56.旅立ち前の晩ご飯
「あら、じゃあお二人はもうここを発たれるの?」
「え⁉ もっとゆっくりしていってほしいッス!」
シックな店内にエイルさん親子の声が響く。
今日もレストランには私とネクターさんだけ。今日は、この町での最後の夜ということもあって、貸し切りにしてもらったのだ。
「ずいぶんとたくさんお世話になってしまって……ありがとうございました」
「いいのよぉ。次はベ・ゲタルですって? おいしいお土産、期待してるわね」
「もちろんです! おいしいお野菜、いっぱい送りますね!」
クスクスと上品に微笑むエイルお母さんは「寂しくなるわね」と呟いて息を吐き出した。エイルさんも「残念ッス」とうなだれている。
「エイルなんて、毎日フランさんの話ばかりだったのに」
「ちょ! それは言わない約束だって……!」
「あらあら。色気づいちゃって」
「エイルさんにはたくさんこの町を案内してもらって、ほとんど毎日一緒でしたし!」
「……お嬢さま、そういう意味ではないかと」
どういうこと? 首をひねれば、なんでもないとあしらわれてしまった。
「とはいえ、お嬢さまの言う通りですね。本当にお二人にはお世話になりました。この一週間、ご飯もごちそうになりましたし、旅の準備までお手伝いしてもらって」
「いいのよぉ。私もあなたにレシピを教えてもらえてうれしかったわ」
私とネクターさんがベ・ゲタルへと旅立つことを決めて一週間。
渡航のチケットが届くまでの間、私たちは旅行の最終準備を進めていた。
この町に詳しいエイルさんたちにはその準備をたくさん手伝ってもらった。
そのお礼に、ネクターさんはエイルお母さんにお料理を教えて、私はエイルさんにマチブリを必ず貿易品にすると約束を取り付けた。
それから、旅の最中にエイルお父さんを探すことも。異国の地にいるとは考えにくいけれど、シュテープで見つかっていないなら可能性はある。
そんなわけで、今に至るのだけど――
四人で囲むテーブルにはこれでもかと海の幸がふんだんに使われたお料理が並んでいる。
もちろん、お料理だけではなくお酒もたくさん。
エイルさん親子はお酒が強いのか、先ほどからケロっとした顔でかなり飲み進めている。
今日ばかりは断れなかったのか、ネクターさんも珍しくお酒を口にしていた。
「それにしても、なんでベ・ゲタルなんスか?」
海育ちのエイルさんからすると、ズパルメンティの方が良いらしい。
「プレー島群の国は全部まわる予定なんですけど、まずは行ったことのない国に行ってみようかなって! 私がべ・ゲタルに行きたくて」
「意外ッス! フランさんはデシとかの方が好きそうな感じがしてたんで……」
「ネクターさんにも言われました!」
「フランさんは可愛いものね。本当にこのまま娘になってほしいくらい」
「だから、母さん! 飲み過ぎだって!」
前言撤回。ケロっとしているように見えていたけれど、どうやら酔っているらしい。
クレアさんみたいに飲むと豹変する人もいるのに、こんな風に見た目じゃ分からない人もいるからお酒って面白い。
「気を付けるんスよ! いくら同じクィジン語とはいえ、ベ・ゲタルは特に独特の文化があるッスから!」
「分かりました! エイルさん、ありがとうございます!」
「そ、そうだ……何かあった時のために、れ、連絡先でも、交換しない……ッスか?」
「あらやだ! エイル、まだ連絡先も交換してなかったの⁉」
「良いから! もう母さんは黙っててよ!」
エイルさんがガサゴソと取り出したカードに、私は自分のカードを重ねる。
これで、家族以外ではクレアさんに続いて二人目。旅が終わるころには、この連絡先もたくさんになっていて、貿易が出来るくらいの人脈が増えているのだろうか。
「困ったことがあったら、すぐに連絡してください! 船に乗って迎えに行くッス!」
ガッツポーズを見せたエイルさんに、ネクターさんが苦笑する。ありがたい申し出だけれど、何もないのが一番だ。エイルさんには迷惑がかからないように気を付けよう……。
「そそそ、それから……その……」
私がカードをしまい終えると、エイルさんが普段の雰囲気から一変、どこか緊張したようにキョロキョロとせわしなく目を動かす。
お酒が入っているからか、顔も少しだけ赤い。
「た、たまには、俺からも連絡しても良いッス……かね?」
「もちろんです! 私も、旅の写真とかいっぱい送ってもいいですか?」
「もちろんッス! ずっと待ってるッス!」
屈託のない笑みが眩しい。しっぽが見える気がする……。エイルさんって、大型犬みたいかも?
キラキラと目を輝かせながら、お料理をもりもりと平らげていく姿も、ちょっと動物っぽさがあって可愛らしい。
ネクターさんもしゅんとしょげている時はたれた耳が見えるんだよね。
チラとネクターさんの方へ視線を投げかけると、
「どうかしましたか?」
ばっちり捕捉されてしまった。
「いえ! ベ・ゲタルでも、新しいお友達とかお知り合いの人が出来たらいいなって!」
「そうですね。シュテープでは、本当に良い方々ばかりに恵まれましたし」
「ネクターさんは、その筆頭ですけどね」
「お二人は、いつから一緒に旅をされているの?」
「一か月くらい前からですかね?」
「まぁ! ずいぶんと仲が良いから、もっと前から一緒にいらっしゃるのかと思ったわ。きっと、そういう運命なのね」
ふふ、とエイルお母さんに微笑まれて、ちょっとだけ照れ臭い。
彼女の隣に座っていたエイルさんはその言葉に少しだけ眉をしかめる。
「本当に羨ましいですよ! あーあ、俺がネクターさんだったらなぁ」
「僕は、エイルさんが羨ましいですが」
「はいはい! イケメンには何を言われたって響きませんよぉ!」
ぶすっと唇を尖らせたエイルさんに、つい笑ってしまう。
エイルさん、多分ネクターさんは本気です。だってこの人、完璧に見えるけど、やっぱりちょっと変だもん!
そんなやり取りを交わしていたら、あっという間に時間は過ぎ去って――
「ありがとうございました!」
私たちがお店を後にするころには、すっかりエイルさん親子はほろ酔い状態だった。
「……少し、海風に当たって帰りましょうか」
ネクターさんはそう言うと、突然私の手を取ってグイと引き寄せる。
砂浜に向かって駆け出したネクターさんの背中は、とっても大きかった。




