274.視点を変えて考えよう
今日は休憩にしようと言われたけれど私はなんだか落ち着かなかった。
晩ご飯も終えたというのに、ホテルの部屋で一人、私はフルーツの皮剥き練習に励む。もちろん、ネクターさんには内緒だ。休むことも大事だって怒られそうだし。
ショリショリ、ショリショリ……。
ゆっくりとリンゴの皮を丁寧に剥いていく。実際のコンテストでリンゴを使うことになったら、もっと早く綺麗に剥けなくてはいけないのだろう。時間制限だってある。
「せめてお題が一つだったらなぁ……」
私はため息交じりにナイフを動かす手を止める。
与えられた三つのテーマはバラバラだ。
一つは『デシを表現するスイーツ』、もう一つは『動物をモチーフにしたスイーツ』、そして『あたたかいスイーツ』の三つ。
三分の一の確率に賭けて、一つのテーマに絞って練習をする作戦だってあるだろう。
だけど、私たちが狙うのは優勝だ。そんなリスクは負えない。
「三つも考えられないよぉ! だいたい、あたたかいスイーツって何⁉」
スイーツといえば大抵冷たいもの。デシは寒いから、あたたかいスイーツがあれば、そりゃぁ売れるだろうけど!
むぅ、と私はテーブルに顔をのせて、本屋さんで買ったスイーツの本をパラパラとめくる。
ケーキもゼリーもアイスも、基本は冷蔵。クッキーは作りたてこそあったかいだろうけど、ずっとあたたかいかと言われれば違う。
「……あ! そうだ! フォンダンショコラはあったたかったよね⁉」
以前食べたものを思い出す。スポンジ生地の中から出てきたソースがすごくあたたかくて、寒いデシにはぴったりだと感じたのだ。
フォンダンショコラのページを見て、レシピを確認する。多分、ネクターさんなら簡単に作ってしまうだろう。
でも。
「普通のフォンダンショコラじゃ、さすがに優勝は出来ないよねぇ……。それに、ネクターさんはコンセプトも大事だって言ってたし……」
料理は見た目と味だけじゃない。その料理に物語があれば、よりおいしく感じられる。
ネクターさんの力説を思い出して、
「我慢よ、フラン。安易なアイデアに飛びついちゃダメ。私たちだけのスイーツを作らなくちゃ」
と自分に言い聞かせた。
とはいえ、スイーツの本を読めば読むほど、新しいアイデアは中々浮かんでこない。
どうしたって今すでにあるお菓子が頭にはよぎってしまうし、それを打破するのは難しい。
何か視点を変えなくちゃ。
私は本を閉じて、再びナイフを握る。
不思議なことに、お料理の練習をしている最中は余計なことを考えなくて済むから気持ちが落ち着く。
ネクターさんに初めて教えてもらった時は、リンゴの皮剥きなんて難しくてできない、と思っていたけれど、それも随分とマシになった。
いまでもまだまだ歪ではあるけれど、人前で披露しても恥ずかしくはないと思う。
思えば、いろんなことをネクターさんから教わってきた。
一人ではここまで来ることも難しかっただろう。それに、旅だってこんなには楽しめなかったはずだ。
少しでも恩返しがしたい。
一緒に優勝して、良い思い出を作って、立派なテオブロマ家の一人娘として成長した姿をネクターさんに見せること。
それこそが、今私に出来るネクターさんへの最大の恩返しだろう。
リンゴの皮を剥ききって、食べやすい形にカットしていく。トントン、とカッティングボードにナイフがぶつかる音も、すっかり耳に馴染んでしまった。
ネクターさんなら、もっと早く、綺麗に切る。どれほどの練習をしたのか想像もつかない。
「……出来た」
ふぅ、と私は息を吐いて、切ったばかりのリンゴを一つ口へ運ぶ。
ショリッと軽やかな音と共に、果汁が口の中ではじけて、爽やかな香りと甘酸っぱいリンゴ特有のすっきりとした味わいを感じた。
「せめて、どういう系統のお菓子を作るかだけでも決めないと。デシを表現するスイーツだと、やっぱりお花がいっぱいあって、かわいい色合いのケーキとか? 動物モチーフは……うぅん……あ! そうだ、ウェスタさんからもらったイルカの飴細工! えっと、確か……」
私は魔法のカードをあわてて取り出して、写真フォルダを開く。
「あ! あった! でも、さすがにこれだけだと寂しいよね? それに、飴細工は難しそうだし……」
でもなあ、と悩みながらも、仮想スクリーンに投影された写真をスイスイと指で見返していく。
今までに訪れた場所、出会った人たち、ネクターさんと一緒に食べたおいしいお料理の数々。良い思い出ばかりだ。
懐かしいものもあれば、つい最近のものも。
「おじいちゃんのシュガーローズは使いたいなぁ。私たちのことをモチーフにしたって言ってくれてたし……。いいなぁ……私も、今までの旅がつまったスイーツを……」
言いかけて、私は「あれ?」と自らの言葉に首をかしげる。
今までの旅をスイーツとして表現できれば、面白いものが出来るんじゃないだろうか?
見た目にばかり囚われていて、すっかり考えることを忘れていたけれど、コンセプトならうまくテーマと結びつけられるかもしれない。
今までの旅で体験してきたこと、私たちの思い出を当てはめるのならば、三つのテーマにうまく対処できる。
「デシを表現するスイーツは、光の祭典とシュガーローズコンテストを組み合わせた思い出のスイーツにすればいいし……動物は……やっぱり、ベ・ゲタルだよね? アオをそのままスイーツにしたら見た目のインパクトも出せるし! あ、でも紅楼国のドラゴンもかっこいいかも!」
あったかいスイーツは難しいけれど、ズパルメンティでの魔法みたいなイメージをつかえば……。
「そうだ! ガラスの中に明かりが揺れてる街灯! 確かあれって、炎の魔法が使われてたはず。フォンダンショコラみたいな感じでそういうスイーツが作れれば……」
先ほどまであんなに苦しんでいたのが嘘のように、私の頭には次から次へとアイデアが沸いてくる。
これらのアイデアは、きっとネクターさんが形にしてくれる。
「ネクターさんに相談しなきゃ!」
私は慌てて、食べかけていたリンゴをカッティングボードに置いて立ち上がる。
すでにパジャマであることも気に留めず、ネクターさんの部屋へと向かって駆け出した。