59.幕間・見守る人たちのある日
今回は幕間。
フランが去った後のお屋敷での一幕になります。
「見て、あなた! フランが旅の最中に交渉術なんて難しい本を読んでるわよ!」
「本を読むフランもかわいいな~!」
夜も更けた屋敷の一角。
主の寝室は、ワイワイキャーキャーと騒ぐ二人の声で賑やかだった。
執事長はそんな二人の姿を見つつ盛大なため息をつく。
否、事の顛末すべてを聞いていた執事長でさえ、ため息をついてしまった、というのが正しいか。
フランを屋敷から追放して一か月。
彼女を追い出した次の瞬間から、両親二人の行動は早かった。
『フランを見守り隊』なるものを結成し、屋敷に勤めるハウスキーパーから企業の人間まで、精鋭を集めてフランの後を追いかけさせたのがその日の夜のこと。
以来、人海戦術で彼女を追跡し続けているのだ。
執事長は良い大人にもなって娘の一挙手一投足に一喜一憂する二人を見つめる。
自身も家庭を持つ身。我が子がかわいい気持ちは分かる。何より、自らも彼らと同じくらいにはフランお嬢さまを愛おしく思っているから、止めるわけにもいかない。
冷静に考えれば、いくら実の娘といえど盗撮行為は犯罪だ。
執事として、主の行いをとがめることも仕事のうち。本当ならば「こんなことをしてはいけない」と口にせねばなるまい。
だが。
「ほら、見てくれ! このフラン! 可愛いだろう?」
ずいと差し出された旅を楽しむお嬢さまの可愛らしい写真を目の前にしては、そんな気持ちもどこかへ消え去ってしまう。
「……こうした娘自慢は、お身内だけにとどめておいてくださいませ」
もちろん、さすがのテオブロマである。世間の反応には敏い。こんな犯罪まがいなことを外へ漏らす訳がないとは分かっている。
つまり、無駄な抵抗だ。
「それにしても、ついにシュテープを去ってしまいましたね。本当に大丈夫でしょうか」
「何、大丈夫さ! フランはああ見えて、しっかりした子だよ。小さいころから面倒を見てくれた君もよく知っているだろう?」
杞憂する執事長の肩をバシバシとフランの父親がたたく。
とはいえ、だ。
執事長の心配が晴れるわけではない。
フランに対して、というよりも、彼女の付き人となったネクター・アンブロシアという男がどうにも頼りなく見えるのだ。
もちろん、彼を雇い入れる際に素性は全て調べ上げた。生まれ育ちはいたって普通の青年であることは分かり切っている。
十年間一度も休まず働き、元料理長であった男からの信頼も厚かった。勤務態度は極めて真面目だ。
若くして料理長になってからも、大きな問題は聞いていない。
何より、人や物を見る目に長けたテオブロマの当主とその奥さま、二人そろって選んだ付き人がネクター・アンブロシアなのだ。
主の決めた人事を執事が覆す理由はない。
「アンブロシアくんもよくやってくれているしね」
「そうですね。フランとも仲良くしてくださっているし、やっぱり彼を選んで良かったわ」
二人は「ね~」と顔を見合わせてニコニコとうなずきあう。
どうやら、お嬢さまだけではなく、ネクター・アンブロシアについても情報をもらっているらしい。
こちらに関しては、監視の意味も含んでいるかもしれないが。
和やかに二人の様子が撮られた写真を眺める二人に、執事長の口から素朴な疑問がついて出た。
「なぜ、彼を選んだのです?」
執事長は、この旅のことも、二人がフランお嬢さまに危険が及ばないよう裏で色々と手回しをしていることも知っている。
だが、彼らがネクター・アンブロシアを選んだ理由だけは、まったく明かされていないのだ。
お嬢さまとの旅を考えるのであれば、同性が良いに決まっている。メイド長のように、勝手知ったる人間が適任だと思っていたのに。
よりにもよって、執事の教育など受けていない、この屋敷の料理長にお嬢さまの付き人を頼むなんて。
「彼を執事にするおつもりですか」
「まさか。そんなことしないわ。彼は一流の料理人だもの。この国の宝になり得るほどの人間よ?」
フランの母親は当たり前のようにあっけらかんと答えて、やわらかに微笑んだ。
隠し事をする子供と同じいたずらな雰囲気は隠しきれていなかったけれど。
「そんな人を、屋敷の中に閉じ込めているのはもったいないでしょう?」
「つまり、彼もまた、お嬢さまと同じく修行の旅だと」
彼女はそれ以上語らず、グラスに注がれたワインに口をつける。正解か不正解か。それを探らせることすらさせぬように。
執事長は、この二人にはかなわないと知ってか、肩をすくめるにとどめる。
いずれ分かることなのだろう。
自身がすべきことは、突然の料理長不在に慌ただしい厨房のバックアップを始めとした、主の快適な毎日を手助けすることだ。そこに、余計な詮索は含まれていない。
「お二人の奔放さが、お嬢さまの旅にも良く現れているようですよ」
執事長の苦笑に、二人はケラケラと声を上げた。
「いやあ、まったく。本当に、見ていて飽きないよねぇ。いつかフランが主役の映画が出来たらいいのになぁ」
「あら、それは素敵ね、あなた。きっと最高のハッピーエンドになるわ」
「まるで、この旅がどうなるのかお二人には見えているみたいですよ」
執事長は、空いたグラスにワインを注ぎ足す。
ふわりと立ち込めた上品な果実の香りは、まさにハッピーエンドの予感を秘めているようで、彼は思わず目を細めた。
「改めて、乾杯しましょうか」
フランの母親がグラスを持ち上げると、向かい合っていた父親も同じくグラスを掲げる。
「ほら、あなたも」
催促されて執事長は「では、失礼して」とサーバーの上に置かれていた予備のグラスへワインを注ぎ入れた。
そっと持ち上げて二人の顔を見れば、彼らも穏やかな笑みを浮かべる。
「「我らと、我らの娘たちの未来に幸あらんことを」」
カチン、と軽やかに鳴り響いたグラスの音が、三人にはフランたちの旅路を祝福する鐘の音に聞こえた。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!
これにて、シュテープの旅はおしまいです。
次話からは新しい章、ベ・ゲタルの旅が始まります*
ぜひぜひこれからも、フランとネクターさんの旅路をあたたかく見守っていただけましたら幸いです♪♪