57.本当の彼、最後の夜
砂浜を踏みしめる二人分の足音が波の隙間に響く。
夜の海は静かで、目の前を歩いているネクターさんの手はお酒のせいか熱かった。
「楽しかったですね!」
この町最後の晩ご飯が楽しいものになって良かった。
ネクターさんと一緒にお酒も飲めたし。
ね! と早足でネクターさんの隣に並んで彼の顔を覗き込むと、ネクターさんがピタリと足を止める。
こちらに向けられた顔はびっくりするほど整っていて、お月さまに照らされたブロンドの髪も、アンバーの瞳も、全てがキラキラと眩しい。
「……また、あんなに簡単に連絡先を交換して……」
「え?」
「エイルさんは良い方だと分かっておりますが、それにしたってもう少し警戒心というものをお持ちになられてください」
「ね、ネクターさん……?」
「今だって。俺に手を掴まれて、なんで抵抗しないんですか。これからの旅で何かあったらどうするんです?」
「ちょ、ちょっと! どうしちゃったんですか⁉」
元々心配性ではあったけれど、今のネクターさんはどちらかというとちょっと怖い。
っていうか、目が据わってる気がするんですケド⁉ もしもし⁉ もしかして、酔っちゃってます⁉
「先日も言いましたよね? もっと気を付けてくださいって」
「い、言ってました! 言ってましたけど……! エイルさんは良い人でしたし!」
「でも、彼のお気持ちには気づいていらっしゃらないでしょう」
「エイルさんの気持ちって……」
「フランさん。いいですか、しっかり聞いてください」
「ひゃい⁉」
いきなりガシッと肩を掴まれて、私の体が硬直する。正面からイケメンに直視されて、もう何がなんだかわからない。
本当にネクターさんどうしちゃったの⁉ っていうか、初めて名前呼ばなかった⁉ 今、呼んだよね⁉ お嬢さまじゃなかったよね⁉
「フランさん、あなたは可愛いんです。とても。お美しくもいられる。若くて、品が良く、生まれも育ちも良いんです。素直で優しく、愛嬌もある」
「ちょ、ちょ‼ ネクターさん‼」
いきなり何なの⁉ やめて! 恥ずかしくて死んじゃう‼
顔を両手で覆ってしまいたい。無理なら砂浜に穴を掘って入りたい!
「俺は心配なんです! あなたを守ると誓います、誓いますが……どうにもならないことだってこの世の中にはたくさんある! それこそ、エイルさんのお父さまのように。俺は、それが怖いんです。フランさんがいなくなってしまったらと思うと……」
「いなくならないですってばぁ! っていうか! 分かりましたから! 離してください!」
大声と共にじたばたともがくと、ようやく肩を掴んでいたネクターさんの腕がほどける。
ネクターさんも正気に戻ったのか、それとも冷静になったのか分からないけれど、小さく息を吐いて「申し訳ありません」と顔をそむけた。
いつもならここで土下座が始まるはずだけれど、今日は不服そうな顔で海を見つめるばかり。
ネガティブすぎないのは良いことだけど、なんだかいつもとあまりにも違う。
ネクターさんは酔うと強気になるみたいだ。
「……あ」
「なんですか」
「もしかして、メイド長が言ってたのって……」
傲慢で、人を人とも思わないとかなんとかって言っていたような気がする。
あの時はピンとこなかったけれど、もしかしたらお酒を飲んだ時の話だったのかも。
「メイド長がどうかされたのですか?」
「いえ! なんでもないです! ネクターさんって、お酒を飲むと強気になるんですね」
「……だから、今まで飲んでこなかったんです。今日だって、自重したつもりでしたが……強気、ですか?」
「かなり」
私の返答に、ネクターさんはすぐさま口元を手で覆った。もう遅いけれど、これ以上の失態をおかさないための瞬時の判断としては間違ってないような気がする。
「……帰りましょう」
「もういいんですか?」
「今、一気に酔いがさめました。申し訳ありません、戻りましょう。明日も早いですし」
ネクターさんはそういうと、すぐさま宿の方へと引き返すように進路をとる。
足早に砂浜を歩いていく後ろ姿は、何かひけめを感じているみたいに見えた。
別に気にしてないのに。むしろ、これくらい強気の方がいいような気もするけれど。
ネクターさんのこと、もっと知りたいな。
*
宿に戻った私たちは、それぞれの部屋の前で自然と足を止めた。
隣同士の部屋だけど、このままお別れするのも変なような気がして。
「今日は、本当に申し訳ありませんでした」
ネクターさんが先に切り出して、こちらにペコリと頭を下げる。
「お嬢さまに不躾な態度をとってしまって」
「大丈夫です。むしろ、今まで知らなかったネクターさんのことが知れてよかったです。これからも一緒にお酒、飲みましょうね!」
「いえ、俺はもう……」
「たまにでいいですから!」
「……わかりました。それじゃあ、おやすみなさい」
「明日は早いんですから! ちゃんと起きてくださいよ!」
「……善処します」
ネクターさんは苦々しい顔で扉を開けたかと思うと、もう一度だけ私の方へと頭を下げて部屋に戻っていった。
バタン、と扉の閉まる音がやけによく響く。
酔ってたのに律儀だなぁ。
っていうか、本当にお酒で人って変わっちゃうんだ。
まだお酒の失敗はしたことがないけれど、私も気を付けなくちゃ。
ネクターさんにしばらく引かれていた手が、ほんの少しだけいつもよりあたたかくて、なんだかくすぐったかった。
その手をぎゅっと握りしめて、私も自室へ戻る。
明日はいよいよ、この国を出る。
本当に、ここから始まるんだ――
シュテープでの日々を思い出して、緊張と不安と、それ以上の楽しみが心の奥底から沸いてくる。
ふわふわとした心地が胸に広がって、私はそのままボスンとベッドへ体を預けた。
ネクターさんとの二人旅。
色々ありそうだけれど……全部、二人でならなんとかなりそうな気がする。
お父さま、お母さま、私、立派なレディになって見せるからね。
窓の向こうに視線をやると、流れ星がキラリと空を駆けていった。




