88.薫る風、ビットン農園(3)
「あだす達ば育ててるビットンの量は……」
お姉さんたちの説明を聞きながら、車でビットン農園を回る。まるで、国立公園でジャングルバスに乗った時みたいだ。
このビットン農園は、ベ・ゲタルでも長い歴史を持つらしい。
オーナーさんの先祖が代々家族で経営していて、今ではおよそ百人もの従業員――もとい、家族や親せき一同でこの農園を運営しているらしい。
どうりで、オーナーさんに対してみんなフランクだったわけだ。
ちなみにお姉さんたちは双子で、お姉さんがモカさん、妹さんがコナさんだ。
オーナーさんはおじいちゃんに当たるという。
「ベ・ゲタルでもトップクラスの質と量をどうして維持管理できているのか不思議でしたが、家族で代々守り継いでいるのですね」
二人の話を聞いたネクターさんが感慨深げに息を漏らす。
しかも、私たちが今見せてもらった敷地はほんの一部らしい。農園は山を越えた先にもまだまだ広がっているそうだ。おそるべし、ビットン農園。
「ま、このビットン農園があだす達の家だば、大事にするのは当たり前だモン」
「あだす達は、ビートで育っでるからねぇ」
二人はどこか誇らし気に車の外を眺める。
背丈の低い木が森のように広がっている光景には、私たちが想像もできないような家族の歴史が詰まっているのだろう。
「そうだ! 二人ばビットンの実、収穫しでみる?」
コナさんの提案に、モカさんがすぐさま車を停めた。
「良がね! この辺ば、どっか残ってたんじゃながった? こないだキリおばちゃんが、まだこの辺ばあんまりじゃって言うどっだがや?」
私とネクターさんにはどこも同じ景色に見えるのだけれど、勝手知ったる二人にはそれぞれ明確に違いが分かっているみたい。
もう少し奥やっだよ、あの辺がや、と二人で農園の方へと歩いていく。
ビットンの木々の間を抜けて、少しずつ奥へと歩いていくと、ちらほらとまだ赤い実をつけた枝が残っているエリアが出てきた。
モカさんとコナさんが、それぞれに枝を吟味する。
「うん、この辺りば良がよ! まだちょっど早いのもあるだば、出来るだけ赤いのを選んで取っでくれれば、これでビートば作れるし!」
「あだす達も手伝ったげるだば、二人ばそれぞれ二十五粒採っでみで!」
二十五粒。それくらいなら私とネクターさんでもそんなに時間はかからなさそうだ。
まずはモカさんとコナさんにお手本を見せてもらって、どれくらい赤いものが良いのかを教えてもらう。意外にも採るのは簡単。手でぷちぷちと枝からもぎとれる。
「ビットンって、この実の種を使うんですよね? 実はどんな味がするんですか?」
「食べでみる?」
「食べれるんですか⁉」
モカさんが「ほら」と採ったばかりの真っ赤な実を一粒手渡してくれた。奥では心配そうに視線をさまよわせているネクターさんと、それを面白そうに見ているコナさんの姿がある。
くん、と鼻を近づけると、意外にも甘い匂い!
「すっごく良い香りです!」
てっきり、珈琲独特の苦い香りがするのかと思ったのに、果物みたいだ!
これなら、私でも食べられそう。警戒心が一気にほどけた。
ひょいと実を口へほうり込むと、口の中でプチン皮がはじけて果汁があふれる。
みずみずしいそれは、洋ナシのような爽やかな甘み。果肉はほとんどなくて、口の中は、すぐに皮と種だけになってしまう。
「おいしいです! すぐになくなっちゃって勿体ないっていうか……ちょっと悔しいです」
私の反応に、ネクターさんは胸をなでおろし、モカさんとコナさんはケラケラと笑う。
「悔しい、なんて言う子、初めてがや! あだす達でも誰も言わんでぇ!」
「あはは、良がっだ! ほら、皮と種はその辺に出しちゃっでええモン。ペッしい」
私と同じく実を口に含んだモカさんは、プッと口の中から皮と種を飛ばす。
中に入っていた種がビットンだよ、と教えてくれて、モカさんはまだ熟していない実をつぶして、中に入っていた種を見せてくれた。
真っ白な種は水洗いした後に乾燥させて、焙煎することで茶色くなるらしい。
喋りながら採取していると、二十五粒はあっという間だ。だが、集まった百粒のビットンが、二杯分の珈琲にしかならないと聞いたときには目を丸くした。
「んだば、ビットン農園にはたくさんの人ば必要なんだモン」
「品質はそこそこでも安くでええっでやつば、機械で一気に採っちゃうんだども、高級品ば、実を選んで採らんばならんがらね! あだす達も毎日、実を採っでばっかりがや」
楽しげに笑っているけれど、二人の手は確かにあちらこちらが擦り切れている。
たくさん摘んでいると、自然とそうなってくるらしい。手が汚れている人は仕事の出来る人。ビットン農園で働いている人には勲章みたいなものだと教えてくれた。
「大変なことばたくさんあるだば、親せきの中でもついていげんで別の仕事ばしとる人もおるし、最初からビットン農園なんてって人もおるけど、あだす達はみんなでワイワイ言いながらこうやっで実を採っどる時ば一番楽しいんがや」
モカさんとコナさんが顔を見合わせて笑う。
私は今まで、珈琲は苦いし、あんまりおいしくないから苦手だなって思ってたけど……二人の姿を見たら、今採ったビットンを早くビートにして飲んでみたいと思えた。
好きになれるかは分からないけれど、こうやって、たくさん努力をしている人たちがいて、それをおいしいと思っている人たちがいる以上。
お母さまやお父さまみたいに、貿易でそのおいしさを世界中に届けてあげたい。
「私も、もっともっと頑張って、たくさん勉強して、ここの良さがちょっとでも多くの人に届くようにお仕事します!」
私がぐっと拳を握って宣言すると、二人はオーナーさんによく似た穏やかな笑みと共に、ぐっと親指を立てて見せる。
「さ、そろそろ戻ろうモン! たくさん採れだし、これは焙煎までしだら、二人のとこば送ってあげるがや」
採ったビットンを麻袋につめて、モカさんとコナさんは車の方へと歩き出す。
「お嬢さま。今日のビットンが届いたら、珈琲を入れましょうか」
「はい! ミルクも砂糖もなしでお願いします!」
「分かりました。僕も、それまでに精一杯、珈琲のおいしい入れ方を勉強しておきますね」
ネクターさんは眩しいものを見た、とでもいうように目を細める。
いつの間にか、太陽はビットン農園の真上にあって、私たちを照り付けていた。




