9.夜市の夜はどこまでも
「っ! すみません、そうですね。次のお店を探してみましょう!」
慌てたようにガタガタとイスから立ち上がる料理長。けれど、
「すみません、お会計を」
次の瞬間にはおじさんへスマートに声をかけていた。
超びっくりした。料理長が慌ててくれてホッとした。
料理長はもう少し自分がイケメンであることを自覚してほしい。
「おう! どうだった?」
おじさんに声をかけられ、私も我に返る。
「あ! すっごくおいしかったです!」
「おお! そうだろ! ありがとな。えっと会計は……」
カバンからごそごそとカードを出すと、おじさんは目を丸くしてカードを見つめた。
「こりゃまたすごいのが出てきたな。というか、そっちの兄ちゃんは料理人みてぇだし、あんたら何者だ?」
「名乗るほどの者ではありませんよ。そちら、使えますか?」
「いや、まぁ使えるが……。料理人と良いとこのお嬢ちゃんがなんだってこんなところに」
「私たち、おうちを追い出されちゃったんです」
「はぁ?」
「お嬢さま! 誤解を生むような言い方はやめてください」
「なんだ、兄ちゃん。綺麗な顔して、お仕えしてるお嬢さまと駆け落ちか?」
「ありえません! 十も年が離れてるんですから」
「「十⁉」」
私とおじさんの声が重なった。
しかも、なぜか言い出した料理長がびっくりしている。
「あぁっと……お嬢ちゃん、今いくつだ?」
「今日、十八になりました!」
「ということは……」
「料理長、二十八⁉」
いくつか年上だろうとは思っていたけれど。二十八には見えない! 絶対に!
「イケメンってこわぁ」
私の呟きにおじさんもうんうんと力強くうなずく。
「ま、なんだ。色々あったんだな。その……料理人の舌でも満足させられたんだったら良かったぜ。また来てくれよな」
妙に気遣うおじさんに、料理長は複雑な表情で会釈する。
私はそんな料理長の横顔を見つめ、二十八? と二度三度、首をかしげることになった。
「別に驚くようなことではありませんよ。十五で料理の修行を受け、十八でテオブロマ家に拾っていただいたのです。そこから十年。料理長なんて役職にはいささか早かったと思いますが」
料理人の世界での十年がどんなものかは知らないけれど、多分、異例の若さってやつだと思う。
ジロジロと観察するように料理長を眺めていると、おじさんが店の中から戻ってきた。
「ほい。毎度あり! ま、二人ともこれからどうするのか知らんが、困ったら言ってくれ! いつでも力になるからな!」
「はい、ありがとうございました」
料理長は、会計を済ませたおじさんからカードを受け取ると、当たり前のように話題を流す。
「さ、お嬢さま。次へ行くのでしょう。何が食べたいですか?」
「え、えっとじゃあ! 次は、お野菜とか……あ、あそことかおいしそうです!」
ちょっと先に見えた看板。お野菜たっぷりのイラストが描かれたそれを指す。
「あぁ、良いですね。では行きましょうか」
料理長は、ごった返す人ごみをひらりひらりと避けて看板の方へ。私も、はぐれてしまわないように、サラサラのブロンドヘアを追いかける。
料理長は背も高くて、後ろ姿でも目立つから便利だ。
まだまだ休まるところを知らない夜市。あちらこちらから聞こえてくる笑い声。キラキラと輝く電灯に、歩くたびに変わる香り。
目がくらんでしまいそうになるほど眩しい世界に、料理長の背中はほんの少しだけ浮いて見える。
寂しそう、っていうか。
やっぱり、お屋敷を追い出されてショックなんだろうか。明るく振舞ってくれているけれど、料理長からしてみれば突然のクビってやつだし。
「……料理長!」
カードを構えて料理長を呼ぶ。
少し先を歩いていた彼がゆっくりと振り返り、揺れるブロンドヘアに、ピカピカと店先の電球の光が反射した。
パシャリ。
シャッターが切れる。
仮想スクリーンに投影された、今まさに風景を切り取ったばかりのその写真は、被写体が良いからなのか、まるで作り物みたいに美しくて。
「また勝手に人のことを撮って。二十八になるおじさんを取って、何が楽しいんです」
「思い出になるじゃないですか! きっといつかこれを見て、こんな時もあったな、って笑えるかもですし」
「お嬢さまは本当にポジティブでいらっしゃるというか……。お屋敷を追い出されたばかりの人とは思えません」
「そうですか? いや、そりゃまあ、悲しかったり、寂しかったりはしますけど! 実際、外に出て、おいしいものもいっぱい食べれてますし!」
お母さまやお父さまが望んでいる「一人暮らしをして、いろんなことを学びなさい」という大層な指令からはまだまだ程遠いかもしれないけれど。
少しずついろんなことを知っていけたらいいのだ。それこそ、今日みたいに。
「料理長はあんまり楽しくないですか?」
「どうしても考えてしまいます。僕のせいで、お嬢さまを巻き込んでしまったのではないかと」
「それを言うならお互い様ですよ。建前は少なくとも、かわいい子には旅をさせよ大作戦、ですし」
「……それは、そうですが」
「ほら! 着きましたよ! おいしいもの食べて、元気を出しましょう! 少なくとも、私は料理長と一緒で良かったって思ってますから」
「僕と一緒で?」
「はいっ! だって、料理長と一緒だと、いろいろ料理のこと教えてくれるし。おいしいご飯がもっとおいしくなります! 今まで知らなかったこと、今日だけでいっぱい知りました!」
だから、これからもよろしくお願いします。
そう笑って見せたら、さっきまでちょっと前を歩いていた料理長が立ち止まって、私を見つめる。
「……なるほど。お嬢さまが、お写真を撮りたいと申されている意味が、少し分かりました」
それは本心からの笑みではなかったんだと思う。
でも、今までみた料理長の笑顔の中ではとびきりで、一番綺麗な笑顔だった。
料理長の言葉の意味は、本当のところは良く分からなかったけれど、なんとなく照れくさくなって私はでれっとはにかむ。
「次はいっぱいお野菜食べましょう!」
あんまりにも眩しくて直視できないから、私は料理長を追い抜いてお店の前へと駆け寄る。
後ろから聞こえる料理長の足音が、ほんのちょっぴり軽くなったように聞こえた。
夜市の夜は、きっと、まだまだ長い。
料理長と二人で、いっぱいおいしいものを食べよう。