48.思い出つまった海の味(3)
私たちがちょうど最後の一口を食べ終えたところで、おばさまが奥から何やらトレイを持ってやってきた。
「おまけ、みんなには内緒よ」
口元に手を当てるチャーミングなおばさまは、私たちの前にケーキと紅茶を並べる。
そのまま手際よく空いた食器を片付けると「さて」と私たちの隣の席に腰をかけた。
「今日はお客さまも少ないし、おばさんの話でもじっくり聞いてもらおうかしらね」
「待ってました!」
よっと掛け声をかけると、おばさまは楽しそうにコロコロと笑う。若く見えるけど、一体何歳なんだろう。
「先ほど、ご主人とこのお店を始めてから四十年だとおっしゃっておりましたが……ずっと奥さまがお料理を?」
「そうよ。とはいっても、私は料理の専門学校なんかには通っていなくて、全部独学なの。主人が漁港で働いて、そこの人たちが魚のさばき方なんかも教えてくれてね」
「旦那さんもおばさまと同じ村の出身だったんですよね?」
「えぇ、そうよ。幼馴染で腐れ縁。そのまま結婚したの」
「わぁ! 素敵!」
私にもお母さまたちの仕事の関係で小さい頃からのお友達は何人かいるけれど、結婚相手なんて想像もつかない。
学園に通っていたころも意識なんてしてこなかったし……。
「あら? お二人はカップルじゃないの? ご兄妹?」
「いえ。僕らは……」
「ビジネスライクです!」
「まぁ。ふふ、面白いわね。ずいぶんと仲が良さそうだったから、てっきり。ごめんなさいね」
お嬢さまと料理長……もとい付き人って確かに変な関係かも。お屋敷を追い出された話をしても良かったけれど、この話をすると料理長がしょんぼりしちゃうから、ビジネスライクという関係でごまかす。
「えぇっと……それでお二人は結婚して、このお店を開いたのですか?」
料理長も気まずいのか、なんとか話題を戻そうとする。おばさまもそれ以上は私たちの関係に触れず、コクリと頷いた。
「そうよ。主人が朝から昼まで漁へ行くの。漁から帰ってきたら、その日捕れたものを使って、私が料理をする。お昼は少し遅めに開店して、それから夜まで営業ね」
おばさまの話を聞きながら、ケーキを口に運ぶ。ふわふわのシフォンケーキだ。
シンプルだけど優しくて食べやすい。しっかりランチを食べた後なのに、するすると胃の中におさまっていく。
「なるほど、それでこの時間でも営業されていたんですね」
「漁港の方は早くに閉まっていたでしょう? 観光される方が増えて、おかげさまでお昼も楽しくやらせていただいてるわ」
おばさまはいたずらっ子の笑みを浮かべる。かわいらしい仕草に、若いころはモテモテだったんじゃないだろうか、と思う。
けれど。
「ご主人も、今は息子さんと漁ギルドに?」
料理長の何気ない質問に、おばさまは年相応の表情へと戻ってしまった。
フルフルと小さく振られた顔。白髪交じりのやわらかな髪が耳元で揺れる。
「今は何をしてるやら。海の事故でね、船が流されてしまったみたいで」
「え……?」
「やだ、そんな暗い顔をしないでちょうだい。もうずいぶん前のことだし、私は主人が戻ってくるって信じてるわ。だから、ここでお店を続けているのよ」
おばさまはまっすぐな瞳をキラキラと輝かせて、口角をきゅっと持ち上げる。
芯が強くて嘘のない思い。
まっすぐに伸びた姿勢がとってもかっこよくて。
「このお店の料理は、全部主人と一緒に考えたの。だから、このお店でお料理を食べてくださった方が少しでも増えれば……そのうち、主人にも噂が届くかもしれないでしょう?」
おばさまは「息子もいるしね」と笑う。
「あなたたち、観光に来てくださったお客さまでしょう? それも、国都の方からよね」
「わかるんですか⁉」
「長いことやってるもの、なんとなくわかるわ。だから、この話をしたの」
「そっか……そういうことですね、おばさま!」
「ふふ。お嬢さんは分かったみたいね」
「はい! ばっちりこのお店のことを宣伝して、旦那さまを見つけるお手伝いをします!」
私がぐっと拳を握りしめると、おばさまも「お願いね」と胸元でその拳を握りしめる。
「料理長もよろしくお願いします! ……って、料理長⁉」
「う、ぐ……す、すみません……。その……ここのお店のお料理が、おいしい、と言われている理由が分かったような気がして……僕が料理人を名乗るなんておこがましくて……」
ぐすぐすと泣きじゃくる料理長に、おばさまも「あらあら」と口元を押さえる。
「あなた、料理人だったのね」
「奥さまの……思いが、しっかりと……つまっていたんですね……。思いのこもった料理は……何よりも、おいしいものですから……。それなのに、僕は……」
料理長が必死に目元をぬぐう。
どうやら、彼の中にあるネガティブスイッチが何らかの理由で押されてしまったらしい。「何て僕は不甲斐ないんだ……」と呟く声が聞こえた。
「そういうこともあるわよ。食べることは生きることだもの。料理人ってそういう意味じゃあ、他人様の人生に彩りを与えるお仕事よ。思い詰めてしまうわよね」
おばさまは「お嬢さんも大変ね」と笑みを浮かべて、「でもね」と料理長の方へ優しく声をかけた。
「まだまだ若いんだもの。たくさん悩みなさい。私みたいに独学でも、料理人のあなたにおいしいと言わせることが出来たのよ?」
料理長がゆっくりと顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃにした顔は、本当に残念なイケメンだけれど、少しだけおばさまの言葉で救われたみたいだった。
さすがはおばさま。人生経験が違う。
「うまく料理が作れない日もあるし、誰かにまずいと言われることだってある。でも、その反面、誰かを笑顔にさせることだってできるの。ゆっくりでいいのよ、続けていればなんだって出来るわ」
おばさまは「私だって、主人が帰ってくる日のためにまだまだ修行中なのよ」と付け加えた。
「さ、長く話すぎちゃったわね。良かったらまた遊びに来てちょうだい」
席から立ち上がって、おばさまは再び窓の向こうに見える海を見つめる。
「本当に、いつでも待っているのよ」
その言葉が誰に向けたものなのかまでは分からなかったけれど。
「また、来てもいいですか?」
料理長が鼻声でそんな風に言ったから、おばさまも笑ってうなずいた。
「もちろん。料理人同士、仲良くしましょ」
店内のジャズに混ざって、波の音が聞こえた気がした。




