93.刺激的、伝統の味!(1)
スパイスの香りがお店の外にまで漂っている。
私のおなかが再びくぅ、と音を立てた。
「すごく良い匂いです……!」
油断していると、よだれが口から垂れちゃいそうになる。危ない危ない。私は口元をぬぐって、お店の外観を写真に収めた。
一見すると、ベ・ゲタルではよく見る派手な色の小さなおうちだ。
玄関先に立てかけられた木製の看板だけが、お店であることを教えてくれる。そこにはお店の名前と、一種類しかメニューがないことが書かれてあって、外観とは相反する控えめな雰囲気が本格的な郷土料理のお店って感じ。
「お待たせしで申し訳ねえがや! アンブロシアさまだモン?」
待つこと数分。店員さんが扉を開けてネクターさんのお名前を呼ぶ。
「二階の席ば案内します、階段ば急になっどるモンで、足元に気をつげで」
見た目通り中も小さい。当然、一度に入れるお客さんの数も限られる。ネクターさんが予約をするのに少し苦労していた理由がわかった。
でも、この小ささが良いのかもしれない。
段数こそ少ないけれど階段は、上るだけでも一苦労な角度。
足を踏み外さないように気を付けて登ると、そこは大きな窓に囲まれた一室になっていた。
陽の光がたっぷりと入ってきて明るいし、開放感がある。
「うわぁ! 素敵! 外が森になってて、落ち着いた雰囲気もあるし……。こんなところで食べたら、どんなお料理も二倍はおいしくなりますね!」
「ふふ、ありがとうございます。当店自慢の一室だば、ゆっぐりしてっでください」
お料理は決まっている。一種類しかないからメニューもない。その分、お料理が来るまでこの景色を楽しんで待っていてくれ、ということなのだろうけど。
これは、かなり贅沢かも。
店員さんが入れてくれたお茶は、やっぱりあのスパイシーなベ・ゲタルのお茶。
ネクターさんがホテルでいつも入れてくれるものより少しだけ香ばしい。
「お茶の中に入っているスパイスの種類が違うんですかね?」
私が首をかしげると、ネクターさんはお茶に口をつけて首をひねる。
「……僕も、あまり詳しくはないのでなんとも。後で聞いてみましょうか」
ネクターさんは申し訳なさそうに笑みを作る。ネクターさんはすごく博識だから、もしかしたら、と思ったけれどさすがにベ・ゲタルのお茶のことだ。ネクターさんも知らないことがあるのか。
お店の中に充満するスパイスの香りで、どんどんと私のおなかは空腹を訴える。
アオも同じらしい。おうちから出してあげると、「ぴぇ、ぴぇ」とエサをねだるように声を上げた。
*
待つこと数十分。
おなかの音が何度目かの空腹を訴えたところで「お待たせしで申し訳ねえ」と店員さんの声がした。
「旦那ど二人でやっどるモンで、中々手が回らんモンで。ごめんなさいねえ」
「大丈夫です! それじゃあ、夫婦お二人でこのお店を?」
「ええ。旦那ば考古学者をやっとったがや。したらば、次第に昔の料理ば気になっだみだいで、いつの間にか伝統料理ば出す店の人間になっちまっだの」
世間話をしながらも、お料理を並べていく店員さんの手は素早い。それでいて、すごく丁寧だ。
さすがはプロ! 二人でお店を回していることを考えれば、作業が早くなっていくのも当然だろう。
ベ・ゲタルの食器は、派手な模様や柄、色が使われている。
ただでさえお野菜がたっぷりで彩り豊かなお料理の数々なのに、食器のおかげで食卓は見たことないほど華やかだ。
しかも、見たことのないお料理がたくさん!
そのどのお皿からも食欲をそそるスパイスの香りが漂っていて、これはもはやテロだ。
「それじゃ、料理の説明ばさせでもらいますモン」
「お願いします」
ネクターさんの手にはしっかりとメモが握られている。
私も早く食べたい気持ちをぐっと抑えて、店員さんの話に耳を傾けた。
「まず、スープばダールと呼ばれでおるモン。キマメ、トマト、ペッパー、ニンニクなど……豆を中心に野菜や果物、香辛料ば混ぜて作るがや」
「キマメ?」
「ベ・ゲタルでは良く使われる豆の一種ですね。確か、乾燥に強くて、ベ・ゲタルの生育環境でも耐えられると聞いたことがあります」
「あら、お客さんば詳しいねぇ! ベ・ゲタルば来たことあるの?」
「いえ。たまたまです。続きをお願いしても?」
ネクターさんは笑みをうかべてサラリと流す。やっぱり、料理人であることは内緒にしたいみたい……。
「あぁ、そうね! ごめんごめん。ダールばそのまま飲んでもええがや、ちょっど辛いだば気をつげで。トルティーヤばつけで食べてもええし、その隣のフリタシオばつけで食べてもええモン」
「フリタシオ?」
またもや聞いたことない名前だ。ネクターさんへと視線を向けると、彼も小さく首を横に振った。
「フリタシオば豆を発酵させて固めたモンがや。ベ・ゲタルでも特に古くからある料理だモン」
「なるほど……」
ネクターさんは心当たりがあるのか「ふむ」と小さくうなずいたかと思うと、メモにさらさらと何かを書き込んでいく。
「豆のほくほくしだ食感ば特徴で、そのまま食べると素朴な味ばするがや。ダールかサ・バルにつけて食べるんがオススメだモン」
そのままの流れで、店員さんはサ・バルという付け合わせの辛味調味料についても詳しく教えてくださった。玉ねぎやニンニク、トウガラシなどのスパイスを使った調味料で、なんにでも合うのが特徴らしい。
その後もよどみなくトルティーヤとサラダの説明をして、いよいよメインへ。
待ちわびたかのように食器の上に鎮座しているチキン料理は、鳥をまるまる焼き上げたんじゃないかと思うほど、ボリュームたっぷり。
「最後ば、メインのバナ・ゴレだモン。バナードば鳥は知っどりますか?」
「知ってます! 国立公園でもたくさん見たし……すっごくおいしいですよね!」
「そう言っでもらえで嬉しいがや。このバナ・ゴレば、バナードの頭以外、まるまる一匹使っだ料理だモン。スパイスに漬け込んだバナードを揚げだの」
「バナードをまるまる一匹⁉」
なんて贅沢なの! すごい!
昔の人たちは捕まえたバナードをそのまま調理していたんだとかで、それを再現したんだとか。こだわりも立派だ。
「んだば、ゆっぐりしていっでください」
にっこりと笑みを浮かべた店員さんの姿が見えなくなると、私とネクターさんは、早速両手を組んだ。




