291.開幕前の準備から
「出場者の皆さま、開始前に食材のご準備をお願いいたします」
アナウンスの声に、私とネクターさんはいよいよだと立ち上がる。
一体どこからやってきたのか、大量のフードトラックが並ぶ会場の一角は、すでに多くの出場者で賑わっていた。
食材を選ぶところから勝負は始まっている。
少しでも良いものを選ぼうとみんなギラギラと目を輝かせて、必要な食材を集めていた。
三種類の食材を持ち込むことが許可されてはいるものの、当然、三種類では何も作ることが出来ない。
「お嬢さま、こちらの食材をお願いします」
事前に、誰が選んでも同じ品質である食材と、フルーツのような選別を必要とする食材に分けたメモをネクターさんから受け取る。
私はもちろん、誰が選んでも同じもの。薄力粉や小麦粉、生クリームなどを集める。
「それじゃあ、ネクターさん! 後で、キッチンで!」
「えぇ。それでは!」
ネクターさんに手を振ると、彼は颯爽とフードトラックに向かって走っていく。
ネクターさんって、あんなに速く走れたんだ。そう思うほどの速さだった。さすがは料理のこととなると気合が違う。
私も周りの人の熱気に圧倒されないよう気合を入れなおして、人ごみをかき分ける。
選ばなくても良い食材は棚からとるだけだ。みんな、スイスイと選んでいく。
忘れ物をしないように、とメモとにらめっこしながら慎重に選んでいたら――ドンッと誰かにぶつかった。
「わっ⁉ ごめんなさい!」
「悪ぃな、大丈夫だった……か……?」
差し出された手を握って立ち上がると、見覚えのある赤い瞳とぶつかった。
「エンさん⁉」
「お嬢さん!」
私たちの声は見事にシンクロして、周りの人たちから一斉に視線を浴びる。
慌てて口をふさぐと、エンさんは気にした様子もなく「久しぶりだな!」と私の頭をくしゃくしゃにした。
「プレー島群を周るって言ってただろう? ネクターなら、絶対にこのコンテストに出るんじゃないかと思って来てみたが……まさか、お嬢さんが出てるとはな」
「ネクターさんも一緒です! 私もエンさんが本当に出場してるなんて思いませんでした!」
「まあ、正直なところ菓子作りは専門外だが、ネクターに出来て俺に出来ないことはないさ」
エンさんは自信満々な笑みを浮かべる。
私も、先ほどフェスティバル会場でガードさんたちと出会ったことを話せば
「ネクターには内緒にしておいてくれ。まさに、サプライズってやつだからな」
とエンさんは口元に人差し指を当てた。いたずらな仕草がエンさんらしい。
「ちなみに、ここのフードトラックで食材を集めてるってことは、同じテーマか」
テーマごとでフードトラックの場所とキッチンの場所は分かれている。
エンさんに会えた驚きですっかり抜けていたけど、エンさんの言う通りだ。
「はっ! 確かに! そうですね! ライバルです‼」
「ははっ、ネクターと全力で戦えるってことか。嬉しいね」
「私も全力で戦います!」
「おう、かかってこい」
エンさんはポイポイと棚から材料をそろえると、「それじゃあ、また後でな」と再び私の頭をくしゃくしゃと撫でて去っていった。
まさか、エンさんと同じテーマとは。
今すぐにでもネクターさんに教えてあげたいけれど、エンさんは「サプライズだ」と言っていたし。ネクターさんが気づくまでは黙っているべきか……。
「あ、そっか! キッチンも同じだから……」
きっと、エンさんはそこでネクターさんを驚かせるつもりなのだろう。ならば、余計なことは言わずに、サプライズされてびっくりするネクターさんを見る方が良さそうだ。
よし、と私はエンさんとの出会いは心の中にしまって、材料をそろえる。
メモと選んだ食材を照らし合わせて忘れ物がないことをチェックしたら、キッチンへ。
コンテストのために特別に作られたらしい公園の管理ビルは、一階から三階までが全てキッチンになっている特殊な造りだ。
デシ特有のかわいらしい見た目とは裏腹に、中では毎年こんなにも熱い勝負が繰り広げられているのだから面白い。
『デシを表現するスイーツ』とテーマ名が掲げられているキッチンは、ビルの入り口からすぐのところにあった。
中に足を踏み入れると、ピリッとした空気が体を貫く。
すでに集まっている人たちは、各々指定されたキッチンで準備をしたり、周囲を観察したり。コンテスト開始までの時間を自由に過ごしている。
お菓子を作る過程も見ているのか、広いキッチンの四隅には審査員と思しき姿の人たちも立っていた。
彼らは手にデバイスを持っていて、何やらそれを眺めたり、チェックを入れたりとすでに忙しそうだ。
こんなに周りが見えている状況で、一斉に同じテーマのお菓子を作るなんて……。
余計にプレッシャーを感じるし、集中力が試されているような気がする。
とにかく、少しでも気を紛らわせようと私は選んできた材料をキッチンのテーブルに並べていく。
最初に使う道具も一緒に並べながら、事前にネクターさんから言われていたことを一つずつこなしていく。
エプロン、三角巾、マスク、手袋をつけること。
道具や家電の位置を先に把握して、場所を覚えておくこと。
テーブルの上や使う道具をしっかりと消毒すること。
今までの練習でも散々言われて身についた。お菓子作り前のルーティンだ。気持ちもほぐれる。
「お嬢さま、お待たせしました」
ちょうど準備が完了したところで、ネクターさんも戻ってきてくださって、おかげで変な緊張には支配されずに済んだと思う。
ネクターさんも黙々と準備を始めて、ゆっくりと深呼吸を一つ。
にっこりと美しい笑みを浮かべると、私の方へと手を差し出した。
「頑張りましょう。最後まで。今までの練習を思い出して、丁寧に望めば大丈夫です。周りのことは気にせずに。落ち着いていきましょう」
「はい! ありがとうございます!」
ネクターさんと握手を交わすと、後ろからエンさんがひょこりと顔を出した。
ネクターさんはまだ気づいていない。
握っていた手を離して、ちょいちょいと後ろを指さすと――
「エン⁉」
落ち着いていきましょう、と言ったばかりのネクターさんは大きな声を上げて慌てふためいていた。