58.いざ行かん、次なる国へ!
ブォーッと勢いよく船の汽笛が鳴る。
私たちは甲板から大きく手を振った。港にはエイルさんたちの姿が見える。
「気を付けて行ってきてくださいね~!」
エイルさんたち以外にも、漁ギルドのおじさんたちや、食堂サウブスのおじさんたちが来てくれて、港は相変わらず大にぎわいだ。
「行ってきまーす!」
彼らの姿が見えなくなるまで手を振り続けて、遠ざかるシュテープを見送る。
ベ・ゲタルへと向かう船は海を白く泡立てながら進んだ。
ここからは、二泊三日の船旅になる。
立派な旅客船をネクターさんが予約してくれたおかげで旅路は快適そう。
本当は部屋を分けたかったみたいだけど、その場合は男女別の相部屋になってしまうらしい。同性とは言え見知らぬ誰かと私が相部屋になってしまうことが不安だったみたい。
そんなわけで、しばらくはまたネクターさんと同じお部屋。
船の中とは思えないしっかりとした部屋の造りは、それこそホテルか宿みたいに見える。
海の上であることがわかるのは窓から見える一面の青と波の揺れくらいで。
「ネクターさん、いつまでそこにいるんですか! 荷物とか置きましょうよぉ」
「ですが……」
「ちょっとの間なんですから大丈夫ですよ! っていうか、すでに同じ部屋で寝泊りした仲じゃないですか」
入り口のあたりで縮こまっているネクターさんを無理やりズリズリと引きずってみる。
「お嬢さま! 僕は! 一人で歩けます!」
「歩けてないからこうやって引きずってるんです!」
昨夜のネクターさんと別人みたいだ。お酒を飲んでから乗船させるべきだったかも。
「昨日の! 強気は! どこにいっちゃったんですかぁ!」
なんとかネクターさんをリビングの方へと移動させようと奮闘していると
「その話はもう忘れてください!」
と本当に嫌そうな声が上がる。
「いつものネガティブなネクターさんと違って、新鮮だったのに」
「やめてください……」
サァッと彼の顔が青ざめていく。
窓の外に広がる海のように、それはもう見事な青だ。
「もう! 金輪際! 絶対お酒は飲みません! 申し訳ありません!」
まるで石のように固まって動かなかったはずのネクターさんは、すごい勢いで土下座を決める。
「たまには一緒に飲もうって約束しましたよ?」
「しましたが……!」
「たまにでいいので、また飲みましょうね!」
「お嬢さま……そのお約束を反故にすることは……」
チラリと私の様子を窺うネクターさんは子犬みたい。でも、そんな目をしたって……と言いかけたところで、そうだ、と私はとある提案をしてみる。
「玄関じゃなくて、ちゃんとベッドで寝るってお約束してくださるなら考えます」
ネクターさんがこれに引っかかってくれるかはイチかバチかの賭け。だけど、交渉術もちょっとずつ覚えなくちゃって思っていたし、試してみるにはちょうどいい。
どうですか? と何気ない顔でネクターさんを見やると、彼は苦渋の決断を迫られているみたいに苦い顔だった。
っていうか、別に同じベッドじゃないんだし、そんなに考え込まなくたっていいのに! 逆に失礼じゃん!
しばらくすると、ネクターさんは白旗をあげるみたいにして挙手。
「……分かりました」
そのままリビングの方へゆっくりと歩いていくと、荷物をおろして、空いているベッドへと腰を下ろした。
「これで、良いのですね? お酒を一緒に飲むというお約束は……」
「考えます」
「それはつまり……」
「考えるだけです! 引っかかりましたね、ネクターさん!」
私がへへんとドヤ顔を向けると、ネクターさんは「なっ⁉」と驚いたように声を上げる。
だましたみたいになっちゃったけど、とりあえずこれで交渉術レベルワンはクリアしたみたい。交渉術のパラメータ、レベルアップだ!
「……お嬢さま」
じとりとネクターさんから向けられた視線をフイと切って、私はカバンからゴソゴソと荷物を出していく。
今日使うパジャマ、船の中で時間があるときに読む本、魔法のカードに乗船チケット。
ふんふんと鼻歌でごまかせば、彼も諦めたのか同じように今日使うものを用意し始めた。
私がお酒を強要することはないし、ネクターさんも自ら飲まなければいいだけだと結論づけたのかもしれない。
「そうだ、お嬢さま。こちらを」
「船内のレストランチケット?」
「はい。裏に時間が書かれているので、その時間に向かいましょう。それまでは特に用もないんですが……」
「それじゃあ、それまで船内探検しましょう!」
「そうですね。もし船酔いなどを起こされるようでしたら、すぐにおっしゃってください」
ネクターさんは手早く荷物をまとめて立ち上がる。
うーん。こういうところはちゃんと大人っぽいっていうか、しっかりしているのに。
ネクターさんってやっぱり変わってるよね。
まじまじとネクターさんを見つめていると、小首をかしげられた。
くそぅ、あざといやつめ!
「お嬢さま?」
「なんでもありません! いきましょう!」
ネクターさんほどではないものの、出来る限りてきぱきと荷物をまとめる。
さぁ、船内探検に出発だ!
*
広い船内は思っていた以上に様々な施設が併設されていて、多くの人でにぎわっていた。
景色の綺麗な甲板はもちろん、レストランに、バー、ビリヤードやダーツを楽しめる場所に小さなゲームセンター、船内プールまで。
「これなら、遠くの国へ行くときも良いですね! 一週間は楽しめそう!」
「そうですね。今回はベ・ゲタルまでなので二泊三日ですが……もう少しゆっくりしても良かったような気がします」
これは何度も乗る楽しみが出来ちゃったかも。
今まで、異国への移動は飛行機が主だったけれど、船の旅も悪くない。
船内はどこかムーディーでおしゃれな雰囲気もあるし、デートなんかにも良さそうだ。
色々と見て回って、客室に戻ってきたのは二時間が経ってからだった。
「ご飯まではまだ時間がありますから、私は少し勉強します!」
私の宣言に、ネクターさんも「それでは、僕も」と小さめの本を取り出す。
シュテープで色々と学んだことはもちろんだけど、もっと勉強しておけばよかったと思うことも多かった。
もしかしたら、ネクターさんもそうなのかな。
こうして、私たちはそれぞれに思いを抱いて、母国、シュテープを後にした。




