281.ピザ作りに初挑戦!(2)
「やってみましょう」
ネクターさんがそう結論を出したのは長い沈黙の後。
テオブロマ家のお屋敷を作ることが一番の課題であることは、私もすでに理解した。
「チョコレート細工はあまり経験がありませんが……まずは、ベースになるチョコレートの大きな板を作りましょう。そこからパーツを切り出して、お屋敷を組み立てるイメージで」
「ふぉぉ! 本格的です! 頑張ります!」
ネクターさんは、早速鍋でお湯を沸かす。私にはチョコレートを出来るだけ細かく砕いてボウルへ入れるように指示を出した。
「あ! わかった! 湯せんですね!」
「正解です。お嬢さまは本当に飲み込みが早くていらっしゃいますね」
「ふふ~ん。こう見えて、いっぱい今までもお勉強してきましたからね!」
テオブロマ家の一人娘として恥じないように、幼いころから色々と仕込まれてきているのだ。
まだまだ出来ないことも分からないこともたくさんあるけれど、お菓子作りだって、スイーツコンテストにはなんとか人並みにはしておかないと!
チョコレートを溶かして、バットの上に広げて冷やし固める。これで一枚の大きな板チョコの完成だ。
冷えるまでの間も、もちろんやることは山積み。
ネクターさんが次に用意したのは、氷がいくつも入ったタッパーだった。
「アイスですか?」
「いえ、残ったチョコレートをこれで固めます。紅楼国の岩山をイメージして作ってみようかと」
「え⁉」
これは予想外。さすがは料理長、考えることがプロっぽいです!
「簡単ですが、おもしろいものが出来上がりますよ」
ネクターさんは先ほど溶かしたチョコレートの残りを氷の上に回しかける。
氷の温度で冷え固まったチョコレートを氷からゆっくりと外して裏返せば……。
「うわぁ! 確かに岩山っぽいです! 氷のゴツゴツした形がちょうど山と谷の関係になっててリアルです!」
氷の表面で固まったチョコレートは岩山の谷や盆地を形作っていて、逆に、氷と氷の間に入り込んで固まったチョコレートは山々の尖った頂をよく表現している。
まさかこんな簡単に、紅楼国の岩山が出来るとは思わなかった。
「へぇ、おもしろいね」
これにはレーベンスさんも料理人として興味を持ったらしい。しみじみとそれを眺めて「なるほど」とうなずいている。
「勉強になります!」
「チョコレートや水飴は、液体と固体の関係を作り出しやすいですし、扱いやすいんです。次は、水飴を使って雨粒を表現してみましょう」
ネクターさんは作った岩山チョコレートを冷蔵庫へとしまうと、続いてのモチーフ作りを始める。
私も指示をもらいながら、シュガーローズを砕いたり、水飴を焦がしすぎないようにお鍋で温めたり、とお手伝い。
「さて、お嬢さま。飴細工に挑戦してみましょうか」
「良いんですか⁉」
「えぇ。お嬢さまは手先が器用ですし、上手に出来るのではないでしょうか」
ネクターさんがまずはお手本を披露する。私は、その一挙手一投足を見逃さないように、とネクターさんの手先をしっかりと観察することにした。
裏返したボウルにラップフィルムを広げてペタペタと貼り付ける。
なんだか不思議な光景だけど、ネクターさんは当たり前のように、その上へと作ったばかりの水飴をスプーンで垂らしていく。
ボウルの傾斜にそって落ちていく水飴は、確かに、ズパルメンティの窓をたたく雨粒のようだ。
「これでしばらく置いておけば、このままの形で自然と固まりますので」
「こんなに簡単なんですね⁉ やってみます!」
早速私も挑戦だ。スプーンに水飴をすくって垂らすと、ボタリ、と水飴がボウルの上に落ちてはじける。
「ん! 意外と難しいです!」
思っていた以上にスプーンの傾け方や水飴の量、粘度が関係しているみたい。
「はじけたものも、水滴が広がっているように見えて面白いかと。僕は次の準備に取り掛かりますので、お嬢さまはいくつか作ってみてください」
「了解です!」
集中して綺麗な水滴を作る。慣れてきたら、途中でわざと雨粒のような塊を作ることも出来た。
私、もしかしてセンスがあるんじゃない⁉
「ネクターさん!」
見てください! と顔を上げた瞬間、私の視線はすぐ隣にいたネクターさんの手元へと吸い込まれた。
「わぁっ! アオだぁっ‼」
小さなお皿の上に、何匹ものアオが転がっている。どうやら、ホイップを絞ってうまく形を作ったようだ。
たくさんいるのはネクターさんの練習の成果だろうか。
「あまりリアルすぎると苦手な方もいらっしゃいますから。かわいらしくデフォルメして、蝶やフルーツの飾りなんかと一緒に表現すれば、かなり食べやすくなるかと」
ネクターさんの引き出しの多さには驚くばかりだ。これが本職の知識と技!
私がほぉっと感心してネクターさんを見つめると、彼は照れくさそうに「あまり見つめられると恥ずかしいです」と視線を逸らした。
「さ、そろそろチョコレートのお屋敷づくりに取り掛かりましょう」
ネクターさんは話題を変えるためか、そそくさと冷蔵庫の扉を開ける。
取り出されたバットの上のチョコレートはすっかり冷え固まっていた。
「ここからは、時間との勝負ですね。チョコレートが溶けないうちに、パーツを切り分けていきます。今日は初めてですし、型もないので、簡単なお家の形を作るところから始めましょう」
ネクターさんは気合を入れるように、大きく深呼吸を一つ。
何かをイメージするように少し考えてから、小型のナイフを軽く火であぶって、チョコレートへと差し込む。
スッ――
音もなく引かれたナイフは、見事なまでにまっすぐな線を描いてチョコレートをカットした。
「まずは、これで壁を一つ」
ネクターさんはとてもフリーハンドで切ったとは思えないような美しい正方形のチョコレートを私にとって見せる。
どうやらこういった単純な形のパーツを組み合わせて、立体的なチョコレートのお家を作っていくようだ。
「まだまだ先は長いですね」
苦笑こそしているものの、ネクターさんの瞳はどこかギラギラと強い光を放っていた。