41.家族の優しい朝食(3)
「お米だぁ!」
お茶碗の上にもられたほくほくツヤツヤのお米に、思わず歓声が漏れた。
ここ数日はパンやパスタが多かったから、ずいぶんと久しぶりな気がする。
食べるチャンスはいくらでもあったのに、しばらく口にしていなかった。
料理長もゴクリと唾を飲み込んでいる。
炊き立てのお米の匂い。真っ白に輝く真珠のような米粒。お茶碗から立ち上る湯気。
それらすべてが、いっぱいだったはずのおなかにスペースを作る。
「もしかして、締めって……!」
「はい! 卵かけご飯、からの……クレアスペシャル、です!」
「クレアスペシャル?」
「ま、まずは! 普通の卵かけご飯を、食べてください!」
今朝とれたばかりだという新鮮な卵を渡されて、私と料理長は目の前に置かれたお茶碗の上に、そっとその卵を割り入れる。
パキッと小気味良い音を立てて割れた卵の殻から、とろりと黄身が現れて……たぷんっ。
ご飯の上で黄金のおひさまがふるりと揺れる。
「おわぁぁぁ……」
すでにおいしそうすぎる!
クレアさんから渡された特製のタレをまわしかけて、そっとご飯にスプーンを差し込むと、流れ出した卵がゆっくりと白米にしみ込んでいく。
……これ! これですよ、これ!
思わず息を止めてしまいそうになるほど贅沢な時間。
真っ白だったお米が卵を吸い込んで金色に輝く。しかも、お米の匂いがタレの香りと混ざり合ってよだれが止まらない。
「まずはそのまま召し上がってください。で、でも! その! 最後まで、た、食べないで半分くらいで……おいておいて、くださいね?」
「わかりました!」
クレアさんのお願いをしっかりと守って、まずは一口!
ぱくり!
「ん! んまぁ~~~! 卵がとろっとろで、濃厚です~~~! 私が溶けちゃいますっていうか溶けます! ふわぁぁ……ご飯があふあふで……! あ! 卵が! 優しい甘みが……!」
もう何も考えられないくらい幸せ!
なめらかな口当たりのある卵はしっかりと黄身の味がして、少し甘めのタレとの相性も抜群だ。タレが少し濃いかもって思ってたけど、食べだすと、お米の甘みと卵の優しい甘さが相まって、ちょうどいい。
「めちゃめちゃおいしいです! こんなにおいしい卵かけご飯があるなんて!」
手が止まらない。卵に混ざってご飯もさらっと流し込めちゃうから、ついつい次の一口を運んでしまう。
クレアさんに残しておいてくださいって言われたばかりなのに!
「どうしよう……! 残せないです!」
「ののの、残してくださいぃ‼」
「うぅ……! クレアさんスペシャルも食べなきゃだから……!」
半分を少しすぎたくらいで、私が「くぅっ」とスプーンを置くと、クレアさんはホッとしたように胸をなでおろした。
止められていなかったら本当に食べきっておかわりをもらっているところだった。
隣を見れば、料理長は何食わぬ顔で半分ほどをしっかりと残している。
「料理長、メンタルが鋼すぎますよ!」
普段はあんなにネガティブで弱々しいのに、こういう時だけちゃっかりしてるんだから!
くそう、これが大人の余裕ってやつか。
「クレアさんスペシャルというのも気になりますから。それに、お料理というのは食べたりないと思うくらいの方がおいしいものですよ」
「……今だけは納得したくないです」
「え⁉」
「料理長が正しいことは! 千パーセントわかってるんですぅ‼」
でも! 私は卵かけご飯が! 食べたい!
再び歯を食いしばると、料理長はただただ苦笑を浮かべるだけだった。
いつかこの料理長が「もっと食べたいです、お嬢さま!」と言ってくる日を心待ちにしてやる……。
私がじとりと料理長を見つめている間に、クレアスペシャルの準備が出来たようだ。
「こ、ここからですから!」
クレアさんは「み、見ててください!」と宣言して、私たちが食べている間に用意したであろう急須をお茶碗の上で傾ける。
急須から香るのは、先ほど食べたテールスープの出汁の匂い。
「これは……! まさか!」
卵かけご飯の上にテールスープが注がれ、卵はその熱で固まっていく。ふわふわとやわらかに凝固して、卵かけご飯とはまた一味違った雰囲気だ。
その上に、これまた先ほどのコカトリスの酒蒸しが二つ飾り付けられて――
「こここ、これが、クレアスペシャルです! ど、どうですか! ににに、二段階で、進化するんですよ!」
「ふおぉぉぉ! あつい! あついです、クレアさん! これはすごいです‼」
キラキラと輝く金の海。たゆたうお米と卵とコカトリス。
これぞまさに母なる海! 命の海! 万歳! クレアスペシャル‼
「コカトリスさん、生まれてきてくださってありがとうございます!」
私が全力で頭を下げて祈りを捧げると、料理長がクツクツと笑いをこらえているような気配がした。
「クレアさん、ありがとうございます! クレアお母さんも、クレアお父さんも、ありがとうございます!」
全ての恵みに感謝して! いざ!
卵かけご飯からつゆだく親子丼へと進化したお茶碗にスプーンをくぐらせると、ふわっと柑橘の香りが立ち込める。
あぁ、この爽やかな香り……。満腹でも、これなら食べられると思わせる開幕!
ふぅふぅと熱を冷まして、口へ運ぶと……。
「ん~~~~! あふっ……! でも、さいっこう! 最高です! ジューシーなコカトリスのお肉と、テールスープの出汁が絡み合って……。さっきの卵かけご飯はすごく優しい味だったけど、こっちは結構ガツンと食べてる! って感じがして!」
まさに締めにぴったりだ。
これを食べずして、この朝食は終われない!
クレアさん、グッジョブ! コカトリス、グッジョブ!
「これのために生きてきたぁって感じがします……」
はふぅ、と長い息を吐き出すと、同じく一口目を食べ終えた料理長も満足げに息を漏らした。
「お嬢さまとご一緒出来て良かったです」
「ほぇ⁉」
「きっと、僕一人では、このお料理を味わうことはできませんでしたから」
目の前の最上級の卵料理と同じ、綺麗な琥珀色の瞳が細められて三日月が浮かぶ。
とろけるような満面の笑み。
「本当に、ありがとうございます」
その感謝は、私がコカトリスやクレアさんたちに捧げたものと同じ。
まるで祈りのような慈愛に満ちていた。
もちろん、この料理長の笑みに、クレアさんが再び鼻血を出してぶっ倒れたのはいうまでもない。




