85.思いを馳せる道中に
コトコトと軽快な音が車のスピーカーから流れる。
外は一面の緑。朝日が差し込む森の中、車はどんどんと山道を登っていく。
国立公園を一周し終えた私たちは、オリビアさんにおすすめしてもらったビットン農園へと向かっていた。
ビットン農園は、国立公園からさらに山の方へ行ったところらしく、かれこれ一時間は車に揺られている。
ドライブスタートから終始、アオは音楽に合わせて体を左右にくねらせながら、窓の外を見つめていた。多分。目がないから分からないけど。
でも、緑がいっぱいの景色はアオにとっても馴染み深いのか楽しげだ。
私とネクターさんはといえば、すっかりそんな景色にも慣れてしまって、のんびりと雑談モードだ。
ネクターさんはどちらかといえば、ビットン農園のパンフレットにご執心だけど。
「ビットンって、そもそもどうやって育ってるんですか?」
「ビットンは、木の実としてなっているんですよ。木の枝に赤い実がなるんです」
「え! 赤色なんですか⁉ 茶色じゃなくて!」
「えぇ。僕らが良く見ているのは、ビットンの実の中に入っている豆の部分で、乾燥や焙煎をすませた後のものですから」
「実はすっごく手間がかかってる系ですね⁉」
「手間がかかってる系……まあ、そうですね。ビットンは生育条件も厳しいですし」
「そういえば、オリビアさんもベ・ゲタルでしか育ててないって言ってましたよね?」
「そうですね。ビットンは、育つ際には雨を必要とするんですが、実が出来てから収穫するまでの間は、出来るだけ晴れている方が良いんです」
「え……⁉ それはちょっとかまってちゃんが過ぎます‼」
しかも、そのくせ苦いんだから!
たしか、執事長は珈琲が好きだった気がするけれど、私の口にはどうも合わない。
「まぁまぁ。お嬢さまは、あまりお好きではありませんでしたからね。ですが、昔から薬としても重宝されていたと聞きますし、人にはかかせないものだったんですよ」
「お薬にもなるんですか⁉」
「珈琲を夜に飲むと、眠れなくなるという話を聞いたことはありませんか?」
「あります! 学園に通ってたころ、テスト前でどうしても! って時があって。メイド長に相談したら、珈琲が良いって!」
ネクターさんは、メイド長の言葉にぴくりと反応を見せ――瞬時に曖昧な笑みを浮かべる。
「……そういった作用を応用して、薬として扱っていたそうですよ。そうでなくても、あの風味を好む方は多いですから」
メイド長がよほど苦手なのか、ネクターさんはまるで話題を終わらせるかのように、手にしていたハンドブックを閉じた。
「向かっているビットン農園も古くから歴史がある場所のようですし、もしかしたらお嬢さまも気に入るかもしれません」
アオのことを苦手と思わなくなったように、そのうち珈琲もとい、ビートも飲めるようになるのだろうか。
オリビアさんのお家で飲んだものは、あんまり苦くなかったし。楽しみかも。
「ベ・ゲタルへ来てから、チャレンジ続きですね」
「本当に! でも、いろんなことを経験出来るのは、旅のおかげです! お母さまたちには感謝しないと」
あの日は訳も分からず、びっくりしてしまったけれど。旅も悪くない。
そうだ。ビットンのお土産は執事長に送ってあげよう!
「そういえば、お父さまたちってビットンも貿易品として扱ってるんですかね? 確か、エンテイおじいちゃんが、紅茶を紅楼国から仕入れてもらったって話はしてたような気がするけど……」
「そうでしたか。テオブロマの規模を考えれば、不思議ではないですが」
「ビットン農園の人に聞いてみようかな! お母さまたちのこと知ってますかって!」
「もしかしたら、お知り合いかもしれませんね」
お酒をはじめとする飲み物は、お父さまが特にこだわっている。
お母さまが食べ物で、お父さまが飲み物。今思うと、中々バランスの良い組み合わせだ。
お父さまがどうしてお母さまを選んだのか、二人の馴れ初めは知らないけれど……案外、私とネクターさんみたいな出会い方だったら面白いかも。
お母さまは普通の家の出身だったはずだし……。
「お嬢さま? 何か面白いことでも?」
二人のことを考えていたら、いつの間にかにまにましてしまっていたらしい。ネクターさんが不思議そうに首をかしげる。
「いえ! お父さまとお母さまのことを考えてて……。二人がどうやって知り合ったのか、ネクターさんは知ってますか?」
「いえ。僕も詳しくは……。そういう話は、執事長の方がお詳しいのではないですか?」
「確かに! ビットンをお土産に送るときに、一緒にお手紙を入れておきます!」
ベ・ゲタルからシュテープに国際便を送るのも、フェニックスさんが運んでくれるのだろうか。国立公園のお土産を送った時に使った郵便局は普通だったけど。
パニストのところであったフェニックスさん、元気かなぁ。
車内で出来ることは限られている。
ネクターさんみたいに本が読めたら良いのだけど、私は車で本を読むとすぐに酔っちゃうから、そういう訳にもいかない。
そのせいか、いつもは考えないようなことや、懐かしいことがたくさん頭によぎる。
今まで訪れた場所のことや、今まで出会った人たちのこと。それに、これからのことも。
エイルさんのお父さん探しはもちろん、ネクターさんの前の料理長とも会いたいし!
でも、まずはビットン農園だ!
旅に出なかったら、きっと興味も持っていなかっただろう。そもそも珈琲は苦手なもの。ほとんど飲むこともなく、無縁のものだと思って生きていたに違いない。
家業の貿易を継ぐのだって、きっとこんなに興味を持ってなかったかも。ただなんとなく、物を買って、売って、数字だけを眺めて……。そんな毎日を送っていたのかもしれない。
少なくとも、クレアさんの品物を見つけた時みたいに「自分だけの商品を見つけよう!」なんて思いもしなかっただろうし……。
その製品にどんな思いが込められているのか、気づけなかっただろう。
「世界って広いですよねぇ……」
しみじみと呟くと、ネクターさんが驚いたように目を丸くする。
「ど、どうかされたのですか」
「いえ! だから、面白いなって!」
そんな「この子もしかして危ない子かな」って感じの目で見ないで! 良いことを言ったつもりなの!
わたわたと慌てて両手を振り必死にアピールすると、ネクターさんは何かがツボにはまったのかクツクツと肩を震わせた。