6.はじける秋の風物詩(3)
「フリットーの花の蜜とお酒……そうですね、例えばウィスキーなんかを混ぜ込んだものではありませんか?」
料理長の答えに、おじいちゃんと私は目を合わせた。
普通のものより花の香りが強く感じられたのも、フリットーの花からとれた蜜を使ったのなら納得だ。
私が感じた大人っぽい後味だって、お酒のものによく似ていた気がする。
料理長ってやっぱりすごい!
私の感動と同時。ごくん、と一拍。おじいちゃんが唾を飲み込んだ。
「……さすがですな。いやはや。あなた様のお名前を聞いた時には、まさか、と思いましたが。失礼な真似を申し訳ない」
料理長は「そんな大層なものではありませんから」と首を振る。その表情は苦々しい。
おじいちゃんが名前を知ってるくらいだもん。多分、料理長はすごい人なんだろう。
褒められたりするのは苦手みたいだけど。
「お嬢さまが素晴らしかったのです。まるで、自分が食べているのかと錯覚するほどに」
「まったくその通りですな。わしも、今年のものは例年よりうまく出来たんじゃないかと思ったくらいです」
こんなにも褒められては、嬉しいような、恥ずかしいような。
「りょ、料理長も食べてみてください! すっごくおいしいですから!」
照れ隠しに料理長へとフリットーをすすめると、彼は小さくうなずいた。
まず普通のフリットーへ手を伸ばす料理長。
「テオブロマ家の料理長殿にも気に入っていただけると良いのですが」
おじいちゃんの瞳が、今度は料理長の一挙手一投足を追う。
けれど、料理長は手にしたフリットーをすぐに口には入れず……形や色を確かめるように、それをじっと見つめるばかり。
私が先に食べてしまおうか、なんて思った時。
料理長はようやく口の中へとフリットーを放り込んだ。
カリッ。
気持ちの良い乾いた音が一つ。続いて、パリポリとリズムが刻まれる。
あぁ……聞いているだけでも、フリットーの優しい味が口にふわりと広がるみたい。
料理長は無言でそれを食べ終えた後、感想も言わず、蜜漬けのフリットーへ。
今度は音もなく、ただもぐもぐと料理長が口を動かしているだけになった。
「……いかがですかな?」
さすがのおじいちゃんも我慢できなかったのだろう。
まさに、おそるおそると言った感じで、料理長の瞳を覗き込む。
「おいしいです。お嬢さまの感想があまりにもお上手で、僕の口からはそれ以上の感想も出てこないくらいで」
申し訳なさそうに料理長はしゅんとうつむく。
「元々、感想を言うのは苦手でして。もっと料理人らしいコメントが出来れば良いのですが……すみません。レシピを見せていただければ、何かお伝えできるかもしれませんが」
確かに。
料理長なんて聞くと、すごく味にうるさそうだけど、料理の腕と料理の感想を伝える語彙力は別物だもんね。
おじいちゃんもブンブンと首を振り、「とんでもない」と満面の笑みを浮かべた。
「十分ですよ。そう言っていただけてわしも嬉しい限りです。あのテオブロマ家料理長に認められたフリットーだといえば、それだけで一儲けできそうですな」
「おじいちゃん、このフリットー売るの⁉」
「売る時には、フランちゃんのところで商品として扱ってくれるかい?」
「もちろん! むしろ私が買い占めちゃうよ!」
いたく真面目に言ったつもりだったけど、おじいちゃんは嬉しそうに声を上げた。
「ほっほっほ! なるほど。良い修行になりそうだね」
「ほえ?」
「家を追い出されたと聞いたときには、一体何があったのかと思ったが。きっと、フランちゃんなら大丈夫だな」
おじいちゃんは「さ、フリットーをお土産に持っておいき」と立ち上がる。
「あまり遅くなっては、泊まる場所を見つけるのも大変だろう」
そうだ。私たちは、今晩の宿を探している途中だった。
すっかりおいしいものをごちそうになって忘れていたけれど。
私の反応に料理長は「まさか忘れていたんですか?」と驚きを隠せなかったみたい。
おじいちゃんが、ほっほっほ、と再び笑って頭を下げる。
「アンブロシアさん、フランちゃんをよろしくお願いしますね」
*
「おじいちゃん、またね!」
「気を付けてな。また、いつでも遊びにおいで」
「うん! フリットーもありがとう!」
「お邪魔しました」
私たちは大きく手を振って、おじいちゃんとさよならの挨拶を交わす。
カード一枚しか入っていなかったカバンの中に、フリットーの蜜漬けが入ったビンが増えた。
ずっしりとした重みが幸せを感じさせる。
本当におじいちゃんの言う通り。
家を追い出された時は一体どうなっちゃうかと思ったけど、こんなに良いことがあるんだもん。これからも、私たちはきっと大丈夫だ。
お父さまたちの仕事のことも少しだけ詳しくなれたし、何より、フリットーのことをたくさん知れた。
これが、家を出て色々と学ぶってことなのか。
私がしみじみとお母さまたちの言っていたことを思い出していると、少し前を歩いていた料理長が振り返る。
「このままだと、国都に着くころには夜になっているかもしれません。少し急ぎましょうか」
料理長は太陽の角度を確かめるように空を見上げる。
おじいちゃんのところで少しゆっくりしすぎたかも。夕暮れが近い。
「町まで後どれくらいですかね?」
「歩いても一時間程度だと思いますが……さすがに疲れてしまうので、バス通りを歩いて、どこかでバスに乗りましょう」
「さっきは逃しちゃいましたもんね!」
みんなが自家用車に乗って移動するのが当たり前な高級住宅街。
必然的にバスはお役御免。ちょうど良いタイミングでなければ乗ることはおろか、その姿を見ることすら難しい。
「あ! そうだ! 魔法のカードで、バスって調べられますか?」
「もちろんです。お願いできますか?」
「やってみます!」
すっかりカードの存在を忘れていた。
カードを取り出すと、料理長が使い方を教えてくれる。
ようやくバスマップを開いたところで、国都中心部行きのバスを示す丸がマップ上を点々と動いていく様子が見え……。
「あ! 料理長! あれ!」
一つ先の角からバスがひょこりと顔をだす。
「いそげーっ!」
私たちがブンブンと手を振りながらダッシュすると、バスは、バス停を少し過ぎたところでプシュ、と音を立てて止まった。