65.お嬢さまの苦手なもの
今回は、昆虫食に関わる記述が出てきます。
虫が苦手という方は、お気を付けください!
ズラリと棚一面に、虫、虫、虫……。
どう見たってまだ生きているようなやつもいて、体から血の気が引いていく。
「お嬢さま、大丈夫ですか⁉」
後ろからネクターさんが体を支えてくれて、私はなんとか体勢を立て直す。
「……な、なんとか……」
「どうされたんですか?」
「む、虫が……」
私の指さした方向へネクターさんは顔を動かし、「あぁ」と何かを察したようにうなずいた。
「ベ・ゲタルでは貴重なタンパク源ですからね。昆虫食は、僕らが肉や魚を食べるのと同じようなものなんですよ」
冷静な解説、ありがとうございます! でも、ネクターさん! 私、虫だけは! ダメなんです‼
必死に昆虫食が並べられた棚を視界に入れないよう顔を伏せる。
とにかく、このゾーンはダメ! 一刻も早くここから脱出しないと! ベ・ゲタルで珍しいものを食べようと思ってはいた、思ってはいたけど! これは別だ!
「ネクターさん、次に行きましょう!」
「もういいんですか? ベ・ゲタル以外の国ではあまり見られないですし、珍しいと思うのですが……」
「良いです! 大丈夫です! 私、お野菜大好きなので‼」
足早に次のコーナーへと足を進めると、ネクターさんから「もしかして」と声がかかる。
「お嬢さまは、虫が苦手なのですか?」
「苦手というか……できれば、この世から数を減らしていただきたいというか……」
「ヘビは大丈夫でしたよね?」
「ヘビは虫じゃないですし!」
どうやらネクターさんは虫が平気らしい。ヘビも虫も、ネクターさんにとっては『珍しい食べ物』の分類でしかないようだ。
「昆虫食も食べてみると案外おいしいですよ」
「無理です! 虫だけは本当にダメなんです! 足がうじゃうじゃしてるし、見た目も怖いし……」
「エビやカニは大丈夫でしたよね?」
「あれは別です! 虫は色もヤバイじゃないですか!」
不思議そうに首をかしげるネクターさんは、昆虫食を食べたかったのか、
「そうですか……。では、今後は気を付けましょう」
しゅんとしょげる。
そんな風に言われたら、なんだかこっちが悪いみたいじゃん! ネクターさんめ!
理解してもらいたいとは言わないけれど、苦手なものは苦手なのだ。
ネクターさんには申し訳ないけれど、昆虫食は諦めてもらおう……。
「すみません、でも、本当にダメなんです……」
「いえいえ。無理に食べる必要はありませんから。僕の方こそ、気がきかず、申し訳ありません」
「ネクターさんは何も悪くないです! むしろ、ネクターさんは食べたそうにしてたから……」
お互いになんとなく気まずくなって頭を下げあう。
ネクターさんの方をチラと窺うと、彼はやっぱり昆虫食を諦めきれないのか
「も、もし……気が変わったら、いつでもおっしゃってくださいね」
と付け加えた。
「そうですね……。もしかしたら、ベ・ゲタルにいる間にチャレンジしてみたくなるかもしれないですし!」
ネクターさんに申し訳なくなって、嘘とは言わないけれど……かなりの低確率な期待を口にする。
ネクターさんは一瞬だけパッと目を輝かせ、ゴホンと咳払いを一つ。
「本当に、ご無理はなさらないでください。ただ、そんなに悪いものではないですので、見た目に関しては出来る限り、お嬢さまでも食べられるような努力はさせていただきます」
ビシリと頭を下げられては、断るに断り切れない。
ここまでネクターさんが食い下がってくるのだ。どうやら、味は悪くないらしい。
そんな時がきたら、ネクターさんの腕を存分にふるってもらうことにしよう。
「……あんまり期待しないでくださいね⁉」
「はい。もちろんです。こちらからも無理強いはしませんから、今日はお肉かお魚を使いましょう」
ネクターさんはニコリと笑みを浮かべて、昆虫食の隣のブース、お肉コーナーを眺め始めた。
お肉コーナーは、紅楼からの輸入品が多いようで、シュテープとあまり値段も変わらない。
「お嬢さま、代わりにこちらを使いましょう」
ネクターさんは何かを見つけたのか、お肉のパックを持ち上げた。
『バニビット』と書かれているお肉は、あまりシュテープでは馴染みがない。
「ウサギの一種なんですが、甘くてコクがあるので美味しいんです。これを蒸してサラダと和えるとボリュームが出るかと」
「そうなんですね! じゃあ、それは決まりです!」
昆虫食にならなくて本当に良かった!
ホッと胸をなでおろし、ネクターさんが持ってくれているカゴにバニビットのお肉を放り込む。
「ベ・ゲタルは、動物も固有種が多いんですよ。独自の生態系があって、その生態系を壊さないようにしっかりと管理されているんです。あまり出回らないような動物の肉なんかもあるので、ご安心ください」
先ほどの昆虫食を払拭させようとしてくれているのか、ネクターさんの解説にも熱が入る。
「明日はそういった動物が見られる場所へ行ってみましょう」
そんな提案まで付け加えられた。なんだか気を遣わせちゃったかもしれない。
「ありがとうございます!」
素直にお礼を言えば、ネクターさんは「いえいえ」と小さく首を振った。
「お嬢さまには、笑顔でいてほしいですから」
無自覚天然イケメンの笑みがさく裂し、私が「うっ」と胸を押さえると、ネクターさんは「また虫が⁉」とあたりを見回す。
虫じゃなくて、ネクターさんにやられたんです! くそぅ、イケメンめ!
「大丈夫ですから!」
慌ててネクターさんの腕を掴むと、彼は再び綺麗な安堵の笑みを漏らした。
「新しいお嬢さまの一面が知れてよかったです。苦手なものなんてないのかと思ってましたから」
「そんなことないですよ⁉ 機械も苦手だし、虫も……」
ネクターさんから、私はどんな風に見えているんだろう。
そんな疑問が頭をよぎった瞬間。
「お嬢さまは、幼いころから人一倍努力されておりましたし、今もこうして親元を離れて旅をしながら勉強されていらっしゃいます。たくさんの方と心を通わせて、立派にやっておられますから……。時々、まだ十八才の女の子なんだということを忘れてしまいます」
まるで心を読んだみたいなタイミングで、ネクターさんが口を開いた。
やわらかく細められた瞳が慈愛に満ちていて、なんだか体が熱くなる。
「あ、ありがとうございます……」
照れくささと驚きを押し込んで、なんとかお礼を言えば、なぜかネクターさんが恥ずかしそうにフイと顔をそむけた。




