67.バニビットのフルーツサラダ
なんとか顔の熱を冷まして部屋に戻ったころには、ネクターさんが晩ご飯づくりの準備を始めていた。
「お手伝いします!」
「お願いします。危ないですから、包丁には触らないでくださいね」
手をしっかりと洗って、ネクターさんの隣に並ぶ。
手伝うとは言ったけれど、何から始めればいいのかよく分からない。
「えっと、何からすれば……?」
「あぁ、そうですね。すみません。では、お嬢さまは野菜を一口大にちぎってボウルへ入れてもらえますか?」
「了解です!」
言われた通り、先ほど選んだお野菜をちぎっていく。その間にネクターさんが、見事な包丁さばきで、オレンの皮をどんどんと剥く。
しばらく葉っぱをちぎって敷き詰めていると、一口サイズのオレンが投入された。
「一気に華やかになりましたね!」
「フルーツサラダは見た目も良いですし、僕も好きですね。軽く混ぜてもらってもいいですか?」
「はい!」
渡されたヘラで軽く混ぜる。出来るだけオレンの実をつぶしてしまわないように、そっと。
「お嬢さま、お上手ですね。今からバニビットを蒸しますから、あまりコンロには近づかないようにしてくださいね」
ネクターさんは、私が混ぜている間にバニビットの準備を済ませていたみたい。さすが手際の良さが違う。
「あんまり近づかないから、見てても良いですか?」
「面白いものではないですが……」
「お料理してるところなんて普段見れないから見たいんです!」
「……分かりました。では、向かい側から見ていてください。コンロから離れて」
ネクターさん! 心配性が過ぎて、同じこと何回も言ってます!
とにかく、厨房はネクターさんの場所だ。私もあまり邪魔にならないように、とネクターさんに言われた位置に立って、油のしかれたフライパンを見つめた。
ちょうど手のひら大のバニビットのお肉がフライパンに投入される。
ジュワッ! と音がしたかと思うと、バチバチと油のはじける音に変わった。遅れて、バニビットのお肉の匂いが漂い始める。
「なんだか、お肉なのに甘い香りがします……!」
とろけるような、チーズやミルクのようなコクのある香りとでもいうべきか。
「バニビットは、バニラを好むんですよ」
「バニラって、あの、アイスとかの?」
「正解です。基本的に穀物を好むウサギなのですが、特にバニラビーンズを好物としているんです。その香りが、体内に染み付いて通常のウサギよりも甘くてコクがあるお肉になるんだそうですよ」
甘いお肉だなんて想像が出来ない!
お肉本来の野性味あふれる香りにちょっとした甘さが加わった香りは、普通のお肉よりももっと空腹感が刺激されるような気がする。
お肉が軽く色づき始めたところでネクターさんがワインを入れると、ボォッと派手な音がして炎が上がった。
「ほわぁ⁉」
あまりにも突然のことで思わず体がのけぞる。
「だ、大丈夫ですか⁉ すみません、お嬢さまが慣れていないことをすっかり忘れておりました」
ネクターさんは必死に謝りながらも手を休めることはない。フライパンを軽くふるって、バニビットのお肉をひっくり返している。
そのまま流れるようにフタを閉めて「申し訳ありません」と今度は丁寧な謝罪。
「大丈夫です! ちょっとびっくりしただけで。すごかったです!」
興奮冷めやらぬままネクターさんへ感動を伝えると、彼は安堵のため息をついた。
「このまましばらく蒸し焼きにしたら、お肉をほぐしてサラダと和えます。出来るまで時間があるので、この間にドレッシングを作りましょう」
ネクターさんは中身が残ったワインボトルを持ち上げて、冷蔵庫から調味料をいくつか取り出す。
「お嬢さま、今から言う通りにスプーンで調味料を加えて、混ぜていってもらえますか?」
「もちろんです!」
コンロには近づかないようにキッチンへ戻って、スプーンを受け取る。
ネクターさんは、先ほど剥いたオレンの皮を包丁で刻みながら
「では、まず、一番左の調味料を、スプーンに三杯お願いします」
と、間髪入れずに口を開いた。
私がスプーンではかった調味料をカップに移し終えたのを確認すると、次の指示が飛んでくる。
何度か指示を受けて、最後にワインを少し加えたところで、ネクターさんも刻んだオレンの皮をカップに入れる。
「これで完成です。軽く混ぜて、味をみてもらっても良いですか?」
「私が味見して良いんですか⁉」
「えぇ。お嬢さまは舌が良いですし、お嬢さまがおいしいと思ったもので問題はありませんから」
なんという信頼のおかれ方! ちょっとプレッシャーがかかるくらいだ。
私はカップを軽く混ぜて、そっとスプーンを差し込む。
ゴクン、と唾を飲み込んで、今しがた完成したばかりのドレッシングに口をつけた。
「ん!」
爽やかなオレン特有の甘酸っぱい香りが鼻を抜けたかと思うと、ビネガーの酸味が続く。それをさらに追いかけるようにして、コクのあるチーズ風味のドレッシングの味。
タルタルソースやシーザーサラダ、マヨネーズ。知っているドレッシングに似ているようで、少しだけ違う。それよりもほんの少し深みがあって、華やかな味だ。
きっと、数種類のドレッシングを混ぜたあのちょっとの手間が効いているのだろう。
「いかがですか?」
「おいしいです! 完璧です!」
「良かったです。さ、バニビットの方も良さそうなので、ほぐしてサラダに加えましょう」
熱いから、とネクターさんがバニビットのお肉は全てほぐしてくれて、フルーツサラダに新たな色が加わる。
最後にドレッシングをかけて……。
「完成です!」
ドレッシングをかけただけだけれど、私がふぅ、と額をぬぐうと、ネクターさんも満面の笑みでうなずいてくれた。
「フーズマートで買ったおつまみも開けましょう! 後、お酒も!」
「僕は飲みませんよ?」
「分かってます! でも、乾杯はしましょうね!」
私たちは、残りのおつまみを盛り付け、お酒とジュースをそれぞれグラスに注いだ。
完成した晩ご飯をバルコニーへと運べば、満天の星空と相まって、なんだか特別なディナーに見える。
向かい合って座り、どちらともなく自然にグラスを持ち上げれば、簡単に声が揃う。
「「我らの未来に幸あらんことを」」
カチンとぶつかるグラスの音。
ベ・ゲタルの初めての夜が更けていく――