女の子に向いている。
「その子は、その子はやめなさい」
「やめろって言われてもなあ。俺たちゃ腹が減ってんだ。我慢出来そうもないねえ」
「そうだぜ。まあもっとも? 代わりに俺たちの食い物になってくれるやつが居れば別なんだがよ」
「そうだなあ。食いでがあれば満足してこんなやつ逃がしちゃうかもだぜ?」
こいつら、どう考えても牛さんを食べる気だ。でも、あんな人間の女の子代わりに牛さんが自分を差し出すのかな?
「くっ、わかったよ。私は足をやられたポンコツだ。その子の代わりになるのなら好きにしたらいい。その代わりその子には傷一つつけるんじゃないよ」
牛さんが譲った。つまり、あの子はこの牛さんにとって、ぼくにとってのグレンみたいな存在なんだろう。ぼくだって、グレンの助けに、なれるものならなりたかった。ぼくの身を差し出してでも。
「いい度胸だ。じゃあぶっころさせてもらうぜ。ひっひっひっ」
「先にその子を放しなさい」
「そうはいかねえ。放した途端に逃げられたくねえからな」
「私の足では逃げられまい」
「それでも、だ」
ゴブリンたちはいやらしい笑いを浮かべている。こいつらが約束を守るだろうか。ゴブリンは悪逆非道、人を騙す事をなんとも思っていない。不意打ち、騙し討ち、死んだフリなど常套手段。人前に出てこないゴブリンだけ生きてていいみたいな事をどこかの高名な冒険者が言っていたってグレンが語ってくれた。
つまり、奴らが約束を守るとは限らないってことだ。いや、確実に奴らは約束を守らないだろう。




