75.その大雨は突然に
ベ・ゲタル国立公園の四分の一ほどを見終わったころには、夕暮れが近づいていた。
「そろそろ閉園も近いですし、土産屋の方へ行きましょう」
「また来てもいいですか?」
「えぇ、まだ見れていないところもありますし、明日以降でまた来ましょ……おや」
パタ、パタと頭上から雨が落ちてくる。
幸いにも木々が茂っているおかげでいくらか雨はしのげそうだ――と思ったのもつかの間、数分もしないうちに大雨となって、私たちは慌てて近くのあずまやへと避難した。
「どうやら園内をバスが巡回しているようですから、見かけたらそれに乗って土産屋の方まで戻りましょうか」
服や髪を濡らす水滴を軽く払って、ネクターさんは地図を広げる。
あずまやから少し先にバス停もあるみたいで、バスがきたらわかるだろうとのことだった。
私も持っていたハンカチで洋服や髪を拭く。こんなことなら大きなタオルを一枚カバンに入れておけばよかった。どうせ重くないんだし。
「っくしゅん!」
くしゃみをすると、ネクターさんが慌ててカバンをあさる。
「お嬢さま、こちらを」
渡されたのは大きなタオル。今まさにこれが欲しいと思っていたところだったから、私は思わずネクターさんをじっと見つめてしまう。
「今朝、念のためにと入れておいたんです」
「もしかして、車に忘れ物してたのって……」
「スコールが来ると、雨具だけではしのげないかもしれないと思っていましたので。役に立って良かったです」
さも当然かのようにネクターさんは振舞うけれど、ネクターさんの心配性がここにきてすごく重要なスキルのように思えてきた!
ネガティブ従者、心配性スキルであらゆる危険を回避する! 的な?
「ありがとうございます!」
「いえ、従者として当然のことをしたまでです。これくらいしかできず、申し訳ありません。あたたかい飲み物の一つや二つ、お出しできれば……」
「それはさすがに用意周到すぎて怖いですよ! 大丈夫ですから!」
いや、うん。ただのネガティブだった。良かった。
どうどうとネクターさんをたしなめて、バラバラと大雨を降らせる空を見上げる。
確かに雨になりそうだ、とは思っていたけれど、まさかこんな大雨になるとは。
「ネクターさんがいてよかったです」
ふかふかのタオルに顔をうずめると、ベ・ゲタルではお馴染みらしい甘い洗剤の匂いがした。
*
待つこと十分。
みんな雨にやられたのか、思っていたよりも混雑しているバスが到着し、私とネクターさんは無理やりそこに乗り込んだ。
「土産屋までは十分くらいですから、少し我慢してくださいね。危ないですから、僕につかまっていてください」
人ごみのど真ん中、つり革を掴んだネクターさんがそっと私の肩を引き寄せた。
ね、ネクターさん⁉
不可抗力とはいえ、急にそんな……! くっ! イケメンシールド発動!
ネクターさんのイケメンっぷりにも慣れてきたと思っていたけれど、まだまだ読みが甘かった。
私は慌てて心にばっちりシールドを張り、これは別に他意なんてない! とネクターさんのトップスの裾を掴む。
お洋服、伸びちゃわないかな。ネクターさんも、苦しくないかな。
そんなことを考えながら軽く服を掴んでいたら「僕のことは、ただの棒か何かだと思っていただいてかまいませんから」と頭上から小さく声が聞こえた。
こんなイケメンな棒が! この世にあるわけ! ないです! ネクターさん‼
バスが揺れるたび、私の肩をそっと抱き寄せるネクターさんにドキドキしながら、なんとか十分の長い道のりを耐える。
たかが十分。されど十分。こんなにも長く感じた十分は、人生でも初めてだった。
「お土産ショップジャングル、観光案内所、出口へどお越しの方ばいらっしゃっだら、ごちらでお下りください」
何度目かの深呼吸を繰り返した時、プシュ、とバスが音を立てて止まる。
どうやらようやく、目的地へとたどり着いたらしい。
しかも、どういう訳かこの十分程度で大雨は嘘のように落ち着いていた。
こんなことなら、あのあずまやで雨宿りをしていた方がよっぽど心臓には良かったかもしれない。
「お嬢さま、大丈夫でしたか?」
後から下車したネクターさんに傘を差し出され、私は我に返る。
「だ、大丈夫です!」
「それなら良かったです。さ、まずは土産屋に行きましょう」
普段、そんなことを気にするのってくらいネガティブを貫いている当の本人は、こういうところでケロッとしているのだから不思議だ。
お土産屋さんまで大した距離でもないけど、今だってれっきとした相合傘なのに。
ネクターさんは気にする素振りもない。
「っていうか、傘! 半分こにしてください! ネクターさん、ほとんど濡れてるじゃないですか!」
「いえ、すぐそこですし……お嬢さまが、濡れてお風邪を引かれては大変ですから」
「そんなにやわじゃないです!」
「先ほどだって、くしゃみをされていたではありませんか。自分では気づかないうちに、お疲れもたまっているでしょうから。環境も変わって、風邪を引きやすい時期なんですよ。お体にはお気をつけていただかなければ……」
もはやお小言のような心配性マシンガンがさく裂するとは思わず、私は閉口する。
やっぱり、ネクターさん……イケメンだけど、どっちかっていうと、お母さんみたいだ……。
ドキドキしてしまったあのバスの中は一体何だったんだろう。
っていうか、ネクターさんが風邪を引く方が私にとってはよっぽど困るんですけど。
「ネクターさんも風邪を引かないようにしてくださいね」
あまりネクターさんの心配性やらネガティブやらを刺激しないように言葉を選ぶ。
彼は分かったのか分かっていないのか、「ありがとうございます」と微笑んだ。
*
土産屋で大量のお土産を買い、ひとまずは私のカバンにすべてのお土産を詰め込む。
帰り道に郵便局へ寄って、お屋敷やクレアさん、エイルさん達にお土産を送ってあげよう。
これで今日の予定はほとんどクリア。
残るはあと一つ!
「観光案内所に行きましょう!」
私を待っていてくれたネクターさんに声をかけると、彼は買ったばかりのお土産をカバンにしまいこんだ。




