293.いつも通りに、全力で!(2)
残り時間が少なくなっていく。
一秒、一秒と時間が進むたび、周囲の人たちの動きが慌ただしくなる。周りの雰囲気に飲み込まれないように、私は無心でお屋敷のパーツを組み立て続けた。
しっかりと形を確認したら、再びネクターさんに声をかけて冷蔵庫へ向かう。
そろそろピザ生地を焼かなくちゃ。
前に置かれた時計を確認して、残り時間を計算する。生地を作るときに慌てて時間をロスしてしまったけれど、大丈夫。これなら挽回できる。
冷蔵庫から生地を引っ張りだして素早く伸ばしていく。
均等に、できるだけ長方形に。審査員の数を間違えないように頭の中で生地を何枚切り出すか計算したら……。
「ネクターさん、いきます」
「了解です」
確認を終えたお屋敷チョコを冷蔵庫にしまったネクターさんに声をかけて、ゴーのサインをもらう。
私は、ふぅ、と一つ長い息を吐いて……。
ナイフをスッと体全体で引く。ピザ生地がまっすぐ、なめらかに切られていくのを確認しながら、手は止めずにそのまま次の生地を切り出す。
チョコレートのお屋敷の中に四枚並ぶサイズ。
ネクターさんとギリギリまで練習したカッティングも、今日はより丁寧に。
「お嬢さま、出来たものから確認します」
自らの作業を終えたのか、ネクターさんが私の隣に立つ。切れたものからサイズと厚みを軽く確認して、ネクターさんがオーブンの鉄板に生地を並べていく。
「お嬢さま、こちらはやり直しを。それと交換してください」
「はい! すみません!」
「謝る必要はありませんよ。ゆっくり、丁寧にやりましょう」
コンテストだからこそ妥協しない。どんなに急いでいても、ネクターさんは私の小さなミスを見逃さず、もう一度、とやり直しを要求する。
私はそれに応えるだけだ。ネクターさんの期待と、自分の今まで重ねてきた努力にも。
「生地、いきます」
ネクターさんはそれだけを告げると、さっとオーブンに鉄板を放り込んだ。
ピピピ、と後ろから聞こえるオーブンの操作音は速い。
「お嬢さま、作業が終わったら飾りつけの準備をお願いします。メレンゲをお願いしても?」
「はい! ってあれ? メレンゲはネクターさんの担当じゃなかったですか?」
「僕は少し時間に余裕がありそうなので、ソースを一つ追加で作ります」
この土壇場に来て、ネクターさんは何やら新しい策を思いついたらしい。
しかも、時間に余裕があるとは何事だ。
ネクターさんは最後の生地をオーブンに放り込んだかと思うと、冷蔵庫からソースの材料を取り出して並べていく。
元々予定していたキャラメルソースとブランデーソース、珈琲のソースに加えてベリーソースを作るようだ。
しかも、ベリー以外にもいくつかの香辛料まで並べている。
……って、香辛料⁉
「スパイスを何に使うんですか⁉」
メレンゲを作りながら、思わず口をはさんでしまった。
「エンのデザートを見てください」
「エンさん?」
私がエンさんのテーブルを見れば、確かに彼のテーブルにもいくつかの香辛料のボトルが見える。
「あれを見てひらめいたんです。革新派の方々には、さらに新鮮な驚きを与えねば、と」
ネクターさんの頭には、すでに斬新なレシピが思いついているのだろう。
まさかここで、エンさんと張り合うとは思ってもみなかったけれど、あのネクターさんのことだ。きっと、勝利を確信したからこそ、ここで仕掛けてきたに違いない。
ネクターさんはまるで腕が何本も生えているんじゃないかと思うほどの動きで、ソースを作りあげていく。
私もメレンゲを泡立てたり、次の飾りを作ったり、と一生懸命に手を動かす。
オーブンで生地が焼けたらすぐに飾りつけに取り掛かれるよう準備しないと。
「お嬢さま、そろそろできますよ」
新しく追加したベリーソースを味見しているネクターさんが、私の真後ろを指さした。
瞬間、ピピッと音がする。
この人、見えてないのにオーブンの時間まで正確に頭の中で計算してる⁉
驚いている私にふっと笑みをこぼしたネクターさんは、
「味見もお願いします」
ついでと言わんばかりにスプーンを差し出す。
そのままスプーンに飛びつけば、ふわっとベリーの甘酸っぱい香りが鼻に抜け、その後を追うように、ほんの少しのスパイスが口に弾けた。
ピリッとした辛味が一瞬でベリーの味と合わさって複雑で上品な味わいが広がる。
「ん! おいしい! なんだか高級な味です!」
「それは良かった。では、飾りつけを始めましょう」
もはや、ネクターさんには余裕すら生まれているように見える。
私はすでにもう精一杯なのに、コンテストを楽しんでいるネクターさんはやっぱり生粋の料理人だ。
オーブンから生地を取り出して、お皿の上に四枚ずつ並べていく。
外からお屋敷のチョコレートをはめ込むことが出来るように、長方形にきっちりと整列させていけば、ネクターさんが生地の上に飾り付けを始める。
生地を並べながらネクターさんを盗み見ると、彼の口角は確かに持ち上がっていた。
本人は気づいていないかもしれないけれど、自然と笑みがあふれてしまうらしい。
「お料理することがたまらなく楽しいって顔ですね」
「……え? 僕ですか?」
「ネクターさん以外に誰がいるんですか。なんだか幸せそうです」
二人で手を動かしながら、隣で並んで飾りつけをすすめていく。
制限時間は残りわずか。本来ならば焦っている時間なのだろうけれど、私たちにはもう完成形が見えている。
「そうですね……。久しぶりにコンテストの緊張感も味わっていますし……集中力がすごく高まっているというのか……心地が良いんです。このスイーツはたくさんの方に喜んでいただけると思いますし」
ネクターさんはチョコレートで出来たお屋敷をゆっくりとピザの上に重ねて、やわらかに目を細める。
「完成しましたよ。お嬢さまと僕の、旅の思い出です」
ネクターさんの手元から現れた、テオブロマ家のお屋敷。
その中には二人で考えたピザのスイーツが閉じ込められている。
旅の思い出と一緒に。
――全てはここから始まったんだ。
私の鼓動がトクン、と一つ鳴る。
ネクターさんはお皿の横に先ほど作ったソースの入った小瓶を四種類並べると
「さぁ、皆さまに僕らの思い出を楽しんでいただきましょう」
と美しく微笑んだ。