駅のホームにて
私は気が付くと駅のホームに突っ立っていた。
普通の学生なら登下校の途中かもしれないし、普通のビジネスマンであれば通退勤、
若しくは仕事で移動中ということもあるだろう。
しかし、私はおよそ考え得るどの身分にも該当しなかった。
つまり、私は普通ではないということだった。
辺りを見回すと、それらの身分であろう大勢の人々で、ホームはかなり混んでいた。
隣人と談笑しながら、そわそわしながら髪を撫でている学生たち、
忙しげに辺りを歩き回ったり、しきりに腕時計を眺めているスーツ男、
うな垂れた様子で、顔を床に俯けて立っている男、
その男を怪訝そうに眺めていて、荷物袋を片手に、顔を手で扇いでいる中年女。
全てが世の中における生活の象徴ともいうべき不思議な暖かみがあって、
不自然な部分などまったく無いように感じられた。
一つ不自然な点があるとすれば、やはり私の存在であった。
こんな(おそらくは)間抜けな表情で突っ立ているだけの私に、誰一人目を合わさないどころか、
まったく気づいてすらいない様子だった。
私に一瞥もくれることなく、横を通り過ぎてはどこかに消えていった。
私は長い構内をゆっくりと歩き始めた。
・・・誰かに声を掛けて、確認した方がよかっただろうか?
「そこのあなた、もしかして私に気づいてますよね?」
などと聞こうものなら、気でも違ったのかと思われるは間違いないだろう。
などと考えて、話しかけるのは止めにしておいた。
どのくらい歩いたのだろうか。次第に人の気配はなくなっていった。
私の終点、ホームの端にある古い塗装椅子まで歩いたところで、私はハッ、と意識を外に戻した。
その椅子には何者かが座っていて、しかも明らかにこちらに意識を向けているのである。
その者は中性的な顔つきというには不遜に感じられ、女なのか、男なのかは判断し兼ねた。
ただ、全身に黒い礼服のようなものを身にまとっていて、大層行儀良く鎮座している。
赤い目だけが、私の物色が終わるのを待つとでも言うように、ずっと私を見据えている。
「お前は、私のことが誰か分かるな。」
その者は、私が口を開くより先に質問を繰り出した。
「あなたを見て、今しがたようやく理解しました。私は気が違ったか死んだんでしょうね。」
「フム。」
その者は足を組み、手を頬についた。
「直接的な答えにはなっていないが、お前の認識は正しい。尤も、今回の場合は後者だがね。」
「では、どのように私は死んだのでしょう?」
「覚えていないのか。乗降口に俯いた男が居たのを見ただろう。あれがお前だよ。
その後の展開については言うまでもないが、なんだったら見学してもいい。」
「いえ、遠慮しておきます。」
自分が死んだというのに、そこまでの動揺はなかった。
発せられた言葉が、不思議と真実味があって腑に落ちるのである。
「お前は自分が死に、なお意識もあるというのに、動揺しないのだな。」
「そうでもありませんよ。でも、これからの事を考えるとそんなことはどうだっていいですね。」
「これからの事、とはどういった事柄かね。」
「勿論、あなたの背後にある門ですよ。
そこから私は、どこぞの主人公として新しい生を歩むのでしょう?
それも剣だの魔法だのの世界の主人公ときた、むしろ心躍らずにはいられないと思いませんか。」
彼らの辺りはとっくに駅の構内ではなくなっていた。
空間はぼんやりとした白さに染まり、男と門番の二人と、重々しい鉄の門を残すのみとなっていた。
門番は腕を組んで、足を逆に交差させ直した。なおも表情だけは変えず、男の言葉に答えた。
「お前の認識は正しい。確かに、この門は異世界に通じる道に繋がっている。
お前の望むところである剣だの魔法だのの世界かどうかは分からないが、あらゆる特別な能力
を持つ者として転生させてやる力もこの門にはある。」
男はたまらず喜びの笑みをこぼした。
「だが、お前がこの門を通るに足る者であったか、というのはまた別の話だ。
そもそも、新たに生を授かるのが恩恵というのであれば、その恩恵を受けるに相応しい者が
自分の他に大勢いると思わないのか。」
急な拒絶に対して、男は目の前の玩具を取られた子供のように憤慨した。
「まるで詐欺ですね。死は人に対して平等と良く言うでしょう。その観点でいけば、
生前の生き方はどうあれ、全ての者が等しく恩恵に預かる権利があるはずだ!」
「お前の認識は正しい。死後、人々に対して不平等な振り分けが行われるという
話をよく耳にするが、私はついぞそのような人々も現場も見たことがない。お前の言う通り、
平等は守られているということだ。しかしだからといって、お前をこの門に通す道理はない」
「でも、あなたは神様なんでしょう?門に人ひとり通すことぐらい簡単じゃないですか。」
門番が初めてその表情を変え、口角を僅かに上げるのを男は見逃さなかった。
「私はただの門番だよ。この門を通るには複雑な規則があって、私はそれを守っているだけだ。
それをどうこうする力も権利も私にはないのだ。」
それを聞いた男は酷く項垂れて、遂には一言も話さなくなった。
私は床のタイルを見つめていた。
いつの間にか、周囲は駅の乗降口に戻っていた。
「では、私はもういくぞ」
そう言い残すと、門番は雑踏の中へと消えてしまった。
男が顔上げると、門は依然として彼の視線の先、線路の上にぽかりと浮かんでいた。
門番が門をおいて去るなど可笑しな話だが、男にはそれを笑う余裕も時間もなかった。
その門の扉は今にも閉じようとしているのだ。
私は、門を視界に収めながら、ゆっくりと助走をつけ始めた。
周囲では、疑念に満ちたざわつきが起きている。
脇目も振らず、線路に向かって一直線に走り出した。
驚きと恐怖を含んだ悲鳴が私の耳を掠めた。
私は勢いよく線路に飛び込んだ。
ゴーーーッ、という轟音とともに、私の意識は途絶えていった。