83.同じお釜の飯を食う?(1)
ベ・ゲタルのフーズマートでお野菜たっぷりのピザやサラダ、バニニサンドを買ってきた私たちは、再びバルコニーで夕食をとることに決めた。
今日はオレンのジュースで乾杯!
食前のお祈りをすませて、私とネクターさんは真っ赤なオレンのジュースに口をつける。
「んん~~~~! やっぱり、ベ・ゲタルは本場ですね! オレンもおいしい!」
苦みもなければ酸味もない、果物のさっぱりした甘味が口いっぱいに広がる。
すっきりと爽やかなのどごしに、思わず「くぅ!」と声が出る。
「ぴぇ! ぴぇ!」
「……アオもほしいの?」
箱をのぞけば――多分だけど、短くて小さい足を必死に動かして――壁をよじ登ろうとしているアオの姿があった。
「箱から出してみてはいかがでしょう? なんでも食べると言っていましたし、おなかもすいているかもしれません」
「逃げたりしないですかね?」
「動きはあまり早くないようですから、危なくなったら箱へ戻せばよいかと」
幸いにも、風はほとんど吹いていない。
すでに日が沈んであたりは暗くなっているけれど、室内から差す明かりもあるし、アオを見失うこともなさそうだ。
テーブルから落ちそうになったら助けてあげればいいし……確かに、ネクターさんの言う通り、おなかもすいているだろう。
たくさんご飯も買ってきたし、一つくらいアオの気に入るものがあるかもしれない。
「僕が出しましょうか?」
「いえ! 私がやってみます……!」
まだ、アオに触れたことはない。
いくらかわいくても虫は虫。苦手意識が上回って、どうしても手が引っ込んでしまうのだ。
でも……。アオなら。もしかしたら、触れるかもしれない。
箱の深さはちょうど指をのばしたくらい。アオを掴んで、持ち上げて、テーブルの上におろす。時間にすればたかだか数秒だろう。
大丈夫。ほんのちょっとの間だもん、それにアオのことは、かわいいって思えるようになってきたし……。
ふぅ、と深く息を吐いて、私はそっと箱に手を差し込んだ。
ネクターさんがじっとこちらを見つめているのが分かる。沈黙のせいで、妙な緊張感が漂っている気がする。
だめだめ、意識したらもっと緊張しちゃうもん! 大丈夫!
ゆっくりとアオに指を伸ばす。
干し草を避けてアオをすくいあげると、ほんのりとしたあたたかさとやわらかな感触が指先に伝わった。
「よし……!」
思わず声が漏れる。
そのまま震える手でアオを優しく包み込んで持ち上げる。
ほんの数秒。だけど、その瞬間、初めてアオと通じ合ったような気がした。
壊れ物を扱うみたいに丁寧に。
テーブルの上へとアオをおろすと、
「ぴぇ!」
と元気よくアオが鳴いた。
同時、ネクターさんの方から息を吐き出す音が聞こえる。
「……大丈夫、でしたか?」
次いで尋ねられた声にはどこか安堵の色が混じっていた。
「大丈夫でした! 正直……すごく、怖かったけど……。アオなら、大丈夫だって思えて」
いまだ残る感触を確かめるように手を握る。
アオの小さな、小さな命が先ほどまでこの手にあったのだと思うと、怖いとか苦手とか、そんな気持ちはどこかへ消えてしまった。
「良かったです。お嬢さまは、本当にたくましいお方ですね。アオも、すごく喜んでいるように見えます」
「……えへへ、なんだかアオとは仲良くなれそうです!」
「ぴぇ! ぴぇ!」
ネクターさんは、空いているお皿にアオをのせて、その周りに本当に少しずつお料理を並べていった。それこそ、細切れのキャベツ一粒とか、ピザのパンくずみたいな欠片とか、そんな程度だ。
「気に入ってくれると良いのですが」
「匂いとかわかるんですかね?」
私の質問に、ネクターさんが先ほど買ったばかりの大図鑑をパラパラとめくる。
しばらくすると、ネクターさんは「ふむ」と声を漏らした。
「セージワームは、匂いではなく形と色で判別しているようですね。人でいうところの鼻にあたる器官はないみたいです」
「へぇ……! オリビアさんが、六つとか八つとか、目があるって言ってましたよね?」
「えぇ。人の目には見えないくらい小さなものがいくつか集まっているそうですよ」
そんな話をしている間にも、アオはのそのそとゆったりした速度でお皿の上を歩く。歩く、というよりもずりずりと体を引きずっているように見える、という方が正しいような気もするけれど。
アオは、自らの周りに置かれたお料理を前にうろうろと右往左往を始めた。
あともう少しでお料理にありつける、というところまできて動きを止め、それから隣にある別のお料理へと移動していく。
「警戒してるんですかね?」
「もしかしたら、国立公園で育てられていた時に食べていたものとは違うのかもしれません。気に入るものがなかったのかも……」
しょんぼりと落ち込むネクターさん。
元料理人からすると、ネクターさんが作ったわけではないとはいえ、用意したご飯を食べてもらえないのはショックなのだろう。
「でも、すっごくおいしそうですし! もしかしたら、食べれるものか分からなくて困ってるだけかも! 私たちが食べたら、アオも食べてくれるかもしれないですよ!」
なんとかネクターさんを励ましたくて、私は咄嗟に目の前にあったサラダを口へ運ぶ。
ベ・ゲタルの新鮮なお野菜と、ネクターさんが作ってくださった特製ドレッシングが相まって、やっぱりおいしい!
「ん~! 変なえぐみとかもないし、本当においしいです!」
ちょっとスパイシーなドレッシングのおかげか、お野菜なのに食べる手が止まらなくなる。ツンと鼻に抜ける辛みが爽やかで、サラダでもパンやご飯が進みそうな味だ。
「ピザも食べていいですか?」
「えぇ、どうぞ」
ネクターさんが美しく切り分けてくれた野菜たっぷりのピザに手を伸ばした瞬間――
「「あ!」」
私とネクターさんの声が重なる。
先ほどまで、お料理の周りをぐるぐるとまわっていたはずのアオが、突如、細切れになったサラダのひとかけらに体当たり。かと思えば、サラダのかけらがずりずりと小さな体に吸い込まれていく。
「……もしかして……」
「食べた⁉」
「ぴぇっ! ぴぇっ!」
アオは鳴き声に合わせて体を左右にくねらせる。
その様子はまるでおいしいご飯に小躍りしているようにも見えて、私とネクターさんは思わず顔を見合わせて笑った。




